越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#90

台湾海峡一周〈6〉福建省・閩清→福州

文と写真・室橋裕和

 福建省に源流があり、ここから各国に広がっていった料理はいくつもある。福建華僑たちがアジアに散っていく過程で現地に伝え、それぞれの土地の食文化を取り入れ、融合していったものだ。そのひとつが日本の長崎ちゃんぽんだ。そんなメニューのルーツを訪ねてみる。

 

日本との関係が強い福建省 

「閩江(ミンチャン)っていうんだけどね。昔はよく氾濫したらしいんだ。洪水が起きたり、田畑が浸水したりね」

 チャンさんの話を聞きながら、福建省の山中に分け入っていく。車を運転しているのはリンさんだ。州都の福州から、日本のような高速道路に乗って30分ほど走れば、もう山間部なのだ。耕作地が少なく、目立った産業もなく、かつては貧しい寒村がたくさんあったのだという。それは福建人が海外を目指す大きな理由となった。

 山の谷間を流れる閩江に沿うように、道路は続く。やがて見えてきたのは巨大なダムだった。

「これはねえ、日本がつくってくれたダムなんだよ。おかげで下流での氾濫もなくなったし、たくさんの中国人が土木や治水の技術を学べたんだ」

 チャンさんがそんなことを言う。福州にもそびえる摩天楼や、走り回る高級車を見ていると、いまやすっかり日中の立場は逆転したようにも見えるが、まだまだそんなことはないのだと、出会う誰もが言う。

 次に案内されたのは、閩江を抱く閩清(ミンチン)県にあるゴム工場だった。自動車産業やパソコン関連など、ゴム製品の需要は世界的に高い。中国でも有望な産業のひとつだが、ここは日本との合弁企業なのだ。

 工場長以下、幹部の皆さんは日本留学経験者で、誰もがきれいな日本語を話す。応接室には日本人形が飾られていた。いまも日本帰りの留学生を採用しているのだそうだ。ナゼか僕の隣に侍った作業服姿の美女も、八王子の大学で学んでいたのだという。

「工場での品質管理も安全管理も、なにもかも日本スタイルなんですよ。こういう工場は福建省では珍しいかもしれない」

 工場長は胸を張る。工場内はきわめて清潔に保たれ、機械類はよく整備され、薄くオイルの匂いが漂う。確かに日本の工場のようだった。国境を越えて技術や人が行き来する時代の、ひとつの結晶なのだろう。

 

01閩江に築かれたダムは日本が建設したもの。福建省の経済を支えた存在だ

 

 

これが長崎ちゃんぽんのルーツ 

 福建省では料理もまた、国境を越えて広がっていったそうだ。そのひとつが燜麺(メンミェン)。福清を中心に福建省でよく食べられていて、海鮮麺と看板を出していることもある。このあたりの特産である小さな牡蠣や、イカ、エビなどがたっぷりと入り、じんわりと温まる。

 この燜麺がルーツと言われている料理が、長崎ちゃんぽんだ。考案したのは福清出身の華僑・陳平順氏だといわれる。彼は長崎で経営していた中華料理店で、同郷の留学生たちのために、燜麺をアレンジした麺料理をつくったのだとか。それが現在の長崎ちゃんぽんにつながっていく。

 福州の小さな食堂で燜麺を食べてみたが、これが確かに長崎ちゃんぽんのあの風味にそっくりなのだ。海鮮の出汁がよく効いていて、スープまで飲み干してしまう。

 もうひとつ、福清や福州の郷土料理として親しまれているものが海蛎饼(ハイリーピン)だ。さっくり揚がった衣の中には、キャベツやニラ、豚肉、それに牡蠣とノリとがみっしりと詰まっていて、酢醤油によく合う。この海蛎饼を、一大チャイナタウンとなった埼玉・西川口にある福建料理店で食べて以来、僕はファンになった。

 福建でもぜひ探そうと思っていたのだ。福清では庶民のおやつのような感じで、食堂でも屋台でもあったし、雑貨屋の軒先で揚げているところもよく見かける。その場で食べていく人もいれば、たくさんお持ち帰りしていく人もいる。西川口で食べたものよりも、さらにノリと牡蠣がたっぷりで、しかも1個3元(約45円)という安さだった。

 

02

福建では長崎ちゃんぽんのルーツにも出会える。こちらは福州でいただいた燜麺、海鮮のコクたっぷり

 

03

庶民のスナック海蛎饼は福清の下町には欠かせない。食堂のおばちゃんが揚げる様子を見せてくれた

 

04さくさく海蛎饼は中にノリと牡蠣ベースの餡がたっぷり。日本では西川口の『福記』がおすすめ

 

東南アジアの食文化にも大きな影響を与えた 

 福建華僑たちがもっとも多く流れ着いたのは、東南アジアだ。19世紀以降、マレーシアやシンガポール、インドネシアに移り住む福建人が増えはじめる。このあたりを植民地支配していたイギリスやオランダが建設したプランテーションでは、大量の労働力を必要としたからだ。タイでも、スズ鉱山の開発や運河の掘削などに、無数の中国人が使役された。いまでは各国で政治的・経済的な力を持つまでになった福建華僑だが、当初は苦力(クーリー)と呼ばれた肉体労働者だったのだ。

 彼らの持ち込んだ燜麺などの福建の麺料理は、やがてマレー半島各地の風土や産物に合わせて姿を変え、ホッケンミー(福建麺)と呼ばれるようになる。シンガポールとマレーシアでは熱帯気候に合わせて熱いスープ麺ではなく焼きそばとなり、サンバルというチリペーストや唐辛子を加えるなど変化を加えて、土地になじんでいった。シンガポールでは観光客にも人気の庶民料理だ。

 また炒餜条は、タイの米麺「クイッティオ」の原型なのだとか。米粉を麺にして茹でたり焼いたりする文化も、福建省からもたらされたといわれる。福建の至るところで見る海蠣煎(牡蠣の卵とじ)は、やはりタイの屋台には欠かせないオースワンという料理になっている。

 僕が主戦場としている東南アジアの味覚には、福建人のDNAが溶け込んでいるのだ。

 

05

こちらはタイ・プーケットのホッケンミー。卵の絡んだもちもちの太麺がいい

 

06

これもプーケットのホッケンミー。店によってだいぶ違う。いまではリゾート地のプーケットだが、スズ鉱山を採掘した中国人が開拓した島でもある

 

帰国した華僑がもたらした、新しい味 

 現地に同化していく華僑たちの一方で、夢破れて帰国したり、「故郷に錦を」と凱旋する人たちもいる。日本から福清に戻った留学生たちと同様に、厦門(アモイ)でもたくさんの華僑が出戻って、経済成長を支えている。

 彼らが東南アジアから持ち帰った料理が、沙茶麺(シャーチャーミェン)だ。これはインドネシアやマレーシアでポピュラーな串焼き肉サテーがもとになっている。サテーを焼くときに使うピーナツソースや、東南アジアでよく使われる蝦醤、香辛料や唐辛子などをミックスして、麺のスープにしているのだ。

 厦門では町中の食堂でも、屋台でも、どこでも「沙茶麺」の看板を見かけ、これまたソウルフードのように定着している。福建ではそんな華僑の長い旅を感じさせる料理とあちこちで出会うのだ。

 そして現代では、成功した福建人たちは、日本から高級魚を取り寄せ、ヨーロッパからワインを輸入し、国境にとらわれないグローバルな食文化を謳歌している。その中から、また新しい味が生まれるのかもしれない。

 

07

厦門名物の沙茶麺は、福建と南洋とが融合した料理なのだ

 

(次回に続く)

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

*好評発売中!

『最新改訂版 バックパッカーズ読本』

発行:双葉社 定価:本体1600円+税

 

cover

 

 

 

BorderAsia00_writer01

室橋裕和(むろはし ひろかず)

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『日本の異国』(晶文社)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)。

 

最新刊『バンコクドリーム Gダイアリー編集部青春記』

(イーストプレス)発売中!

タイ・バンコクに編集部を置き、風俗から秘境旅、戦場ルポやグルメ、政治経済まで雑多な記事を満載し、アジアの伝説と呼ばれた雑誌「Gダイアリー」で編集記者として働いた日々の記録。Gダイ名物ライターの素顔から、雑誌作りの裏側、タイの政変に巻き込まれた顛末、「アジアの雑誌」との分裂騒動まであますことなく伝える。アジアを目指す男たちが愛したGダイが、いま甦る!

紀行エッセイガイド好評発売中!!

ISBN978-4-575-31280-5

最新改訂版 バックパッカーズ読本

     

越えて国境、迷ってアジア
バックナンバー

その他の辺境・秘境の旅

ページトップアンカー