風まかせのカヌー旅
26 サタワルの我が家
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
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文と写真・林和代
朝の光が、澄んだ水の中に斜めに差し込んでカーテンの如く揺らめく海は、まるでクスクス笑っているかのように朗らかに青く、晴れ渡った空もこれまた愉快そうにどーんと広がっていた。
その海と空の境い目、青の境界線を、不意にミヤーノが指差した。
思わず駆け寄って私も食い入るようにじっと見つめる。
すると、まっすぐな水平線上に、ちょこっとだけシミがにじんだような部分が見えた。
ラモトレックを出て1日。いよいよ最後の離島、サタワルだ。
PHOTO by Osamu Kousuge
風に乗ってマイスがびゅんびゅん走ると、シミのごとき点はみるみる大きくなって、今や前面に、緑色を煌めかせながら、細長く、薄っぺらく横たわっていた。
緑のラインの下で輝く白い線、ビーチには、所々に三角のとんがり屋根、カヌー小屋が点在している。
周囲約6キロ。人口500人。標高は平均3メートル。一番高いところでも6メートルほど。
薄っぺらくてちっぽけな島だけれど、セサリオ、ミヤーノ、アルビーノの故郷であり、私にとっても思い出が詰まった島である。
私は勇んでスーツケースから上陸用の荷造りをし、ラバラバを取り出して着用。
ようやく身支度をすませ、再び周囲をみやると、あたりには小さなカヌーがいくつも浮かんでいた。
一人乗りや二人乗りのカヌーが、我がマイスを囲むように集まっている。
大人の男性はもちろん、10歳ほどの少年少女、果てはおばちゃんまで、みんなきゃあきゃあはしゃぎながら、マイスに近づこうとオールを漕いでいる。
カッツ! 突然、マイスの真下にいて見えなかったカヌーから声がかかった。
見れば、痩せっぽちの男、アワスだ。なにか叫んでる。
「オイソウだろ? 荷物をよこせ!」
それを聞いたアルビーノが、私の荷物をアワスに渡す。
こうして私の荷物は自動的にオイソウに運ばれていった。
オイソウとは村の名前。私にとって「島のママ」ネウィーマンの家がある村だ。
ネウィーマンはマウの長女、つまりセサリオの姉である。彼女は2011年に若くして亡くなったが、
彼女の夫や娘夫婦、孫たちが暮らすオイソウの家が私の滞在先になると誰もが知っているのだ。
ちなみに、私の荷物を取りに来てくれたアワスは、ママの娘婿である。
荷物を見送った私は、背が高すぎて、うっかりするとラバラバがミニスカートになってしまうエリーの着がえを手伝っていた。すると浜から、海から、カッツー! という声がいくつも聞こえてきた。
「すごい、カッツ。みんなあなたのことを知ってるのね」
サタワルに顔見知りが多いことが自慢になるとも思えぬが、なぜか私はすこぶる得意げなのであった。
目がチカチカするほど太陽を反射する真白い砂浜を踏みしめると、思わずよろけた。
また陸酔いだ。船酔いよりはずっと楽だが、そうは言ってもヨタつくのはなかなかしんどい。
のろのろと砂浜を進むと、また名前を呼ばれた。顔を上げるとそこには懐かしい顔があった。
背が低く、胸よりもお腹の方がはるかに膨らんだ体にTシャツ&ラバラバ姿。
そしていかにもふてぶてしそうな笑顔。
ヘンリーナだ!
ママの一人娘であり、ママ亡き今、私の身元引き受け人でもある彼女は、私と軽くハグを交わすと、
連れている子供達を見やり、わかる? と言った。
そして私は、思わずのけぞった。
5年前に来た時、全裸で走り回っていたロミーナは、今やおしゃべりが止まらぬ少女になっており、赤ん坊だったロミオは愛くるしい少年に成長していた。
そしてそして、誰よりも会いたかった、娘のような存在のトレイシア。
10年前、初めて会った時はまだ5歳で、裸で走り回り、私にいつも張り付いて眠っていたキュートな女の子は、私より背が高い「女性」になっていた。
後列中央がヘンリーナ、同右が大きくなった「娘」のトレイシア。中央がおしゃべりロミーナ。前列はトレイシアたちの甥や姪。子供の成長の早さについていけない私はダントツの年長者。
オイソウの家は、カヌー小屋の脇をすり抜け、砂浜終わりを登ったすぐのところにある。
縦長の6角形のコンクリート造りで、その前には縁側的な存在の、屋根付きリビングがある。
ふらつきながらようやくたどり着くと、ヘンリーナはいつものダミ声で言った。
「オンティウ(横になりなさい)」
私は大きくうなづくと、ロミーナが持って来てくれた枕に頭を乗せて横になった。
足元でヘンリーナがパンダナスのうちわを大きく扇いでいる。自分と私、二人ぶん。
私が寝たまま、エガッチ・ヤーン(いい風よ〜)というと、ロミーナが私の口真似をしてエガッチ・ヤーン! と言って、子供達が一斉にケラケラ笑う。
サタワルに来たのはこれで5回目。と言っても1ヶ月ほど逗留したのは最初の2回だけ。あとはマイスで立ち寄ったので、数日から二週間と短かった。
しかも今回は5年ぶりだ。
それでも私は、我が家のような気分でくつろいでいた。
聞こえてくるのはサタワル語ばかり。意味はほとんどわからないけど、響きがなんとも懐かしい。
ウトウトしかかる私の足をポンと叩くと、ヘンリーナが何か喋った。
ウソースという単語が聞き取れたので、意味が推測できた。
土産を催促しているのだ。
ウソースは島の伝統文化、ビーズ細工の総称。
私が毎回、ウソース用のビーズを日本から持ってくることを彼女はよく知っている。
私はよいしょと体を起こすと、ヘンリーナの夫、アワスが運んで来てくれた段ボールをこじ開けた。
その箱の中は全て、サタワルの人々へのお土産だが、全部がこの一家へのものではない。
私は、このファミリー用に持参したものだけを箱に残し、OKと言った。
すると……子供達はもちろん、ヘンリーナとアワスも箱に群がり、壮絶な奪い合いが始まった。
子供達には100均で買った口紅やシール、手ぬぐいなど。それらは数があるのでまだ平和だった。 問題は大人用。島で人気が高い1000円の防水腕時計を持って来たが、数が足りず、ヘンリーナとアワスがムキになって奪い合う。が、結局はダミ声で睨みつけるヘンリーナが勝利。アワスはブツブツ文句を言いながら、他の土産をあさり出す。
いつもの光景だが、呆れるほど真剣で騒がしいこの争奪戦は、何度見ても愉快である。
気がつくと、私と一緒にこの家に泊まることになったエリーがすぐ後ろに立っていた。
とっても微妙な笑顔。もしかして、怯えてる?
「あ、エリー、大丈夫。大丈夫だから。土産奪い合ってるだけで、もうじき終わるから」
「ヘンリーナ! こちらはエリー。彼女も一緒に泊まるからね」
新品の腕時計を巻いてご満悦のヘンリーナは、懸命に笑顔を作るエリーを見やると、強い口調でいきなりこう言った。
「ベリービッグ!」
私はこんなヘンリーナが、大好きである。
オイソウの家のリビング(?)。床はなく、村中の地面がそうであるように、サンゴの死骸の小石が敷き詰められている。これはギザギザしていて座るととても痛い。そのため大きなシートやパンダナスのマットレスを敷き、その上で横になったりする。片隅には煮炊きができるかまどもあり、実質的にここは台所、食堂、居間を兼ねて利用されている。
離島情報コラム
【サタワル島】
サタワルは以下のイラストのような島である。
島の外周は約6キロ。
一番外側のリーフ(水面まで隆起しているサンゴ礁)の外側は急激に深くなっている外海。
一方内側は、水深1メートルに満たないほど浅く、狭く、まともな魚は獲れない。主に女性たちが歩いてタコをとったりする。
男性たちはリーフの上に立って魚を釣ったり、リーフのすぐ外で素潜り漁をしたりする。
砂浜の幅は、最大で20メートルほど。
砂浜が途切れるあたりで、地面が2メートルほど高くなる。
そしてそのすぐ内側は森。ヤシの木、パンの木、バナナの木など南国の木々が生い茂っている。
その森を分け入っていくと、やがて湿地帯となり、島の主食であるタロイモ畑が広がる。
村は、島の西側に連なっている。村の近くには、レモンやパパイヤ、マンゴーなど、どこかよその島から持ち込まれたと思われる果物の木もいくつか生えている。
自給自足の島でとれる食料はざっと以上のようなもの。
これまで立ち寄った離島はみな、広大なラグーンに囲まれた環礁で、穏やかなラグーンでは簡単に魚がたくさんとれる。
しかしサタワルは隆起サンゴ礁島でラグーンがなく、十分な魚をとるのが難しい。
そのためサタワルの男たちは、たくさんの大きな魚をとるため、カヌーで外洋に出る必要が強くあった。
だから航海術が最も盛んなのだと言われている。
*本連載は月2回(第1&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |