<時間旅行>戦前日本の日記
昭和11年: 東京で浪人生活をスタートした医大を目指す旧制中学の5年生で16歳の少年。#戦前の日記 #1936年7月2日
埼玉県在住。1月14日、2月18日、3月5日、3月17日、3月28日、4月1日、4月6日、4月9日、4月17日、5月14日、6月1日の日記と同じ人物。
医大予科を目指して勉強中の男子学生。他日の様子と変わらず真面目に勉強している。しかし、既にご紹介した次の年の3月~4月あたりの日記によればすべて落第し浪人となってしまうのだが。 さて、この日の日記の自由欄にある「永田中将殺害事件」というのは、前年の昭和10年8月12日に、陸軍内部の派閥争いに端を発したもので、皇道派の相沢三郎陸軍中佐が、陸軍省で統制派である永田鉄山軍務局長を、斬殺した事件のことだ。 事件後すぐ憲兵に拘束された相沢は、昭和11年5月7日に軍法会議に於いて死刑判決が下され、上訴するも6月30日棄却され死刑が確定した。自由欄の記述はそのときのニュースを受けてのことだろう。相沢はこの次の日である昭和11年7月3日、代々木衛戍刑務所内で銃殺刑に処された。 この事件により永田統制派と皇道派の派閥抗争は一層激化し、軍部はだんだんと統制が取れなくなっていく。後に皇道派の青年将校たちは、二・二六事件を起こし、永田が筆頭であった統制派は、東條英機が継承し太平洋戦争へ主導していくなど、その後の日本の流れに大きな影響を与えた。
【昭和11年の出来事】 1月 日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退 2月 全日本職業野球聯盟設立 2月 二・二六事件勃発し東京市に戒厳令布告(7月まで) 5月 阿部定事件 8月 ベルリンオリンピック開幕 9月 ソ連にてスターリンの粛清が始まる