アジアは今日も薄曇り
#05
台湾〈5〉秀巒野渓温泉
文・下川裕治 写真・廣橋賢蔵
タイヤル族が多く暮らす秀巒野村へ
谷底の嘎拉賀(がらほ)野渓温泉から汗を絞り、這いあがるようにして嘎拉賀の集落に戻った。汗を拭き、水をがぶがぶと飲む。すると、案内役の廣橋賢蔵さんの声がかかった。「次は秀巒(シウルァン)温泉に行きましょう。そこに野渓温泉があるって聞いていますから」
「野渓温泉?」
梵梵野渓温泉で膨らんだ野渓温泉のイメージは、嘎拉賀野渓谷温泉で一気にしぼんでしまっていた。温泉は上質なのかもしれないが、きつい山道に汗を流さないといけなかったのだ。いくつかの温泉に入り、廣橋さんの秘湯感覚もわかってきた。案内されるがままに向かうとかなりきつい。
「また山道?」
「地図で見ると秀巒村は谷底にある。そこまで車でいけるから、たぶん山道はないと思いますよ」
その言葉にすがるしかなかった。
車はカーブが多い山道を進んだ。山の中腹にキャンプ場があった。そこから眺めると、秀巒村は谷あいにある。民宿は一軒ある、とキャンプ場の管理人が教えてくれた。
坂道を一気にくだった。秀巒村は想像以上に大きな村だった。タイヤル族が多く住んでいる。一軒の食堂と売店もあった。
この谷の底に秀巒村があった。山が深い
台湾の秘湯旅は、先住民の村をめぐる旅だとわかってきた。日本もそうだが、温泉は山深い渓谷に湧出することが多い。台湾ではそこが先住民の世界だったのだ。
台湾という島の民族は、3エリアに分かれている。普通は北部、南部といった地域で分かれるが、台湾のそれは高度で色分けされている。海岸エリアは福建系の漢民族だ。そこから山に分け入っていくと、やはり漢民族だが、客家系の村に出合う。さらに山道を登っていくと先住民の村が出てくる。
先住民とひと口でいっても、そこにはさまざまな民族がいる。タイヤル族はそのなかでも大きなグループだ。顔立ちは漢民族のそれとはかなり違う。フィリピン人やインドネシア人に似ている。
タイヤル族に限らず、先住民はとにかく人がよかった。ときに度がすぎるほどだが。とくに日本人には親切だった。
日本統治時代、先住民は親日派と抗日派に分かれた。親日派が多かったといわれる。漢民族との軋轢があったからだ。しかしすり寄った日本は、やがて戦争に破れ、引き揚げていってしまう。梯子をはずされてしまったような状態に置かれた彼らはキリスト教に走った。アメリカやカナダから宣教師の存在が大きかったという。秀巒村にも立派な教会があった。
村の食堂は、奥で売店とつながっているような構造だった。台湾にある店というより、フィリピンの田舎町にいる気分になる。皆、カタコトの日本語で話しかけてくる。はじめて会った日本人だという男性もいた。
それなのに日本語を知っている。おそらく両親や周りの人が話していた記憶が残っているのだろう。「これはどう」、「こっちはおいしい」と盛んにすすめる。そしてこれも飲むか、と差し出されたのは、台湾ではめったに見ない安い酒だった。
先住民は酒と歌が大好きだ。しかし彼らと漢民族の経済格差はかなりある。先住民の村にいると、最後には貧困に出合ってしまう。
泊まったのは原舞曲民宿という宿だった。宿の主人が野渓温泉を案内くれることになっていた。彼は客家だった。
翌朝、宿の食堂に行くと、「行きましょう」と日本語で声をかけられた。訊くと前妻は沖縄の人だったという。
台湾の山中の村。そこに行くと、いままで接したことがない日本に出合う。
秀巒村で泊まった民宿の温泉を。この村はすべての家に温泉が引かれている。共同浴場もあった。ちょっと羨ましい
宿の主人を追うようにして村を横切り、吊り橋を渡った。川沿いの道を少し歩くと主人の足が止まった。このあたりだという。
山道を歩くことはなさそうでほッとしたが、このあたり、といわれても……。
すると主人は、泰崗(タイガン)渓と呼ばれる川に向かって進んでいった。しかし背丈が2メートルもある草に向かってやみくもに突っ込んでいく感じだ。道がないのだ。
嘎拉賀野渓温泉はきつかったが、道はあった。しかし秀巒野渓温泉は道がなかった。藪を押し分けて進むこと10分。ようやく河原に出た。小石が並ぶ河原はなく、大きな岩がごろごろと積み重なっている。その間を伝い、身を乗り出すようにして手を入れてみる。
冷たい。温泉の気配がしない。
「昨夜の雨で水量が増したからね」
と主人が呟くようにいった。水没してしまったらしい。野渓温泉は、一期一会の存在でもあった。
野渓温泉が水没してしまった泰崗渓。水が少ない冬なら確実に温泉に浸れるという
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著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ) 1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』『東南アジア全鉄道制覇の旅 インドネシア・マレーシア・ベトナム・カンボジア編』『週末ちょっとディープなタイ旅』『週末ちょっとディープなベトナム旅』『鉄路2万7千キロ 世界の「超」長距離列車を乗りつぶす』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。WEB連載は、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週日曜日に書いてるブログ)、「クリックディープ旅」、「どこへと訊かれて」(人々が通りすぎる世界の空港や駅物)「タビノート」(LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記)。 |