沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記
#07
二拠点生活の日記 Oct.24~Nov.5
文と写真・藤井誠二
2020年
10月24日 [SAT]
夜、那覇に着いた。飛行機は満席だった。キンドルで沢木耕太郎さんの『テロルの決算』を読み直す。あらためて感嘆することしきり。さいきん沢木さんの作品群を再読している。安里の拙宅に荷物を置いて、栄町「煮込み屋㐂平(きへい)」で普久原朝充君と深谷慎平君と合流。煮込み専門店の同店に入るのは初めて。よく行く「潤旬庵(うりずんあん)と同じグループなのだが、煮込み料理を押し出しているだけあって、煮込みはどれも美味い。客はしばらくぼくらだけだったが、数組で席がまばらに埋まった。大型モニターにはあいみょんのライブがずっと流れている。スタッフにファンがいるのだろうか。近況報告やら、情報交換やら。りゅうぼうに寄って食料の買い出し。野菜が高いなあ。
10月25日 [SUN]
午前中の取材が延期になったので、牧志の屋外屋台珈琲店の「ひばり屋」に歩いていって、ひばり屋の敷地内で開催されている石獅子展の最終日へ。かつて村落の入り口などに、手彫りした琉球石灰岩で彫った石獅子を魔よけのために設置していた。それを現代にアートとしてよみがえらせ、アレンジしていろいろな作品をつくっているのが、若山大地さんと恵里さん。前に首里汀良町のアトリエにおじゃまして猫を彫ったものを買い求めたが今回は「王道」のこぶりの石獅子。ひばり屋のアイスカフェオレはやっぱり、すごく美味しい。「おとん」の池田哲也さんもあらわれてみなさんとゆんたく。やがて普久原朝充君も合流してきたので、ぼくと普久原君は宜野湾市喜友名へクルマを走らせた。昨夜、ある貴重な歴史建築を見に行こうと約束していたのだった。
沖縄どころか全国の建築に使われている「花ブロック」を考案した、1962年に亡くなった仲座久雄さんが設計した「末日聖徒イエス・キリスト教会」。いまは「シオン幼稚園」として使われている。花ブロックをつかった十字架の「板」が、垂直に建物の屋上に立っている。たたずまいがすばらしい。
喜友名は石獅子が多く残っている一帯で、若山さんの石獅子を見たばかりだったので、偶然にびっくり。近くの「外人住宅」を使った喫茶店に入って店主と街のことについてゆんたく。普久原君はさすが建築家、建物の内部も見てみたいなあと言っていた。
栄町「カルダモン」で深谷慎平君とシンガーソングライターの木村華子さんがカレーを食べているというので、ぼくらも合流。インド料理のせんべろコース。次は旧三越内一階ののれん街に行き、うどん店「香川 一福」でうどんを喰わず、ごぼう天やよもぎ天などをアテに飲む。店を出て歩いていたら道路に人が溢れだしている。賑やかにパーティをしているんだなと思って目をやったら、松川英樹さんや前田訓生さんと遭遇。いっしょに近くのクラブのパーティに行きましょうよと言われたが、辞退してぼくらは「鳳凰餃子」に入った。そこで餃子を喰わずに麻婆豆腐とニラタマをあてにかるく飲む。開店したばかりで、中国人のママさんからメニュー表の表記の仕方などで深谷君が相談を受けていた。
10月26日 [MON]
午後にドキュメンター監督の松林要樹さんと牧志の桜坂劇場のカフェ・さんご座キッチンのテラスで話す。ときおり風が頬をなぜるように吹いて気持ちよい。むかえにある公園の猫たちが散歩している人たちになついている情景がいい。松林さんの最新作「オキナワサントス」が「TOKYO FILMEX」で上映されることが決まっている。夕方、わかれたあと、むしょうにとんこつラーメンにニンニクをたっぷり入れたものが食べたくなって「一幸舎」へ。生にんにくをクラッシャーでつぶして何度も投入。帰宅してからは、ぐったり寝ていた。このところの疲れが一気に出たかんじ。日付が変わる頃に起き出して、パソコンに向かってこの日記を書いている。
10月27日 [TUE]
彫刻家のフリオ・ゴヤさんのアトリエにおじゃまするために、経塚のアトリエに。モノレールの経塚駅から電話をすると軽トラで迎えにきてもらった。数年前は近くにアトリエを構えていたが、ここに引っ越してきた。周囲は住宅。コンクリートのレンガでつくられたアトリエ然とした無機質な四角い真っ白な建物。アトリエとして建築して、作品群が置いてある。作業場もある。当たり前だがフリオさんのあたまのなかをのぞきこんでいるみたいだ。フリオさんの脳の中で、近く開かれるアルベルト城間さんとの二人展のことからうかがう。沖縄系二世の人生に耳を傾ける。帰りにジュンク堂に寄って『ドキュメント沖縄闘争』(1969年・亜紀書房)を古本コーナーで見つけ、購入。故・新崎盛暉さん編集。
と、この原稿を書いていたら作家の大城立裕さんが亡くなったというニュースが飛び込んできた。お目にかかることはなかったが、建築プロデューサーの増田悟郎さんが拙著『沖縄アンダーグラウンド』を大城さんに手渡してくれていた。大城さんといえば沖縄県初の芥川賞『カクテル・パーティ」が知られているが、数日前に『焼け跡の高校教師』を古本で手に入れていたばかりだった。
泊まで歩いて「串豚」へ。ぼくが名古屋の大学で非常勤講師をしているゼミの卒業生・山田星河さんと会う。彼女は桜坂劇場で働いているのだ。広告代理店勤務の杉田貴紀さんもやって来て三人で飲む。杉田さんは長年勤めた「電通」を辞めて、妻のいる北京に渡る。奥さんのお母さんの介護だそうだ。2~3年したら夫婦でいっしょに沖縄に帰ってくるという。那覇という街で人と出会い、別れ、また出会う。出会わないかもしれない。前にも書いたかもしれないが、ぼくが安里の朽ちたマンションに拠点を構えたとき、当時の管理人の山本直樹さんにはほんとうに世話になったが、いま彼はある難病に冒され、ホスピスに入っている。見舞いにいこうにもコロナでいけない。メールで連絡をするしかない。彼を思うと胸がつぶれそうになる。明日28日に掲載されるはずだったぼくの琉球新報の月イチ連載が数日後に延期されることを知らせる電話が担当の文化部の古堅一樹さんから入った。
10月28日 [WED]
朝8時に起きて、豆腐と野菜と豚肉とソーメンを炒めて食べる。沖縄タイムスと琉球新報を買う。大城立裕さん追悼に紙面構成になっている。「文学不毛の地と言われた沖縄に~」という表現が見られ、すごく違和感を覚える。
午前中から桜坂劇場へドキュメンタリー映画を観に行く。先日、松林さんから「観るべき」と推薦された「誰がハマーショルドを殺したか」(2019)。第二代国連事務総長だったハマーショルドの乗った飛行機が、1961年、コンゴ動乱の調停に向かう途中で墜落した「事件」にデンマーク出身のディレクター兼ジャーナリストのマッツ・ブリュガーが独自に挑んでいく。50年後の2013年に調査委員会が設置されるのだが、公にならない事実等が発見され、国際的な秘密組織と陰謀の存在がうっすらと浮かび上がっていくのだが、ブリュガーは7年間かけて決定的な証言者を発見するに至る。監督であるブリュガーが疑問を語るシーンが織り込まれていく構成の仕方に刮目。
そのあとは劇場内の「さんご座キッチン」に入り、買っておいた地元紙の大城立裕さんの追悼記事、大西巨人さんの『神聖喜劇』漫画版を読む。むかしは『神聖喜劇』通読できなかったので━この先もできそうにないが━この歳になって漫画からふと読み直してみようと気持ちになった。
牧志の市場通りを歩いているとふと見慣れないアンティーク店が目にとまり、品物を見ていると店主と目が合って同時に「あっ」と声を出した。旧・三越裏でぼくがしょっちゅう行っていたアンティークショップの主だった。こちらに移転してきたばかりだという。
夕方から引きこもりの少年たちなどの「居場所」づくりをおこなっているNPO法人「Kukulu」の会議に出席させてもらう。あるプロジェクトが進行していて、ぼくもその一員に加えてもらったからだ。出版社「ボーダーインク」の新城和博さんはじめスタッフのみなさんと打ち合わせ後、近所で「でんすけ商店」と「コション」でせんべろコースで腹を満たしたあと、歩いて帰る。
10月29日 [THU]
ジュンク堂で買いそびれていた『モモト』のバックナンバーを買い込んで、首里のノボテルホテルへ、同誌編集長のいのうえちずさんに会いに行く。県外から移住してきてクオリティの高い『モモト』を年に四回、沖縄から発信してきた。敬愛するスーパーエディターだ。最近の特集は「コロナ世のエンターテイメント」(2020.8・43号)、「あの戦から75年」(2020.10・44後号)で、とても沖縄で深く考えるべき問題をわかりやすく伝えている。「琉球新報」のぼくの月イチ連載で御登場願えることになった。
夕方は、取材で那覇に来ていたライターの尹雄大(ユン ウンデ)君と「すみれ茶屋」へ。玉城丈二さんが「恵比寿」や「シチューマチ」などの地元魚の煮付けをたらふく喰わしてくれる。美味い。雄大君は日本各地を転居しながら生活している。いまは京都に住んでいるが、数カ月前は諏訪 ━彼はしばらく諏訪で暮らしていて京都に移住する直前だった━ で会った。風のように移動して生活している彼とはかれこれ30年ぐらいの付き合いになる。万年文学青年みたいな風貌はむかしとほとんど変わらない。「鶴千」で二人でちょっとだけ飲み直して歩いて帰る。
10月30日 [FRI]
冷蔵庫に残っていた野菜を炒めてレトルトのソースと絡めてパスタにかけて喰う。今日はデスクワーク。洗濯などをして、『神聖喜劇』漫画版をずっと読み始める。昼寝をして、のそのそと起き出してまた読み続ける。大西巨人氏 ━大西赤人氏が聞き取りをしている━ の回想と、作家らによる解説がおもしろい。みな、一度や二度は通読をあきらめたくちのようだ。コロナ禍の影響 ━沖縄県は人口比で新規感染率がワーストになってしまった━ で取材スケジュールが二転三転する。どこにも出かける気になれない日だった。
10月31日 [SAT]
10時に写真家のジャン松元さんと合流してコザへ。プラザハウスで今日から開催されるフリオ・ゴヤさんと「ディアマンティス」のアルベルト城間さんの二人展。アルベルトさんはミュージシャンではなく、アーティストとして参加。フリオさんを会場でジャンさんが撮影した。フリオさんは両親は沖縄出身の両親を持ち、アルゼンチンのブレノス・アイレスで生まれ育った。20代後半に沖縄に移住してきたから、本人はポルテーニョ(ブレノスアイレスっ子の意味)の自覚が強い。アルベルトさんはペルーに移住した三世にあたる。二人がふざけあってスペイン語で会話しているのを撮影した。ディアマンテスのライブは25年ぐらい前に沖縄で観た。かっこよかった。それにしても、フリオさんが一時間半以上遅刻してきたのだが、キメキメのジャッケットスタイルで登場。アルベルトさんが「服選びのせいで遅れたんじゃないの?」とひやかしている。一人で「おとん」に歩いていって、京都のおあげさんをアテに焼酎を飲む。帰りに「りゅうぼう」で半額になっていた寿司を買って帰った。
11月1日 [SUN]
昼ぐらいにジャン松元さんと合流して、本部町公設市場を目指す。途中、金武で高速を降りてすぐの道路沿いにあるフリーマーケットみたいなところにジャンさんが寄ろうというので、行ってみた。古着のTシャツが二枚で500円。小山にように積み上げられて売っている。古道具から農作物、家庭用品までなんでもござれ。ジャンさんは服をあさっていたが、ぼくは使い古されたトンファーに目がいってしまった。琉球空手で使う手から肘までを守るための防具であり、攻撃にも使える。露天商のおじさんが、友人の空手家がじっさいにつかっていたものでいま入院してしまったんだ、と言っている。形状がみたことのないものだったから聞けばオーダー品だという。心ひかれたが買わず、先を急いだ。
本部公設市場に着いて、デザイナーの親富祖大輔・親富祖愛夫妻インタビュー。ふたりの出会いから、二人で展開している「ブラック・ライブズ・マター」のメッセージを発信する理由や背景について二時間以上インタビューさせてもらった。車中往復3時間。ジャンさんといろんな話しをした。なぜ、日本人社会や、もちろん沖縄社会も、ミックスルーツの人を差別するのだろう。沖縄でもそれは戦後から今でも続いている。親富祖夫婦の子どもが、公園などで他の親から差別される。沖縄から「ブラック・ライブズ・マター」を発信する意義は大きい。
夜、栄町「鳳凰餃子」で普久腹朝充君と深谷慎平君と合流。この名物「麻婆センマイ」はうまいのだが、ぼくにはちと辛すぎる。ふたりはちょうどよい辛さだ言ってわしわし口に運んでいるのだが、美味いのはわかっているのに━前に一度喰ったことがある━辛すぎ体験をして以来、敬遠しているのである。そのあと旧・三越の一階のれん街をぶれぶらして、肉とワインを飲む。店名忘却。入って右のほうにある店。コスパよし。歩いて帰る。人口比だとコロナ感染率が日本で一番多い県になってしまった。
11月2日 [MON]
夕方まで読書をして、琉球朝日放送の島袋夏子さんと泊の「串豚」で話す。彼女とは出会って25年ちかくになるが、互いの残された時間を使って何をやるかをしみじみ話す。知り合いがたまたま何人かやってきた。
11月3日 [TUE]
じつはあまり知られていないかもしれないが、首里城の地下には長い壕が走っている。旧日本軍の「第32軍指令部壕」だ。戦後、発掘・整備されることはほとんどなく、崩落したまま大勢の人が埋まったままだ。その保存運動を続けている垣花豊順さんのお宅にお昼ご飯を招いていただく。第32軍壕を整備しようというワンイシューで県議選で出て落選した方だ。元検事、元琉球大学教授、そして弁護士。87歳。矍鑠としておられる。
夕方に、知花園子さんと、普久原朝充と深谷慎平君と合流して豚カツの「コション」でせんべろ。隣の「萬たく」でセンマイの刺身を喰う。知花さんは落語会に行ったので、旧・三越のうどん屋「香川 一福」でごぼうてんぷらやカレーうどんをみんなでシェア。木村華子さんも合流。そしたら、いきなりアコギを抱えた「流し」があらわれた。一瞬、のっぽさんかと思ったが、1991年から沖縄で活動されているミュージシャンの奈須重樹さんだった。ときどき「やちむん"刺激茄子"」というユニットでも活動されている。名前は存じていたが初めてお会いした。オリジナル曲「ヒッピーと結婚しよう」を歌ってもらう。木村さんもミュージシャンなので、奈須さんとはすでに知り合いみたいだった。にしても、さいきんは沖縄では、せんべろ狙いで飲み歩くことが増えた。いまのところのベスト・オブ・せんべろは「コション」である。ワーストは、あえて書かないでおく。
11月4日 [WED]
アメリカ大統領選の速報を観ながら。取材データの整理と読書。「ブラック・ライブズ・マター」のことを、沖縄的に「命どぅ宝」と言い換えてもいいのではないかということをいくつかの雑誌等で読んだ。たしかにそうだろうと思う。深く納得した。同時に、アメリカにおける黒人の歴史と現状、日本や沖縄における現状など、つながりやと歴史性の差異、個別性などを考えた。沖縄においても黒人差別は残念ながら見聞きする。かつては特飲街も「白人」と「黒人」で別れていて、互いの「テリトリー」に入ろうものなら殺し合いになった。いまでも米軍基地の中でも黒人差別はあると聞く。「ブラック・ライブズ・マター」はアメリカのマイノリティからのレジスタンスのメッセージだ。「命どぅ宝」は日本の中ではマジョリティのいわゆる「やまと」に対する、あるいは在沖米軍に対するレジスタンスとして使われてきた歴史的文脈がある。
11月5日 [THU]
洗濯して室内に干して那覇空港へ。ミッションの大半はこなすことができた。それはいいとして、取材仕事を抱えて来ることが大半なので緊張が途切れず、ひどく疲れているか、そのせいか睡眠障害は東京にいるときよりひどいなあと思う。空港ロビーで「うちなー弁当」を喰う。機内で『神聖喜劇』漫画版(全六巻)を読了。
*筆者の近況はtwitter(https://twitter.com/seijifujii1965)でご覧いただけます。
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藤井誠二(ふじい せいじ) 1965年名古屋生れ。ノンフィクションライター。2006年から沖縄県那覇市の中心部に仕事場を構え、東京都世田谷区と二拠点生活を送っている。著作は50冊以上。沖縄関係の著作は『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(講談社)、作家の仲村清司氏と建築家の普久原朝充氏との共著で『沖縄オトナの社会見学R18』(亜紀書房)、『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)がある。『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』は、2018年に第5回「沖縄書店大賞」沖縄部門で大賞を受賞。 |