ブルー・ジャーニー

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#99

アルゼンチン はるかなる国〈18〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

「『喉に球がつかえて』自由に息もできないような感動」

 アルベルト・グラナードとエルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナは南米大陸をめぐる8カ月2万キロの旅の日々を、それぞれ日記に書き記した。

 グラナードの日記『トラベリング ウィズ ゲバラ』のスペイン語版は、1978年、キューバで出版された。

 それから15年後の1993年、ゲバラの日記のスペイン語版『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』が出版された。1967年の死から26年がたっていた。

 グラナードはゲバラの日記を──遺産管理者の手元にあったので──読むことができなかったし、ゲバラもグラナードの日記を読むことは不可能だったが──モーターバイクで転んだ回数などの――細かな事実の相違を除けば、ふたつの日記は補完し合いながら、軽やかでいて深く、いつまでも古びることのない世界を構築している。

 

1801

 

『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』は映画化され、2004年、『モーターサイクル・ダイアリーズ』というタイトルで公開された。

 撮影に立ち会ったグラナードは言った。

「旅は殻を破ることから始まる。家族や恋人に対して“いい子”ではいられない。それができないなら旅に出るな」

 旅を終えたゲバラは日記を整理しながら思った。

 ──ここにあるメモを記した人物は、ふたたびアルゼンチンの大地を踏んだときに死んでしまった。これらのメモを整理し、きれいに整える「僕」とは、僕のことではない。少なくとも内面は、前とおなじ僕ではない。この「はてしなく広いアメリカ(※南米大陸)」をさまよう旅は、思った以上に僕を変えてしまった。

 

1802

 

 木も石もない、どこまでも水平の広がり、パンパ。入植者たちは、家を建てるための石をヨーロッパから運び入れなければならなかった。

 12月から1月にかけての真夏、溶鉱炉から吹きつけるような北風がつづき、ようやく止んだかとひと息つく蒸し暑い午後、パンペロと呼ばれる暴風はやってくる。

 突然のように世界は漆黒に覆われ、地平線に噴火のようにわき起こった雲に空はみるみるうちに塗りつぶされ、雷鳴と稲妻、家々の屋根を吹き飛ばそうとする南西の風にパンパは支配される。

 気候は湿潤で土壌はとりわけ肥沃なパンパに、なぜ草以外のものが育たないのか? ダーウィンはパンペロがあまりに烈しいからではないかと考えたが、後日、移植されたユーカリによって推測は否定された。原産地のオーストラリアでは見られないほど高く育ち、豊かに葉を茂らせたからだった。

 どうしてパンパには石も木もないのか、科学者たちは未だに解明できていない。

 

1803

 

 ──一二回転び、転ぶごとに豪快な転び方になっていった。メダーノスを過ぎると、フーセル(※ゲバラの愛称)が運転した。かなりの速度で砂丘に入ると、またしてもみごとに転んだ。(17日目 グラナード記)

 ──何も起きない長い道のりに、オートバイは退屈のあまりため息をつき、僕たちは疲れ切って息を切らしていた。(18日目 ゲバラ記)

 ──俺は幸せだった。長年の夢が実現することほど人を幸せにすることはない。旅の計画を打ち明けた人をひとり残らず思い浮かべた。とくに女の子のことを考えた。彼女たちにとって旅は最も恐れるライバルだった。(19日目 グラナード記)

 ──虚しい試みをいくつもしてから、ようやくなんとか警察署の空いている監房に泊まる許可をもらった。俺たちの隣の監房では、囚人が二人、贅沢な食事をしていた。彼らは臨時に収監された二人組の相場師だった。相場師にとってはわずかな施しにすぎない数本のワインと交換に、哀れな警官はみじめな隷属者に成り下がっている。(中略)

 彼(ゲバラ)は自分に言い聞かせるように、俺に話した。

「こういうことだよ。裏と表だ。コインにはいつも二面がある。風景の美しさ、土地が生み出す自然の富の裏には、それを作り出す貧しさがある。貧しい者の高潔と寛大さとは対照的に、地主や口を支配する者の精神は卑しく、あさましい」(23日目 グラナード記)

 

1804

 

 波打ち際に立って沖を眺めるとき、海は約4.5キロ先で水平線に切り取られ、終わる。

 起伏がないパンパの視界も同様で、わずか4.5キロ先までしか見えない。

 だからパンパに生きる人の多くは、パンパがどれほど広いのかを知らない。パンパで生まれ育ち、“ラ・プラタの博物学者”と呼ばれたW・H・ハドソンもそのひとりだった。

 ──「この狭い視界」のなかにずっと閉じこめられていた私が、はじめて丘に登ったときのことを覚えている。それはコリエンテス岬の近くの連山のひとつで、高さは八〇〇フィート(※約240メートル)もなかった。それでも私は山頂に達したとき、たいしたことのないその高さから見てさえ、大地があまりに広大なのに驚いた。パンパスで生まれ育ったものは、はじめて山地を訪れたとき「喉に球がつかえて」自由に息もできないような感動をしばしば味わう。

 

1805

 

 アンデス山脈に近づいていくにつれて、草深い《湿潤なパンパ》は姿を消し、大地は砂まじりの《不毛のパンパ》へと変化していく。

 どうして《湿潤なパンパ》に樹木が育たず、《不毛のパンパ》に木が生えているのか、この点についても科学者たちは未だに説明できていない。

 

 ──ふたたび激しい南風が吹き始め、情け容赦なく俺たちを叩いた。道はでこぼこ、風景も荒涼としている。不毛の丘と生長不良の低木のある平野や広大な荒野が交互に現れる。何キロものあいだ、一軒の家、一匹の動物も見えない。なにもない道だ。この砂漠の道が終われば、アンデスの山々や湖の美しさが待っていることを俺たちは知っている。だが、初期の開拓者はどんな気持ちだったのだろう? 彼らはいつ、どんなところに到着するのかわからずに、旅をしていたのだから。(24日目、グラナード記)

 ──やがて夜になってしまったので、僕らはそこの農園労働者の厨房で一夜を過ごさなければならなかった。(中略)彼らは概して口数が少なく、典型的な征服されたアラウカノ(※先住民族)で、自分たちに多くの不幸をもたらし、いまは自分たちを搾取している白人に対して、いまだに不信感を抱いているのだった。(26日目 ゲバラ記)

 

1806

1807

 

 駅の待合室、病院の片隅、テント、バイク修理工の家で眠り、ニジマスを釣り、石をぶつけてカモを取り、「あらゆるものを通りがかりの庭付きの家々で無心」し、針金でバイクを修理しながら──どうにも直せず20キロ歩いたこともあったが──パンパを縦断。映画のなかの10秒足らずのシーンの背後にあったのは、そのような25日間1200キロだった。

 

(つづく)

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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