ステファン・ダントンの茶国漫遊記
#07
日本茶の可能性を伝える1−産地・静岡へ
ステファン・ダントン
生産地への想い
振り返ってみると、2008年のサラゴサ国際博覧会に「サラゴ茶」を提供したことが、私にとってもおちゃらかにとっても大きな転機になったのだと思う。
博覧会を取材に来るマスメディアにも「フランス人ソムリエが開発したフレーバー茶」という目新しい存在として認知されたのだろう。このころから、テレビ、新聞や雑誌からの取材が増えていった。おちゃらかが「吉祥寺」という常に注目され続けるまちに立地しているのも取材者としては好都合だったのかもしれない。マスメディアに紹介されると、おちゃらかを目指して吉祥寺にやってきてくれるお客様も増えた。
「これまで日本茶に親しまなかった人たちにも日本茶に関心をもってもらいたい。日本茶の豊かな世界への入り口をつくりたい」
そんな思いで開発したフレーバー茶が注目されるのはうれしいことだった。
「今注目されているフレーバー茶は、あくまでも日本茶への入り口。日本の豊かな自然に育まれた茶産地、地道に伝統的な生産をしている茶農家の存在があってこそ生まれる日本茶の味わいそのものにも関心をもってもらいたい」
取材を受けるときには、私は必ず茶産地や茶農家の話をした。少しでも多くの人が産地や生産者と自分が口に入れるお茶との関係を意識してくれればいいと考えていたから。
茶産地から求められる「日本茶の新たな可能性」
おちゃらかやフレーバー茶に注目してくれるようになったのは、マスコミやお客様だけではなかった。既存の茶業者や生産者の耳にも「東京でフランス人が香りを付けた日本茶が売られているようだ」という情報が届くようになる。
「日本茶に香りをつけるなんて邪道だ。受け入れられない」
という好意的ではない見方も多かったようだ。一方で、
「日本茶の新しい切り口を提示している。おもしろい存在だ」
と、理解を示してくれる人も徐々に数を増やしていたようだ。
日本茶の消費量は減りつづけている。日本茶に関わるすべての人が危機感を持ち、打開策を求めていた。
そんな中、私に「日本茶の新しい可能性」について意見を求める方が生産地でも現れ、小さな講演会を行うチャンスが増えてきた。
「日本茶には、伝統も文化もある。でも、それなのになぜ消費量が減っているのか考えてみたい。日本茶をシンプルな考え方でとらえれば、大きな可能性を秘めたすばらしい素材・食材だ。ただ、それを多くの人に伝える戦略を考えたほうがいい。私の方法は、フレーバー茶で関心を引き寄せた方に日本茶本来の味わいやさらには文化にまで気持ちを向かせるというものだが、他にも、ブランディングやパッケージの作り方など考えることはたくさんある。よいものも知られなければ、興味を持たれなければ手にとってもらえないよ」
こんな話をすると、「外人が日本茶に変なアレンジをしているけど、そんなのは邪道だ」という感想から、少しずつ理解と共感を示してくれる人が出てきたのはうれしいことだった。
生産地の小さな会場での談話会のようなものもしたし、静岡市内の大ホールで行われた静岡県農協茶業者集会での記念講演もした。
私は相手が一人でも、数百人規模の講演会でも、常に同じ熱量で想いを伝えてきた。相手がお客様でも友達でも生産者でも、いつも同じように話をしてきた。
川根本町でのレクチャー。
静岡講演会の様子。
「日本茶の新たな可能性」への評価
静岡で世界緑茶協会が毎年開催している世界緑茶コンテストというものがある。「斬新でお茶の未来を感じさせる商品」を日本・中国・韓国・インドといった世界各国から募り、審査するのだ。2009年からはこのコンテストに審査員として参加するようになった。
日本茶に魅せられ、産地を訪ね、生産者の教えを請い、日本茶ファンの裾野を広げるためにフレーバー茶を開発し、日本茶の魅力をさまざまな形で発信してきたことが産地にも評価され始めたようだった。
「産地への貢献を評価されている」と実感したイベントがもうひとつある。2009年に行われた新東名高速道路の藤枝PA−島田金谷間のトンネル開通式に、水出し茶を提供したのだ。新東名高速道路は、私にとっては茶産地・静岡と消費地・東京をつなぐ象徴的な存在でもある。トンネル開通式では象徴として最後の壁の一部を爆破したのだが、その様子は産地と消費地との交流を活発化したいという私の想いと同調するようで感慨深かった。そして、そんな場所で、行政関係者や工事関係者におちゃらかの水出し茶を振るまうことになるとは少し前には考えもつかなかった。
2011年にはうれしいことに「日本茶の魅力を世界に発信するための新たなお茶の飲み方の提案と山間地茶業の振興」に貢献したことが評価され、世界緑茶協会から「O−CHAパイオニア賞」をいただいた。
「日本茶の新たな可能性を発信する」
という私の想いと方法を、生産者にも産地の行政にも受け入れられ始めた実感を得られたあのころ、私は同時に東京でも別の形で「日本茶の新たな可能性を発信する」相手と方法を見つけ始めていた。
新東名トンネル貫通式典にて水出し茶を提供する様子。
*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。次回公開は7月17日(月)です。お楽しみに!
写真/ステファン・ダントン 編集協力/田村広子、スタジオポルト
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ステファン・ダントン 1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。2017年路面店オープン予定。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/ |