越えて国境、迷ってアジア
#05
インド・シッキム
文と写真・室橋裕和
インド東北部シッキム州。ここは周囲を4つの国に囲まれた場所だ。そしてかつては、ひとつの独立した国家でもあった。ヒマラヤの絶景の中、チベット国境を目指す。
5か国がせめぎ合う世界的にも珍しい場所
インド国産車アンバサダー・タクシーの中で僕は喘いでいた。黄色と黒のツートンカラーはレトロでかわいいが、エアコンがない。汗が噴き出てくる。窓は老朽化していて閉まらず、煤煙が渦巻く。そしてひどい渋滞だ。PM2.5に満ちたコルカタの毒煙でたっぷりと肺を汚染させながら、タクシーは市内をのろのろと蛇行する。
その間ひっきりなしに運転手は、自らの低賃金を呪い、日本人は金持ちだと天を仰ぎ、女か大麻を斡旋しようと営業トークを繰り返す。
気候も人も、すべてが暑苦しい。インドに来たんだなあ、という実感がわいてくる。
シアルダー鉄道駅に着く。バクシーシ(喜捨、チップ)を要求する運転手の声を無視して、小便臭い駅構内に入る。インド各地に向かう人の波でひどい混雑だ。列車を待っているのか単なるホームレスなのか、寝転がる人の群れが床を埋める。物売りも行き交う。列車の発着を知らせる電光掲示板は、ところどころ電飾が壊れていて判別ができない。
案内所を探し出してチケットを見せ、指定されたホームに行ってみるが、列車の姿はない。インド国鉄の制服を着た男に聞けば、3時間ほど遅れるという。がっくりと力が抜け、僕はホームに座り込んだ。
「一杯飲むかね」
傍らにチャイ売りが立っていた。
シアルダー駅はまるでパチンコ屋のようだった
移動ひとつとっても、ぐったり疲れるのがインドの旅だ。ともかく僕はコルカタを列車で出発すると北上し、ニュージャルパイグリというなにやら卑猥な名前の駅に到着した。
駅頭に立ち、物乞いの汚いガキどもにズボンやカバンを引っ張られながら、僕はスマホを取り出した。グーグルマップを見てみる。
「おおお~」
思わず声が漏れる。浮浪児たちは何事かと背伸びをして画面をのぞきこむ。我が位置を示す基点こそインド領内にあるが、拡大していけば南に10キロ足らずでバングラデシュ国境だ。西は20キロちょいでネパール国境に至る。そして東に50キロほど進めばブータン国境。加えて北には、中国領チベットとの国境が迫る。スマホを指し示しながら浮浪児相手に熱弁をカマす。
「いいか小僧ども、ここでは5か国がせめぎ合ってんだよ。世界的にも珍しい場所なんだぜ。おじさんの喜びが、エクスタシーがわかるか? バスターミナルはどこだ」
昂ぶりを抑えつつ、怯えた表情の少年たちが指し示す方向に行ってみれば、停まっているバンやミニバスは、ブータン国境プンツォリン行き、ネパール国境カカルビッタ行き、バングラデシュ国境バングラバンダ行き……しぶい。ここは立派な国際ターミナルなのだ。
このあたりはまた、人種の境界ともなっている。
ブータン、ネパール、チベットあたりが、我らがアジア人の、モンゴロイドの住まう西端なのである。先ほどの物乞い少年たちもアジアの顔立ちをしていたし、街をゆく人々も親近感のある扁平ヅラだ。しかしここから向こう、インド亜大陸から西は、コーカソイドを主とした違う人種の世界。
それゆえの難しさをはらんだ地域でもある。
モンゴロイドが主流民族となっているインド東北部では、独立運動や反政府ゲリラの活動がくすぶり続けている。いま僕のいる地も、ストライキや暴動が起きることがある。
それでも、カレーを出すインド系の屋台と、チベット風のうどんを茹でる食堂が並ぶおもしろさがある。サリー姿のインド人の少女と、ジーンズ姿のモンゴロイド系の少女が連れ立って歩いていたりもする。共通言語はヒンドゥー語よりもむしろ英語だ。対立しつつ助け合いつつ、そして交易しつつ、さまざまな人種がこの回廊のようなエリアで暮らしている。世界からずいぶんと離れた島国よりも、この地域のほうがよほど「国際社会」なのだと思った。
多種多様な人種が暮らすインド東北部
ダージリンの街で出会った子供たちはどんな民族にルーツを持つのか
独立王国だったシッキム、そしてインドの最果てへ
どの国境にもソソられたのだが、僕はあえてインド領内を北上した。ニュージャルパイグリから紅茶で知られたダージリンを経由し、シッキム州に向かうのだ。
インドからぽこりと北側に飛び出したシッキム州は、1975年まで独立した王国だった。これをインドが併合した。
ダージリンから乗り合いジープに乗って、つづら折りの山中を行く。道は悪い。東部ヒマラヤの懐に食い込んでいくように標高を上げていく。
やがて、ランポという小さな集落が見えてくる。そして、チベット様式のゲートの姿。ここはかつての「国境」なのだ。およそ40年前はインドとシッキムを分かつ国境だったはずが、いまでは西ベンガル州とシッキム州の「州境」へと変化をした。
ここからシッキムに入る者はいったん車を降り、イミグレーションさながらにパスポートチェックを受ける必要がある。その代わりに、シッキム州の超レアハンコがパスポートにいただけるのだ。朱肉のノリが悪くいまいち色合いが薄いのがやや残念だが、それでもうれしい。
かつてのインド=シッキム国境もいまは州境だ
シッキム州都、かつての首都ガントクは、ずいぶんとシャレオツで、豊かな街だった。パステルカラーのビルが山腹に立ち並び、ショッピングモールを観光客がそぞろ歩く。標高1500メートルのため下界のような暑さや不潔もなく快適だ。住民のチベット系やネパール系の人々はあっさりとした和やかな応対で、前のめりにガブリ寄ってくるかのようなインド人とはだいぶ違う。
アルコールにも寛容で、街のあちこちに居酒屋があるので、つい入り浸ってしまった。地ビールや地ワインまで生産されている。インド人にも酒好きは多いが、これだけ大っぴらに飲酒文化が根づいているのはシッキムとゴアくらいではないだろうか。
毎晩チベット風の水餃子モモをつまみに、昼から飲んだくれる生活を送っていたある日、旅行会社の軒先に興味深い案内を見つけた。ガントクのさらに北、チベット国境に近い山岳地帯への旅をアレンジしてくれるというのだ。
「特別なパーミットを取らないと入域できない国境地帯だ。個人では発給されないんだが、俺たちのような業者を通せば下りるんだぜ……」
旅行会社の男はサギ師のような笑顔を見せると、およそ2万円の旅費を提示してきた。インドにしてはえらい高額だが、クルマのチャーター代、ガソリン代、運転手つきと考えれば安いのだろう。
観光地としても人気になっているガントクの街
シッキム深奥への旅は、払った額以上に価値のあるものだった。世界第3位の高峰カンチェンジュンガを仰ぎ、標高4000メートルを超える峠をいくつも通過する。森林限界以上の高度のため、木々のない荒涼とした世界をジープは走り続けた。
そんな場所でもささやかな村があったり、ゴンパ(チベットの僧院)が立っていたりする。標高が高く宇宙に近いからか、青を通り越してもはや黒味を帯びた空にはためくのは、タルチョ(チベットの経文を描いた五色の祈祷旗)だ。
「ダンナ、そろそろやばいぜ」
河原のようなオフロードを、右に左に操っていた運転手が言う。あごで示されて車窓を見れば、インド軍の塹壕が無数に並んでいる。迷彩模様の兵舎もある。「もうこれ以上は無理だ。国境警備隊が出てくる。それにここらで、道が途切れる」
氷河の端を削り取って造成したかのような道は「ゼロ・ポイント」と呼ばれる地点で終わっていた。ここがインドの、ひとつの果てだ。ガントクから北部シッキムを巡るツアーは通常、ラチュン村とユムタン渓谷を巡るだけなのだが、僕は無理を言って国境ぎりぎりまで連れてきてもらったのだ。
「あの山の向こうが、中国だ」
わけもなく感動する。あの先が中国領チベット……。
冷たく乾いた高地砂漠の風に吹かれながら、僕はどうして、これほどに「境目」に惹かれるのだろうかと考えた。
チョルテン(仏塔)とタルチョは高地で見ると神々しさすら感じる
あの山塊を越えた先が中国領チベットだ
ゼロポイントにはインド最果てのキロポストが風に吹かれていた
*国境の場所は、こちらの地図→「越えて国境、迷ってアジア」をご参照ください。
*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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室橋裕和(むろはし ひろかず) 週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。 |