ブルー・ジャーニー

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#92

アルゼンチン はるかなる国〈11〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

「いくら外からのぞき込んでも見えないところに、私たちはいたのです」

 ブエノスアイレスの南の端、ボカ地区へ。

 歩道と道路の高低差が大きくなり、ラ・プラタ川に近づいたことを知る。

 アルゼンチンとウルグアイのあいだを流れるラ・プラタ川。プラタはスペイン語で『銀』。上流に銀の国があるという噂を聞きつけてやってきた侵略者によって名づけられた。

 流域面積は日本の国土の8倍を上まわる310万平方キロ。3角形を描く河口の幅は東京〜名古屋間とほぼ同じ270キロ。つい「海のような」と言ってしまいたくなるこの川は、南東の強い風が吹くと流れを止め、やがて逆流を開始。海抜の低いボカの歩道は、あふれ出てくる水から逃れるために高くなっている。

 

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 住宅街の真ん中に突然のようにラ・ボンボネーラが姿を現す。

 アルゼンチン国民の半数がサポーターだと言われるフットボールチーム、ボカ・ジュニアーズ。ラ・ボンボネーラはそのホームスタジアムで、収容人数は5万7000人。世界で初めて、スタジアムとピッチのあいだに透明の防弾ガラスが張りめぐらされたスタジアムでもある。ボンボネーラはスペイン語で『チョコレート箱』。狭い敷地に垂直に立ち上がる独得の四角い形状からつけられた愛称だ。

 マラドーナがボカ・ジュニアーズに移籍したのは1981年。

「この小さいスタジアムはサッカーの歴史のなかでも滅多に見られないような熱気に揺れた」。デビュー戦を取材した記者は振り返り、言った。「スタンドは通路までひとが埋まり、いまではサッカーそのものというべき、マラドーナの磁力にあらゆるひとがひきつけられていた」

 

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 ヨーロッパから押し寄せてくる移民が上陸する場所だったボカ(=河口の意)。ブエノスアイレスでもっとも古いこの港湾地区は、同時にもっとも貧しい地域でもあり、いまもなお人口の4分の1が、明日の見えない毎日を送っている。勤務先の銀行の金を着服、刑務所に送られそうになった兄を助けるために有り金をはたき、持ち物を売り払ったエビータはボカの、これ以下はない安宿で思った。「絶対に勝ち上がってみせる」

 

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「ボカにフットボールチームをつくろう」

 1905年4月3日、集まったイタリア・ジェノバ出身の5人のなかから、やがてアルゼンチンを巻きこむ熱気は立ちのぼった。

 チーム名は”ボカの若者たち”を意味するボカ・ジュニアーズ。ジュニアーズはスペイン語ではなかったが、当時英語を使ったチーム名は少なくなかった。

 当初、青色のシャツと白いパンツを使用していたが、同じような配色、デザインのチームと対戦。「負けた方は、いま使用しているユニフォームの使用をやめる」ことを約束。負けたボカ・ジュニアーズが新しいユニフォームを決めることになり、クラブ会長のフアン・ブリチェットが言った。

「明日の朝、港にさいしょに入ってきた船の国の色にしよう」

 入港してきたのはスウェーデンの船だった。

 

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 1960年10月30日、ディエゴ・マラドーナは、大統領夫人エビータによって建てられた病院で生まれ、殺し屋、ちんぴら、泥棒、ポン引きがたむろするラヌースのスラム街で育った。落ちているレンガやボール紙で――合法的ではなく――つくられた家にはカーテンで仕切られた部屋が3つあるだけで、水道も電気もなかった。

 ラヌースはリアチュエロ川をはさんでブエノスアイレス市街と隣接する町で、リアチュエロ川の河口、ラ・プラタ側に流れこむところにボカは位置していた。

 ぶくぶくと泡をたてる脂色の水、鼻を突く腐臭、有害廃棄物、投げ捨てられた牛の肉や殺し屋に隠滅された証拠――いまもなお――世界でもっと汚い川のひとつに挙げられるリアチュエロ川。そのほとり林立する粉骨工場のひとつが、マラドーナの父、チトロの仕事場だった。

 マラドーナ家の向かいの小屋に住んでいたボリビア人は、朝6時に家を出て、疲れ切って帰ってくる父親のすがたをよく覚えていた。粉骨工場は皮のなめし工場とならんで、もっとも環境が劣悪でもっとも賃金の安い職場だった。ベルトコンベアに乗せられているのは牛の骨だとされていたが、どう見てもそれだけではなかった。大音響と舞い上がる粉塵のなか、労働者の大部分は次々に病に倒れていった。

 マラドーナの3歳の誕生日、叔父がサッカーボールをプレゼントしなかったら、一家がスラムから抜け出すことはほぼ不可能だっただろう。

 

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 17歳のマラドーナが22名メンバーからはずされた1978年のFIFAワールドカップ・アルゼンチン大会は“汚い戦争”のさなかに――国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルは開催反対を決定し、オランダを中心にヨーロッパ諸国にボイコットの動きはあったが――開催された。

 自分たちのためにワールドカップを成功させなければならないと考えた軍事政権は、選手の海外移籍を禁ずるなど代表チームの強化を積極的にサポート、絶対に優勝するよう監督と選手に命じた。

“汚い戦争”は1976年にクーデターで政権を握った軍部による国家テロだった。左派ゲリラの取締を理由に、労働組合員、活動家、ジャーナリスト、学生などが逮捕、監禁、拷問され、1983年までの8年間に死亡または行方不明になったひとは3万人を数えた。昨年の春、クラウンドファンディングで日本での上映を実現したドキュメンタリー映画、『天から落ちてきた男』。アルゼンチンの片田舎にヘリコプターから落とされ、村人に埋葬された男は3万人のうちのひとりだった。

 

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 ――私の名前はグラシエラ・ダレオ。いわゆる「消えた人々」の一人です。軍事独裁政権下のアルゼンチンで、もっと正確にいえば1978年にワールドカップが開催されていた間、私は陸軍機械学校(ESMA)の中に消えていました。

 

『ゴールの見えない物語(サイモン・クーパー編)』に収録されている『消えた人々〜塀の中のワールドカップ』。主人公の女性、グラシエラ・ダレオは大勢のひとが行き交う地下鉄の駅で軍事政権の特殊部隊に連れ去られ、ワールドカップ決勝が行われるリバープレート・スタジアムのすぐそばに位置するESMAのとびらの向こうに消えた。

 

 ――連中は「拉致する」と言わず、「吸い込む」と言いました。収容所の囚人を「消えた人々」とか「拉致された人々」ではなく、「吸い込まれた人々」と呼んだのです。人が水中に落ち、そのまま吸い込まれてしまうような感じです。人が水の中に消えると、しばらく波紋が残るけれど、また何事もなかったかのように静かな水面に戻る。その水の中に、いくら外からのぞき込んでも見えないところに、私たちはいたのです。 

  

 ヘリコプターに乗せられる順番を待つグループからはずされたダレオは、“回復計画”と呼ばれる、社会全体に行うために開発された洗脳プログラムの実験台にされた。

 

 ――収容所の中で一日中手錠や目隠しをされている囚人たち、あるいは7カ月、8カ月、9カ月と、処刑の日までこの沈黙の世界でじっと過ごしてきた人々の耳に、スタジアムの大歓声が聞こえてくるのです。

 

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「出かける準備をしろ!」

 1978年6月25日、ダレオは緑のプジョーに乗せられ、ブエノスアイレス中心部に向かった。洗脳プログラムの成果を確認するためだった。

 

 ――町には凄まじい人の波が、歓喜のうねりをあげていました。それはまるで、私たち革命の闘士が夢見ていた「解放の日」の光景でしたが、人々が通りに出ていたのは、もちろんアルゼンチンのワールドカップ優勝を祝うためでした。

 私は許しを得て、外の光景を見回しました。信じられませんでした。群衆が幾筋もの川の流れのように連なり、みんな声をかぎりに歌っていたのです。

 私は泣けてきました。

 群衆と一体化して感極まったのではありません。今ここで「私は『消えた人』です!」と叫んでも、誰も見向きもしないだろう――そう思うと涙が出てきたのです。

 

 洗脳されたふりをして生き延びたダレオは、軍部と活動家が、まるで仲間のようにアルゼンチンの勝利を喜んでいる姿を受け入れることができなかった。『権力にスポーツを利用させてはいけない、独裁政権にワールドカップ開催の栄誉を与えるべきではなかった』

 男性の活動家の多くは首を横に振った。

「きみが理屈で考えられるのは、サッカーが好きじゃないからだ」

 

 

(つづく)

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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