ブーツの国の街角で

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#85

ヴァルトゥルナンシュ:夏のバカンス with コロナ(後編)

文と写真・田島麻美

 

 

 

 

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 夏のバカンス後半は、モンテ・ローザからモンテ・チェルヴィーノ(マッターホルン)へ移動。マッターホルンのイタリア側の拠点といえばチェルヴィニアが特に有名で、去年初めてチェルヴィーノに行った時は私もこの街にベースを置いたのだが、国際色豊かでモダンなチェルヴィニアの街は、静かで素朴な山の村を愛する私にはちょっと場違いな感じがしていた。そこで、昨夏チェルヴィーノ周辺の村をいくつか偵察した中でとても気に入ったヴァルトゥルナンシュ村に今年は滞在することにした。ヴァルトゥルナンシュもチェルヴィニア同様、周囲に多数のゲレンデや登山道を擁するマウンテン・スポーツのメッカだが、渓谷の谷間にある小さな村は穏やかでのんびりしたアルプスの雰囲気に満ちていて、喧騒を逃れて自然の中で寛ぎたい私には理想的な滞在先だった。マッターホルンを望む小さな村の滞在記をご紹介しよう。

 

 

 

移動手段の確保が必須事項に

 

   モンテ・ローザで爽快な空気をたっぷり吸収した後、次なる名山マッターホルンを目指した。モンテ・ローザの麓シャンポリュックがあるアヤス渓谷とマッターホルンの麓トゥルナンシュ渓谷の位置を地図で見ると、ちょうどV字型になっていて、二つの渓谷は高い山脈で隔たっている。距離的にはそれほど遠くないのだが、いかんせんこの2つの渓谷を結ぶバスの乗り継ぎが不便で、3つのバスを細切れに乗り継がなければいけない上、どの停留所でも1時間前後の待ち時間がある。今年はアオスタ州のバスが無料になったと知って、時間をかけてのんびり移動するのも悪くないと思ったのだが、一つ大きな問題を見逃していた。州バスも乗車率50%の義務付けがあったのだ。1時間半も待ったバスに乗れなかったら、日陰もない炎天下の停留所でさらに1時間以上待ちぼうけを喰らうことになる。移動日は週末ではなかったが、既にバカンス・シーズンのピークに入っていてバスが満員という可能性も否定できない。どうしようか迷ってツーリスト・インフォメーションのお姉さんに助言を求めると、「2つの渓谷を往復する乗合タクシーがある」と教えてくれた。通常は6人乗りで一人25€の一律料金だそうだが、コロナ禍の影響でタクシーも最大3名までに限定されているので早めの予約が必須、と言われた。早速電話してみると我々以外に予約者はおらず、1台貸し切りで75€とのことだった。無料か75€か。ギリギリまで悩んだが、下手をすると貴重なバカンスの1日を移動で潰してしまう無料バスよりも75€で1日の時間を買う方が良い、という結論に達した。移動日当日、予約時間ピッタリに来た乗合タクシーは座席のドア口に消毒ジェルのボトルを備え、シートも一人置きに座るようになっていた。広々した車内でゆったり寛ぎながら車窓の景色を楽しむうち、気がつけばヴァルトゥルナンシュの宿に到着していた。乗り継ぎの待ち時間がなければたった1時間ちょっとで着ける距離なのだ。暑さも荷物もウイルス感染も心配せずにラクラク移動でき、着いたらすぐにハイキングに出かけられる。75€はちっとも惜しくない金額だ。コロナ禍の影響がなければ恐らく乗合タクシーの存在を知ることはなかっただろうが、これはとても嬉しい発見だった。
 


 

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今回初めて利用した乗合タクシーの車内も感染防止対策がきちんとなされていた(上)。マッターホルンの麓に広がるトゥルナンシェ渓谷の中心となるヴァルトゥルナンシュの村(下)。
 

 

 

驚くほど改善したというアルプスの自然環境

 

  ヴァルトゥルナンシュでは家族経営の小さなB&Bに宿を取った。1週間の滞在中、奥さんやご主人とおしゃべりをする機会がたくさんあったが、話題の中心はやはり「新型コロナウイルス」だった。ヴァッレ・ダオスタ州は大自然に囲まれた人口密度イタリア最小の州で、新型コロナウイルスに関しても感染者・犠牲者数が飛び抜けて少ない。とはいえ、イタリア全土がロックダウンに入った期間は同州も同じように規制が敷かれていたので、彼らも不自由な生活をしていたことに変わりはない。私が州内の各地で徹底して実践されている感染防止策に感心すると、宿のご主人は「イタリア側は、だけどね」と少し渋い顔をした。どういうことかと尋ねると、「チェルヴィーノの向こう側のツェルマット(スイス)とこちら側で、ちょっとした揉め事があったんだ」と言った。イタリアが心痛の極みにあったロックダウン中とその後の段階的解除の期間、マッターホルンの向こうのスイス側は「コロナなどどこ吹く風」といった姿勢でゲレンデやホテル、パブやディスコが声高に「こっちに来れば楽しめるぞ!」と呼び込みをしたのだとか。解除後もイタリア国内では感染拡大防止に必死になっていたが、山の向こうとの意識の差が激しく、マッターホルンを挟んだ両国の村の間でちょっとした問題になった、とのことだった。平時なら、身一つで国境を越えられるというのはとても魅力的なことなのだが、こうした事態になると国境が近いエリアならではの苦労もいろいろあるということを初めて知った。その一方で、ロックダウン期間がもたらした予想外の恵みもあった、とご主人は言った。「コロナと温暖化に関係があるのかどうかは知らないけど、今年の春は雪がたくさん降って山のコンディションは最高だった。とにかく素晴らしい雪景色で、雪が溶けてからも、澄んだ空気に包まれた山の景色は近年まれに見る美しさだった。野生動物もたくさんいて、草木も花も生き生きとしてて。スキー客があの最高のゲレンデを滑れなかったのは残念だけど、山の自然環境は間違いなく改善したよ」。
 ご主人の話を聞いた翌日、去年も行ったマッターホルンの湖を巡る高地登山道へ足を運んだが、確かに去年より遥かに多くの残雪が見られた。スモッグが減ったせいか、周囲の高い山脈も遠方にあるグラン・パラディーゾの頂上も、去年よりずっとくっきり見える。ローマの自宅では想像もできなかったコロナ禍のアルプスの苦労と恩恵、両方の顔を垣間見た気がした。

 

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去夏も歩いたマッターホルンとモンテ・ローザを結ぶアルタヴィア(高地登山道)を歩き、チーメ・ビアンケの湖群を目指す(上)。去年はむき出しだった岩肌は残雪に覆われ、空気も段違いに澄んでいた(中上)。人工湖の向こうにはグラン・パラディーゾの頂上もくっきり見える(中下)。去年見た2つの湖だが、実は3つ目の湖もあったことを知った。去年は水不足のため3つ目の湖はほとんど干上がっていたようだ(下)。
 

 

 

マッターホルンの勇姿を望むビギナー向けお散歩コース

 

   アルプスの村々の宿や飲食店など、観光業に携わる人々にとっては厳しいバカンス・シーズンとなってしまったが、宿のご主人の言葉通り自然環境が劇的に改善したことははっきり見て取れた。人も少ない登山道で、二度と体験できないであろう「マッターホルン独占状態」の山歩きを体験しつつ、ここへ至るまでの経緯が走馬灯のように頭をよぎり、なんとも言葉にできない感慨を味わった。唯一残念だったのは、私自身のトレーニング不足によって長時間トレッキングができなかったことだが、代わりにモンテ・ローザ同様、気楽に歩ける絶景コースを発見することができた。ビギナーでも楽しく歩けるとっておきのマッターホルンお散歩コースを2つご紹介しよう。
 一つ目はヴァルトゥルナンシュからケーブルカーで標高2245mのラ・サレッテ/ La Saletteまで上り、そこから「マッターホルンの大バルコニー」と呼ばれるトレッキングコース107を歩いて標高2105mのシェニール/ Cheneilへと向かうルート。ケーブルカーで一気に高地へ登った後は、爽やかなアルプスの風に吹かれながら緩やかな下りを2時間ほど歩けば良いので、アップダウンが苦手な人でも苦にならないはずだ。背後にはマッターホルン山頂がそびえ、右手にはトゥルナンシェ渓谷の素晴らしい大パノラマが広がるコースはアルプスの雄大さを体感できる。爽快なトレッキングを楽しんでゴール地点のシェニールに着いたら、もう一つのお楽しみが待っている。山小屋兼レストラン『Hotel Panorama Al Bich/ホテル・パノラマ・アル・ビック』のテラス席で、マッターホルンを眺めながらアルプスの伝統料理に舌鼓という贅沢なランチタイムは、山歩きとともに忘れられない思い出になるだろう。シェニールからヴァルトゥルナンシュ村へは有料シャトルバス(1€)で戻ることもできるが、余裕があれば食後の散歩代わりに歩いてもいい。約1時間ちょっとの下りでヴァルトゥルナンシュの村に着く。
 

 

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ケーブルカーでラ・サレッテまで一気に登ると、トレッキングコース107の標識が現れる。背後にマッターホルン、右手に渓谷のパノラマを眺めながら爽快なハイキングが楽しめるルートだ。時折、放牧動物たちや草原から顔を出す野生のマーモットなどにも遭遇する。
 

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コースのゴール地点シェニールにある山小屋兼レストラン「ホテル・パノラマ・アル・ビック」。テラス席からはマッターホルンと周囲の山脈が見渡せる。ランチで食べた「サフランのリゾット鹿肉のラグー添え」は一皿で大満足の美味しさだった。
 

 

 マッターホルンのお散歩コース二つ目は、ヴァルトゥルナンシュからバスで10分ほどの所にあるペッレレス/ Perrèresからスタート。ペッレレスに着いたら、ルートに足を踏み入れる前にまず立ち寄りたいのが『アンティコ・フォルノ・フラミーニ/Antico Forno Flamini』というお菓子屋さん。ピクニックエリアの入り口の隣にあるこのお菓子屋さんは1955年から続く老舗で、地元はもちろん、マッターホルンに集う世界中の山愛好家を虜にしているお店。焼き立てのピッツァや手作りケーキの数々は見ているだけでも幸せな気分にしてくれる逸品ばかり。山小屋風の可愛い店内か季節の花々が咲き誇る庭があるテラス席で、出来立ての美味しいお菓子とカフェを味わう。ゆったりと最高の朝ご飯を楽しんでから、ハイキングを始めよう。
 ピクニックエリアの入り口の平野からルート8の標識に沿ってヴァルトゥルナンシュ方面へ歩き始める。コースの最終地点まではかなり長いが、今回は途中の交差点でルート7に切り換えた最短コースを歩いた。標高約1850m付近からほぼ平らに続く道は、3つのトンネルや森の中を抜けて行く。途中、岩山の下に迫り出したカーブや小高い展望スポットもあり、バラエティに富んだ景観が楽しめるルートだ。日差しや雨を凌げる木々もたくさんあり、お天気が今一つという日でも歩けるのが嬉しい。リラックスしてのんびりと森林浴をしたい人にもおすすめのコースだ。
 

 

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ペッレレスのバス停留所からすぐの所にあるお菓子屋さん「アンティコ・フォルノ・フラミーニ」。焼き立てのパンやお菓子、ピッツァを求める人達で早朝から賑わっている。カラフルな花々が咲き乱れるお庭を眺めながら美味しいお菓子とカフェでゆったり、最高の朝ご飯を楽しんでからハイキングに出かけよう。
 

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ペッレレスからヴァルトゥルナンシュまで、約2時間の軽いハイキングが楽しめるルート8〜7のコース。壮大なマッターホルンの姿を背に、トンネルや森林、断崖の絶景などバラエティ豊かな景色が続く。
 

 

 コロナ禍の影響で予想していた不自由を感じるどころか例年にも増して快適に過ごすことができた今年のアルプス・バカンスだったが、最後の最後に不意打ちを喰らうことになった。トリノの駅で帰路の列車を待っていた時、知らなかった事実を発見。それまで「交通機関は乗車率50%」という政府の対策を念頭に置いてずっと行動していたのだが、我々が知らない間にその対策が一旦解除され、「座席は100%利用OK」になっていた。ところが、バカンスが始まった途端、当然ながら新規陽性者の数が急増し、我々が乗る前日に「再び乗車率50%に戻す」という事態に逆戻り。その間に切符を買った人たちは突然予約をキャンセルされた列車の振り替えや払い戻しを余儀なくされ、イタリア中の駅で大混乱が起きていたのだった。乗車直前にそれを知った我々は大慌てだったが、幸いなことにかなり早くから切符を買っておいたため予約通りの列車に乗ることができた。トリノの駅で一気に吹き出した冷や汗を拭つつ、バカンスの終わりを実感した。
 

 

 

<アクセス>

ローマ・テルミニ駅からユーロスター・フレッチャロッソでトリノ・ポルタ・スーザまで直通約4時間半。トリノからarriva-SAVDA社の直通バスでシャティヨンまで1時間30分、シャティヨンからチェルヴィニア行き州内バスでヴァルトゥルナンシュまで40分。
 

<参考サイト>

モンテ・チェルヴィーノ観光情報(日本語) 

http://valledaosta.jp/areaguide/montecervino.html

 

 

 

*この連載は毎月第2・第4木曜日(月2回)の連載となります。次回は2020年9月24日(木)掲載予定です。お楽しみに! 

 

 

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田島麻美 (たじま・あさみ)

千葉県生まれ。大学卒業後、出版社、広告代理店勤務を経て旅をメインとするフリーランスのライター&編集者として独立。2000年9月、単身渡伊。言葉もわからず知り合いもいないローマでのサバイバル生活が始まる。半年だけのつもりで暮らし始めたローマにそのまま居座ること19年、イタリアの生活・食文化、歴史と人に魅せられ今日に至る。国立ローマ・トレ大学マスターコース宗教社会学のディプロマ取得。旅、暮らし、料理をメインテーマに執筆活動を続ける一方、撮影コーディネイター、通訳・翻訳者としても活躍中。著書に『南イタリアに行こう』『ミラノから行く北イタリアの街』『ローマから行くトスカーナと周辺の街』『イタリア中毒』『イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる』他。

 

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