風まかせのカヌー旅
#08
ウォレアイ滞在記 1 メインストリートをお散歩
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
文と写真・林和代
ローズのお宅で水浴びをすませ、タロイモと焼き魚をごちそうになり、優雅なウォレアイライフを満喫しているところに、セサリオがやって来た。
「カッツ、ブルーラグーン行くぞ!」
動きたくないなあと思いつつも、私はどっこいしょと立ち上がった。久しぶりに財布を握りしめて。
ブルーラグーン。それはヤップ島にあるスーパーの名前。そしてヤップ州の離島で唯一、このウォレアイに支店があるのだ。といってもちっぽけなコンクリート小屋だが地元では「ストア」と呼ばれている。
小道を歩きながら、私は財布から航海中に書き留めておいたお買い物リストを取り出した。
「えーっと、まずタバコでしょ、コーヒーとコーヒークリーマーとラーメン、あと……」
「サバとツナ、スパムも足りないだろ?」
「そうね、缶詰ね。あ、そうだ。キャンディも買っちゃおう」
お金で物を買う。東京では当たり前の行為が、長い間海の上にいると無性に楽しい。
セサリオと二人、軽くはしゃいで歩いていると、島の男性がどこ行くのと声をかけて来た。
我々が嬉々として、ブルーラグーン! と答えると、
「ああ、残念。もうないよ。先月、店じまいしちゃったんだ」
そんなばかな!
慌てて行って見ると、確かにかつて「店」だったコンクリート小屋は空っぽだった。
しかも、先週ウォレアイに入る予定だった貨物船もまだ来ておらず、島の物資そのものが少ないとか。
へこたれる私をよそに、セサリオはあたりの人に何か売ってくれそうなお宅を聞き出し、こう言った。
「お前はその人に案内してもらえ。俺は他を回ってみる。後でローズの家で落ち合おう」
そして1時間後、ローズ宅で集合すると、セサリオはタバコを5箱、私はどっかのおばあちゃんからタバコ8箱とウォレアイ用の蚊取り線香をゲットしたものの、他の収穫は皆無であった。
ウォレアイでガッツリお買い物の夢、破れたり。
金があっても物がなければ買えない。これが厳しい離島ライフなのだ。
photo:Osamu Kousuge
ストアをもう一つ発見。スパムとサバの缶詰を7、8個発見したのでセサリオが即購入した。しかし、貨物船入港前のストアに残る食料品はこれでほぼ完売。おむつや洗剤ばかりが棚に残る。
そこへミヤーノとエリーが、ある女性を連れてやって来た。
「カッツ。こちらが俺のプロミスブラザーの娘、シルビア」
身長は私よりちょっと高くて160センチ程度。スリムで面長の美人だ。三十代ぐらいか。
私が手を差し出すと、彼女は頬にキュートなえくぼを作り、いたずらっぽい目をして微笑んだ。
どうも今夜、私とエリーは、ミヤーノと一緒にこのシルビアのお宅に泊めて頂く事になったらしい。
離島でのホームステイ先は、キャプテンかクルーが決めてくれるものと思っている私は、大した疑問も持たず、山ほど溜まった洗濯ものはローズ宅に残し、身の回りの物だけ持ってみんなと歩き始めた。
背の高いヤシの木が空に大きく葉を広げて、縞模様の木陰を作り出している。
白とピンクのグラーデーションが愛らしい、可憐な花をたくさんつけたプルメリアの木の隣では、まるでご神木のように大きなパンの木が、枝葉を縦横無尽に伸ばして、黄緑色の実をたわわに実らせている。
そんな、元気いっぱいの南国の植物達の合間を縫うように、土の細い道が伸びていた。
「ワーオ! ソー ビューティフル!」
感激屋のエリーが、目をキラキラさせてそう言った。
「だねー、気持ちいいねえ。んー、懐かしいなあ」
「そっか。カッツは初めてじゃないのね?」
私はマイスや船で何度かウォレアイに立ち寄った事がある。最後に来たのは5年前だった。
そうそう。あの時はウォレアイ出身のクルーが実家から持ち出した狩猟用の銃で白い鳥を撃ち落として、バーベキューにしてごちそうしてくれたっけ。
気持ちのいいメインロード。
そんなことを思い出しながら進んでいくと、ん? なんだ、この違和感。
あ、電線だ!
青空を背景に緑溢れる木々、というナチュラルな景色を、黒い電線が分断していた。
「ちょっとシルビア、電気、通ったの!?」
「そう。今はwifiも使えるのよ。診療所の前だけだけどね。ほら、あれが診療所」
シルビアが教えてくれたコンクリート造りの平屋。その周囲の芝生には、タブレットを手にネットを楽しむ若者軍団が座り込んでいた。ちらりとのぞくと、見慣れたフェイスブックの画面……。
つい5年前まで、時々発電機を使い、誰かの家に大勢集まってDVDを観ていたのに……。
あまりの変化に驚きながらその光景を眺めていると、診療所から見覚えのある男が出て来た。
ひょろりと背が高いその男の視線が私をとらえると、大きな目を更に見開き、笑顔で声をかけて来た。
「おーカッツ! 久しぶり!」
彼の名はカリストゥス。サタワル人でサタワル島唯一の医者である。
「うわー、久しぶり。でもなんで? なんでウォレアイにいるの?」
「俺は今、ここで働いてるんだ」
「え、じゃサタワルは? お医者さんなし?」
「まあね。でも看護師たちがいるから大丈夫だよ」
医師不足。これも離島の常である。
「あ、そうだ! ちょうどよかった。見てよ、これ。またなっちゃった……」
私の右足の小指は、パラオでちょっと引っ掻いた傷が風土病で膿んでしまい、かなり腫れ上がっていた。しかも厄介な事に、上陸すると、とたんにハエが激しくたかりまくる。
「OK。明日の朝10時に来なさい。絶対に遅れないように」
彼はそういうと、足早にすたすたと歩き去った。
「……ロードランナー」
ふいにシルビアが低い声で呟いた。
「え?」
エリーが聞き返すと、シルビアはククッと笑いながらこう言った。
「あの人はいつもすごい早さで歩くから、そう呼ばれてるの」
あれだ! 古いアメコミのキャラクターで、めっちゃ逃げ足の速い、首が長~い鳥!
確かにカリストゥス、そっくりだわ。
私たちがクスッと笑うと、でしょ? とでも言いたげに、シルビアは両眉をクイッと上げた。
大きなパンの木の下、火をつけたヤシ殻の下にパンの実を埋めて、ウムと呼ばれる蒸し焼き料理を作る女たち。島を歩いていると、あちこちでこんな光景に出くわす。
少し細くなった道をしばらく歩いていくと、
「ワーオ! ソー ビューティフル!」
エリーがそう言って突然走り出し、メインロードから30メートルほど離れたビーチに出た。
気がつけば、真っ赤な夕焼け空が広がっていた。
エリーが夢中でカメラのシャッターを切っている間、私たちは……蚊の大群に襲われていた。
それはもう降って湧いたように、あたり一面蚊だらけで、逃げ場なし。
私とシルビアが蚊の海を泳ぐように、両腕をぐるぐる回し続けると、腕に無数の蚊がパシパシ当たる。
蚊除けのためだろう、あちこちで火も焚かれ始めた。
「毎晩、こんななの?」
私が半ば叫びながら尋ねると、
「この時間帯は、毎晩、モスキートダンス!」
そういってシルビアがゲラゲラ笑い出しながら腕を更に激しく動かして踊り出した。
私とミヤーノも釣られて笑いながらモスキートダンス。
ようやく蚊のいないビーチから戻ったエリーにも、闘うのよ! とけしかけると、私たちは全員で腕をぐるぐる回しつつ、ゲラゲラ笑いながら、まさにロードランナーのごとく、超早足で家路についた。
シルビアのお宅。ここにはご両親と妹さん、彼女の息子や姪っ子たちが暮らしている。
ようやくたどり着いたシルビアのお宅は、母屋が二つ。ほかに青空キッチンと屋根だけついてる東屋風のリビングという、離島では一般的な作りになっていた。
すでに夜の帳が下りていた。リビングの裸電球に明かりが灯る。
ミヤーノは子供の頃、この家で育った時期があるそうで、彼にとっては実家みたいなものらしい。
ご両親がミヤーノを抱きしめたり顔をなでたり、それはもう愛おしそうに再会を喜んでいると、シルビアが言った。
「刑務所から逃げて来た人みたい」
確かに。ミヤーノのヒゲはこれ以上ないほどぼうぼうに伸びて、顔中毛むくじゃらだった。
みんな笑った。脱獄囚も笑っている。
裸電球の明かりの中、私たちのにぎやかな笑い声が、いつまでもウォレアイの夜に響き渡った。
PHOTO:Osamu Kousuge
蚊よけのために起した火にはしゃぐ少女たち。歌ったり踊ったり、楽しそうだ。
*本連載は月2回(第1週&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
*第12回『Festival of pacific arts』公式HPはこちら→https://festpac.visitguam.com/
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |