ブルー・ジャーニー

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#91

アルゼンチン はるかなる国〈10〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

「雄牛1頭、雌牛7頭から始まった」

「ブエノスアイレスのもっとも顕著な特徴はオロール・ポルティーニョ、すなわち新鮮な牛肉が焼ける匂いである」。ニューヨークタイムズにアルゼンチン事情について数多く寄稿した作家、バーナード・コリアーは言った。「新鮮な牛肉なしではアルゼンチン人は元気が出ず、いらいらして、空腹を覚え、絶えず欲求不満におちいる。羊肉を与えても、それは彼らの賞味するところではない。鶏肉、魚肉、豚肉などは彼らにとって、ベビーフードでしかない」

 

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 ブエノスアイレスを中心に半径約600キロの半円形、関東平野の約60倍の広がり、パンパ。かつて、このビリヤード台のように平坦な地には雑草がまばらに生えているだけで、馬も牛もいなかった。

 1535年、最初の入植者がスペインから72頭の馬を連れて現在のブエノスアイレス周辺に上陸、町の建設にとりかかったが、先住民に1000人分の食糧を要求し、衝突。死者が出るほど激しい争いになったために雄馬7頭、雌馬5頭を残して帰国。

 牛がパンパに連れてこられたのは1555年もしくは1575年。雄牛1頭、雌牛7頭が始まりだった。

 大型で草食の4足動物が、数も種類も少なかったアメリカ大陸。生物学的な空白地帯に放り出された馬と牛は猛烈な勢いで増えていった。

 興奮した野生の馬の群れが沼地に突入。先頭の馬が足を取られて転倒すると、後続がつぎつぎにその上の折り重なり、ざっと見て1000頭が圧死。スペインの博物学者アザラは、幾度かそういう光景を目撃したと旅行記に記録。後日、ビーグル号で南アメリカ大陸を調査したチャールズ・ダーウィンは、パンパに骨の裂片で埋め尽くされた小川があることを確認した。

 パンパの景色は野生化した馬や牛によってどんどん塗り替えられていった。グアナコ(ラクダ科ラマ属の哺乳動物)や鹿やダチョウはほとんど駆逐され、大量の糞が雑草の大地を緑の絨毯に変えた。

 

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 変化したのは植生や動物だけではなかった。

 はじめのころ、イベリア半島からやってきた農民が望んだのは故郷での生活の再現だった。石造りの家を建て、木を植え、野菜を育てようと庭をつくったが、サラダやパンやフルーツを食べ、ワインを楽しむ生活は根付かなかった。やがて牛や馬を追ってパンパを駆けめぐるようになり――大平原に若い白人女性などいなかったから――先住民の女性と結婚し、“ガウチョ”と呼ばれるようになっていった。

 18世紀半ば、イギリスに始まった産業革命。初期の機械には可動部分をはじめ、皮革部品が数多く使われており、アルゼンチンに原材料の注文が殺到。ブエノスアイレスの商人から依頼を受け、ガウチョは野生の牛の群れを追った。

 疾走する馬上からボレアドーラス(3つの石を皮の紐でつないだ石投げ縄)を投げて捕獲。皮を剥ぎ、肉を捨てて、つぎの群れを追った。1780年代だけで1000万頭分の皮が大西洋を渡った。

 野生化した牛や馬が猛獣のようになっていったように、ガウチョからイベリア半島の農民の面影は薄れていった。

 ポンチョをまとい、ギターを携え、数カ月間、牛肉だけを食べて旅をつづけた。すばやく現実をとらえて判断し、飢えや疲労や気温の急激な変化につねに備え、大きな突然の危険に直面しても動じなくなった。狼のように忍耐強く、機敏で、苦痛や敗北に耐えた。

 どんな荒馬も乗りこなせなければガウチョではなかった。手綱や鞍をつけられたことのない若駒を、たったひとりでつかまえて乗りこなした。馬から落ちるとか、馬のわがままを許すという考えは頭になかった。

 パンパを駆けめぐるうちに、馬も変化していった。ヨーロッパの猟馬のように足音を響かせることはなかった。頭を下げ、蹄で地面をかすめるように走った。すべての力を控えめに使わなければ生き延びられないからだった。人目を引く美しさは失われたが、タフでしたたかな生き物になった。

 

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 いついつまでも生きられる

 と思っているのかこの馬鹿め

 死というやつがそのへんで

 待っていることがわからねえ

 だが世間とはそんなもの

 良くも悪くも運命はじっと隠れてひとを待つ

 

 “アルゼンチンの聖書”と呼ばれた『マルティン・フィエロ』。小学校の正課として朗読を義務づけられていたこの叙事詩についてボルヘスは述べた。

「社会や家庭のなかにあって、不公正感や疎外感をもっているのは自分ひとりだと考え、人生の相談相手になるような本を求めている人は『マルティン・フィエロ』をひもときなさい」

 コルタサルは言った。

「『マルティン・フィエロ』がもっとも重要かつ独創的な作品であることは疑問の余地がなく、アルゼンチンの詩の最高傑作であり、典型的なラテン・アメリカ魂を表現しているすぐれた作品のひとつである」

『マルティン・フィエロ』を英訳したウォルター・オーウェンは訳者序文に書き記した。

「どの国にも、またいかなる時代にも、肉体的な力、大胆さ、苦痛に対する無関心、そして忍耐をこれほどまでに高く評価された人種は、おそらく存在しなかっただろう」

 

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 パンパを旅している最中、何度も「深くむごたらしい傷が顔にあるひと」を見かけたダーウィンは、やがて「日曜日にナイフを持ち歩いてはいけない、という掟がある」ことを、これを破ると「枷をはめられる」ことを知った。日曜日は賭けごとや飲酒が集中し、あちこちでいさかいが起き、殺傷沙汰になるからだった。

 弓なりに曲がった両刃の短刀、ファコンで戦うことがガウチョの掟だった。左腕に巻きつけたポンチョを楯に、ファコンをぐるぐるまわしながら、相手の喉もとを切り裂くチャンスをうかがった。

「獲物のために火薬を無駄にしないことが彼らの不文律。ナイフの扱いに長けたガウチョはその掟を遵守することに喜びを見出していた」。青少年期をパンパで過ごした博物学者、W・H・ハドソンは『はるかな国、遠い国』で、こう回想している。「集会や牛の烙印押しなど、ガウチョが集まると、またかと思われるほどしげしげと、人殺しの話が出ました。捕虜をあやめるには、大切な弾丸を使うな、というのが、当時のアルゼンチン軍隊の不文律でした。小刀を使うことに老巧なガウチョは、得たり賢しと、この不文律に従いました。残虐を極めた自分たちの行為に陶酔している、悪魔のように振る舞ったということを、知っていました」

 ボルヘスの作品にもしばしばファコンが登場する。

 ――ウルリアルの短剣がダンカンの顔をめがけて光ったかと思うと、急にその刃が短くなった。背の高い男の胸に突き刺さったのだ。『めぐりあい』

 ――最後にムラーニャが相手の顔を深く切り刻み、こう言うのである、「きさまがもう一度やってきておれに挑戦できるように、命だけはとっておいてやろう。『肝魂信仰』

 ――この界隈にナイフさばきの凄い男がいることを聞いたもんでね。おれはそいつを探しているんだ。なんでもその男は『人切り魔』と呼ばれる、ひどく手荒な男だということだ。おれはそいつに会いたいんだ。肚の据わった男っていうのは、いかに恰好よく振舞うものか、おれみたいなケチな男にもひとつ見せてもらいたいと思ってね。『バラ色の街角の男』

 

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 1617年、ガウチョ的な人間がパンパに姿を現し、18世紀初頭、ガウチョの典型が成立。そして今から100年余り前、個人牧場主によってパンパに針金の柵が張り巡らされ、駆けめぐる自由を奪われるようになると、姿を消した。

 

 

(つづく)

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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