風まかせのカヌー旅
#01
パラオを出航 マイス暮らしイントロダクション
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
文と写真・林和代
ピンクのプルメリアでできた花かんむりやレイにうもれながら、私たちは大勢の人々に見送られ、意気揚々とパラオを出航した。
見事な青空。風はびゅんびゅん吹いている。
強烈な太陽を受けて真っ白に輝く三角帆は、風を孕んで大きく膨らみ、黄色いボディのマイスは真っ青な大海原を飛ぶように走っていた。北に向かって。
でもね、実はこれ逆風。行きたいのは東なんです……。
そもそもこの航海は、パラオの東にある島々を巡り、最後は一気に北上してサイパン、グアムに向かうというもの。そしてこの時期、ミクロネシアでは東からの風が安定的に吹く。
要は最初から、往路は逆風、復路は順風という計画なのだ。
わかっちゃいたが、きっちり北東の風。
これではカヌーを東に向ける事は不可能。ではどうするか。
何度も南北に行ったり来たり、ジグザグしながらちょっとずつ東に移動するという、気が遠くなるような牛歩戦術で進むのだ。
しかし、そんな事で気が遠くなっていては伝統航海はできない。
そのうち着くさー的メンタルこそ、最も重要なスキルのひとつと言えよう。
Photo: Phillip Engelhorn
ではここで、我がクルーたちを紹介しておこう。
まずは、キャプテン兼ナビゲーター、セサリオ。40年ほど前、門外不出とされるミクロネシアの伝統航海術をハワイなどに広く伝授したことで一躍太平洋の英雄となった伝説のナビゲーター、マウ・ピアイルクの息子。幼い頃からマウとともに航海してきたセサリオは、マウの遺志を継ぎ、現在パラオのカレッジ、PCCで航海術を教えている。そして今回は、息子ディランも初乗船。なんと7歳! ミアーノとアルビーノは、セサリオのもとで8年間クルーを勤める若頭的存在。以上はみな航海術のふるさと、サタワル島の人々である。ノーマンはイフルック出身。パラオでエンジニアをしているが、セサリオが長期航海に出る際は時々クルーとして乗り込む。そして2名のパラオ人、ロッドニーとムライスはPCCの職員で航海術を勉強しはじめたところ。そのほか、初航海となる日本のサラリーマン、オサムと、3度目になるアメリカンガール、エリー、そして私(ハヤシ)の3名が伝統航海ファンとして乗船。
こんな10名が、ひとつ舟の上でしばし暮らすこととなる。会話は英語が基本。しかし、みんなが自分の言葉を喋りがちなので、なかなかインターナショナル。
「バナナもぎもぎ~♪」
日本では聞いた事ないが、サタワルでは有名な日本語の童謡を陽気に歌いながら、アルビーノが船首にどっさり積み込まれたモンキーバナナをぱくついている。
その脇では、ココナッツが無造作に散らばり、船が揺れるたびゴロゴロと転がる。でもアルビーノは知らん顔。そこへミヤーノがやって来てココナツを片隅に集め、バナナの房やカヤックなど、そのへんにあるものを利用して固定した。
そしてデッキを見渡せば、差し入れという名の段ボールやタッパーがが所狭しと並んでいる。ほぼんどが食料のはずだが、中身は不明。こいつら全部、片付けなきゃならんが、さてどこから手を着けよーか。じっとにらんでいると、セサリオが言った。
「カッツ(私のあだ名)、ご飯はどこだ? 誰かが炊いたご飯を置いといたって言ってたぞ」
まじか。そんなもの、今日中に食べなきゃ腐るじゃないか。
私はエリーとともに、慌てて検品を開始した。
調理済みのご飯や魚は今日食す。しかし、マール(パンの実で作ったちまき的保存食)は1週間以上持つので放置。カップヌードルは20個出しておいて残りは1番ハッチへ、ツナ缶やスパムは5缶ずつ取り出し、あとは2番ハッチへ。
こんな要領でメモをとりつつ、その辺の男子に頼んで所定の位置に食料をしまってもらう。
整理整頓が苦手な私とエリー、実は必死である。
やっとひと息ついて一服していたら、ムライスがやって来て、我らのテキトーな作業を目にするや、
みるみるきちんと片付けていった。
厳しい姑さんの前でビビる嫁気分である。
おおかたデッキが片付くと、セサリオがシフトを発表した。我々は2班に分かれ、交代で働くのだ。
6~12時のシフトは、ミヤーノ、アルビーノ、ムライス、私。
12~6時は、ノーマン、ロッドニー、エリー、オサム。
セサリオは随時、ディランはもちろんオミソである。
午後の一番熱い時間帯と、深夜の眠い時間帯に働く12~6時は、なかなかきついので外れてラッキー。それに最も頼りになるミヤーノと一緒なのは心強い。
内心でほくそ笑んでいると、知らぬ間に各自が使うバンク(寝床)も決まっていた。
私はいつもと同じ、ギャリーボックス(台所)脇。それはよいが、私はエリーとシェアしろ、とのこと。
はーいと返事をしたあと、気がついた。私たち以外、みんな1人で1バンクを独占していたのだ。ちっ。
ではここで、すてきな「我が家」を簡単に紹介しておこう。
マイスは、2本のカヌーを板で繋げたいわゆる双胴船で、全長14メートル。幅6メートル。細長いカヌーの中は空洞で、それぞれ4つのハッチに区切られている。そのハッチ内の空間に荷物を収納し、その上にハンモックを結びつけて寝床にする。カヌーは長~いテントシートで覆われているので、中は寝室風になる。
デッキ中央にあるのは、ガスコンロが収納されたギャリーボックス。この周辺がいわば台所。やや後部の大きなキャプテンボックスは、押し入れ的存在。パスポートからトイレットペーパー、電池類など、濡れてはならぬものやら置き場に困ったものがめちゃくちゃに放り込まれている。
装備としては、船尾にソーラーパネルがあるので、デジカメなどの充電もできる。
最後尾にはエンジンも着いている。図体が大きいマイスは、サンゴ礁の細い水路を抜ける時、操舵だけでは微妙なコントロールができないためエンジンを使うのだ。
他に、島々と連絡を取るための無線機、いざと言う時のための衛星電話、ボタンを押すと信号が飛んで我らの位置をパラオに知らせるトラッキングディバイス、などという現代的な装置も一応積んでいる。
原始的な航海とは言え、カレッジの実習航海扱いなので、随所にモダーンな要素もあったりする。
そして今回は、なぜかシーカヤックがひとつ。
何のためかさっぱり分からなかったが、のちに思わぬ大活躍をすることとなる。
あとは、飲料水入りのタンクと食料たち。装備はざっとこんなものだ。
さて、お気づきだろうか。実はこのカヌー、トイレがない。
男性陣は、デッキからは見えなくなっている、カヌー外側の板=キャットウォークの後方で行う。小は立ったまま、大はしゃがんでお尻を海に突き出して用を足す。落ちると危ないのでハーネスを付けるのが本来の規則らしいが、面倒くさいので誰もしない。
でも、それはそれでちと怖い。
だから私は、初めてマイスに乗った時からトイレは前部の網の上と決めている。
ここは海の上の巨大ハンモック状態なので絶対に落ちることはない。座ってしまえば誰からも見えないし、網目は約10センチ四方なので、小でも大でも軽く通過する。それにこの場所、夜にはなかなかファンタジックな光景が満喫できたりする。見渡す限り真っ暗な水面。カヌーの舳先がゆっくり波を切ると、青く輝く無数の夜光虫がきらきらと瞬きながら、川のように連なって後ろへと流れてゆくのだ。
この幻想的な光景にうっとり見とれていると、突然大波をかぶってびしょ濡れになるという危険もあるにはあるが、それでも転落率ゼロのファンタジックなこのトイレは、私のお気に入りである。
こんなマイスで我らは一路、ングルー島を目指す。
*第12回『Festival of pacific arts』公式HPはこちら→https://festpac.visitguam.com/
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |