風まかせのカヌー旅
36 おミソですが、時には舵をとったりします。
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
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文と写真・林和代
「気持ちいいねー。ずっと船酔いで辛くて、早く舟を降りたいなんて思ってたこともあったけど、こんないい感じならずっと乗っていたいって思うよね」
深夜3時頃。真っ暗なデッキの上で、オサムがそう話しかけて来た。
ウエストファユを過ぎてからというもの、海はずっと穏やかで、雨も嵐も来ない。
風も変わらず北東から順調に吹き続け、マイスは快調にサイパンを目指して進んでいた。
空気はいい具合に乾いて心地よく、日中の太陽は強烈だけれど、夜になれば爽やかそのもの。
サタワル以降、シフトの入れ替えがあって、ミヤーノ、ムライス、オサムと私は12時〜6時という少々キツいシフトになったが、この気候のおかげでさほど苦にならない。
オサムは夜空を見上げていた。暗くて見えないけど、きっと嬉しそうな顔をしているに違いない。
「あれって、天の川?」
オサムがそう問いかけて来た。
「そうそう。日本じゃ見たことないけど、ここだと見えすぎちゃって、ありがたみに欠けるんだよねー」
実際、星はものすごくたくさん見える。私が住む東京と比べれば何百倍もの星が見えていると思う。
でもなぜか、太平洋のど真ん中でみる夜空は、どうも感動が薄い。
日本の高い山の上でみる星空は、キラキラした瞬きがたまらなく美しいが、太平洋上でみる星々には、そのキラキラ感があまり感じられない。
あえていうなら、奥行きがなくてペタッと見える、といった印象。
湿度のせいなのか、あるいは海抜が低すぎるせいなのか。理由はわからぬ。
そういえば昼間の海も、雄大な印象は薄い。
かつてハワイ島の山腹あたりで見下ろした太平洋は、わずかに弧を描く水平線も青くきらめく海もたいそう雄大に感じられたが、360度海に囲まれたカヌーから見る海は、やっぱりどこかペタッとしている。これはまあ、目線が低いからだとは思うけれど、遠近感に乏しい気がする。
とにかく、これほど海が穏やかなのだから、私もそろそろ働かねばなるまい。
重い腰を上げた私は、小一時間舵取りをしていたミヤーノに、代わるよ、と申し出た。
巨大な舵の先端。
第2話でも軽く説明したが、マイスの舵は巨大で、重さは約1トン、長さは約4メートル。
真ん中が船尾で固定されている。
舵を下ろせば、先端は海から持ち上がり、カヌーは風に押されるままに進む。
舵を持ち上げれば、先端が海に没し、自然な流れに抵抗して向きを変える。
また、右に押せばカヌーは左へ、左に押せばカヌーは右へ曲がる。
そんな単純な構造を利用して、カヌーが目指すコースから逸れないように常に舵を握って操るのが、舵取りの仕事だ。
今回の航海でも2、3度やったが、海が荒れているとやらせてもらえないので、ごくたまにしか回ってこないのが実情。その分、同シフトのミヤーノとムライスにツケが回って申し訳ないのだが、許されているのをいいことにサボり続け、結局ろくに習得できずにいた
が、今こそ少しは挽回すべき時であろう。
サタワルからサイパンへは、真北から一つだけ東、マイネパナファン(北北北東)を目指せば良いのだが、この頃、私たちはわずかに西に流されていた。
「ウエナーを目指すんだぞ」
ミヤーノはそういって私に舵を渡した。
ウエナーとは、北斗七星が昇る方角=北北東。都合よく、このタイミングで北斗七星が登ってきてくれればいいが、実際のところ、北斗七星はとっくに天高く登ってしまっているので目印にならない。 超初心者の私は、まず目の前に置かれた本物のコンパスできっちりウエナー(北北東)に進んでいることを確認。そしてマークを探し始めた。
細くとがった三日月が後ろの方で転がっていたが、前方は光がないので星がよく見えた。
ちょっとだけ赤っぽい星がちょうど、マストのてっぺんの右下にある。
でもってその星は、マストから右舷に伸びる何本ものロープが作る小さな三角形の中にあった。
この星がこの三角形の中に入ったままでいれば、北北東が維持できているということだ。
いいマークが見つかった。
舵をとる船尾から見た正面は、およそこんな感じ。マストからロープがたくさん伸びているので、マークをする時に大変有効である。
オンコース(正しい方角にある)の時は、波で上下動する舵をただ持っていればいい。
それでも時折、高いうねりが来ると、舵はビュワーンと持ち上がろうとする。
それをしっかり押さえるべきなのだが、押さえきれぬ私は舵が持ち上がるとぶら下がるような格好になる。でもうねりを超えると舵は結構な勢いでビュワーンと落ちて来る。
これで頭を打ったりすると大変危険なので、セサリオは私が舵取りするのをいつも心配する。
私は体重が軽いから舵取りはできない、といいたいところだが、実際、私とほぼ同じ身長のやせっぽちなサタワル青年でもしっかりコントロールできるので、その言い訳は通用しない。
でも、体が大きい方が有利なのは事実。
太っちょノーマンは、よく舵にまたがって操作する。持ち上がろうとする舵を体重で押さえられるのだ。クルーで一番背の高いエリーもしかり。
しかし、私がその体勢をとると、舵は私を乗せたまま高々と上がってしまう。
そうなれば、そのままステンと転げ落ちるのは確実なので、私は控えている。
心配なのだろう。ムライスが私の背後に立って、そっと舵に手を添えてくれる。
やがてマークの星が三角形から右側にちょっとずれた。
胸元にある舵をぐいっと押し下げつつ、マークした赤い星を凝視。
体重をぐっとかけて舵を下ろしたまま、星が動いていくのを待つ。そして例の三角形の中にきちんと戻ったのを確かめてからようやく舵を戻す。
「オッケー! カッツ!」
背後からムライスが褒めてくれた。心の中で小さくガッツポーズ。
でもたった30分でムライスと交代。この甘やかしが伸び悩みの原因でもある。
心配性のムライスは、私が舵を持つといつも補助に入ってくれる。
翌日の午後も海は穏やかだったので、私は練習のため再度、舵取りにチャレンジ。しかし、昨夜は寝ていたセサリオが、今日は愉快そうに、そして意地悪そうにニヤニヤしながら私を観察している。
「カッツ! マーク!」
マークに使うものを見つけろ、という意味だ。
わかっちゃいるが、昼間は星は見えない。目の前の空にはあちこちに雲があるが、星のように特定できる雲を見つけるのは難しい。
「お前のマークはどれだ?」
「えーっと、、、わかんない。あの雲、ガンガン動いてるし」
1分ほど私をからかったセサリオは、ようやく先生らしく、こういった。
「近くにある雲は早く動くからマークに使えない。水平線近くにある遠い雲で探すんだ」
なるほど。とはいえ、水平線上は、小さなモコモコ雲が延々と連なっていて、まるでくねくねした蛇が張り付いているよう。ひと目で他と区別がつく雲などありはしない。
えー?? どれを使えばいいのー???
「ほら、あれを使え」
ムライスが背後から指をさしてアドバイスしてくれるものの、どれなのかさっぱりわからない。
マーク探しに夢中になって、腕の力が抜けていたのだろう。
不意に舵が私の手をすり抜けてビュワーンと上がった。ムライスもちょうど手を離していた。
セサリオが危ない! と叫んだ。
大丈夫だってば。私はそう言いながら、てっぺまで上がって再び降りて来る舵をキャッチした。
「もう、危なかっただろ!」
「大丈夫だって。ちゃんとキャッチしたじゃん。練習しないといつまでたってもできるようにならないでしょ」
私はそう言い張って、舵取りを続けた。
夕日から右手にかけて、水平線が少しモコモコしている。それがマークに使えと言われた雲。どこを目指せば良いか、さっぱりわからない。
偉そうな口をきいているが、実際5回もカヌーに乗っててこのザマとは情けないと私自身、思う。
実を言えば舵取りは、初めてマイスに乗った日から誰でもこなす基本中の基本だったりするのだ。
私もいい加減、習得しないとまずいよなー、とは思っている。
しかし、決して無理をしない(努力しない)タイプなので、こうなっているのも当然ではある。
でも、サイパンまではまだ数日ある。
もう少しだけ練習して、少しだけ上達しよう。と心に誓ったのだが、そうは問屋がおろさなかった。
翌日から舟は激しく揺れだしたのであった。
[Photo by Osamu Kousuge]
船尾左にある白いアンテナのような棒に、何かがくっついているのがわかるだろうか。それは、ぺらぺらのビニール袋。風向きを見るための「旗」としてくくりつけられている。
聞くところによれば、うまくマークが見つからない時は、この「旗」で風向きを確認、進んでいる方角を推測して舵をとることもあるとか。
それに、夜、空全体が真っ暗な時は、第6話で紹介したうねりのコンパスを利用する。と言っても夜、うねりは見えない。カヌーの揺れ方で、正しいうねりに乗っているか、どちらにずれたかを判断して舵をとるらしい。
普段アホっぽく見えるのに、海に出るとおそるべき能力を発揮する。
そんなサタワル人は、やっぱり見逃せないと思う。
*本連載は月2回(第1&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |