ブルー・ジャーニー

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#85

アルゼンチン はるかなる国〈4〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

「奔走で、はかないが、きわめて人間的なこと」

 南半球では温もりは北からやってくる。

 9月半ばのブエノスアイレス。空気の芯が初夏の匂いで膨らんでいる。

 緯度は東京とほぼ同じで、四季もはっきりしている。夏は40度に近づき、冬は0度前後まで下がる。

 台風、地震、津波とは無縁。降雪も無いに等しい。

 直近の降雪は2007年、100年ぶりだった。

 夕方、灰色の雲が下がってくると、雨からみぞれへ、みぞれから雪へと変わり、町は真っ白に塗り替えられた。翌日、当たり前のように学校は休校、会社は休業。雪だるまが建ち並び、雪球が飛び交い、ブエノスアイレスは市民の歓声で埋め尽くされた。

 

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 アルゼンチンを代表する作家、エルネスト・サバト。99年間の生涯で発表した小説は――エッセイは数多く、小説と補完し合う関係になっているが――3作のみ。

 処女作『トンネル』以来、13年ぶりに発表され,いわゆる現代南米文学ブームの火付け役となった『英雄たちと墓』。物語はペロン政権時代の20世紀半ばを中心に、“荒野の征服作戦”で先住民のインディヘナ6000人を殺害したロサスが恐怖政治を敷いた19世紀前半へと移動。ブエノスアイレスを描きながら、アルゼンチンとはなにか、アルゼンチン人とは何者なのかを問いかける。

 

 ――二人はペルー通りを歩いていた。突然ブルーノはマルティンの腕を摑み、自分たちの前を杖に頼りに歩いている男に注意を促した。

「ボルヘス」

 やがて追いつくと、ブルーノはボルヘスに挨拶をした。

 

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 物語の序盤、ボルヘスが登場、サバトはブルーノに自身を投影する。

 

 ――「ボルヘスはアルゼンチン人らしくないって言われてますね」とマルティンは口をはさんだ。

「アルゼンチン人じゃないとしたらどこの人間だと言うのかね? 純然たる国産だよ。彼のヨーロッパ主義でさえこの国のものだ。ヨーロッパ人はヨーロッパ主義者ではない、単にヨーロッパ人であるだけだ」

「偉大な作家だと思いますか?」

 ブルーノはしばらく考えこんだ。

「分からないね。確かなことは彼の散文は今日スペイン語で書かれたものの中で最も際だっているということ。しかし偉大な作家であるためにはあまりにも言葉に懲りすぎる」

 

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 北の旧市街と南の新市街のふたつに大きく分かれるブエノスアイレス。

 町の歴史の起点はタンゴの発祥地として、あるいはマラドーナが所属していたボカ・ジュニアーズのホーム、ラ・ボンボネーラ・スタジアムがある場所として知られるボカ地区。ブルーノたちがボルヘスと出会ったペルー通りは、隣接するサン・テルモ地区の通りのひとつで、国家が統一された19世紀半ば、植民地時代からの伝統的な特権階級が住んでいた場所だった。

 

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 京都に新撰組が結成された1962年、国家統一を達成したアルゼンチンは、西欧化を急ぎ、ヨーロッパから大量の移民を導入することを決定。さらに周辺国に向けて存在を主張しようと軍隊の整備を進め、1864年にはラテンアメリカでもっとも凄惨な武力衝突とされる三国同盟戦争(アルゼンチン、ブラジル帝国、ウルグアイの三国同盟軍とパラグアイの戦い)に突入した。

 アルゼンチン大統領のミトレが「3カ月で終わる」と言った戦いは5年に及び、8歳の男児まで戦場に送り込んだパラグアイが完敗、人口52万5000人の約6割が死亡。男女の比率は今もバランスを失ったままで、パラグアイ男性曰く「パラグアイの男が浮気性なのはおれたちのせいじゃない。あの戦争のせいなんだよ」

 一方、アルゼンチンは復員兵が持ち帰った黄熱病のために、終戦の翌年の1971年、ブエノスアイレス市民約1万3760人が死亡。(2年前の1969年、ブエノスアイレスの人口はネイティブ約8万9600人、外国人約8万8600人だった)

 黄熱病から逃れようと、サン・テルモ地区などに住む富裕層は、北部に新しく作られた衛生的な地区に移住。新市街が形づくられていき、残された旧市街に移民が流れこんでいった。

 

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 ボルヘス生誕から12年後の1911年6月24日、サバトはブエノスアイレス州、人口5000人の街ロハスで製粉所を細々と営むイタリア系両親の元、十男として生まれた。幼い頃から文学と絵画が好きだった。

 ロハスには小学校がなかったためにラ・プラタ大学付属中学に入学。田舎者の劣等感に苛まれたサバトは「平穏と秩序が統治する明るい都市」である数学に逃げこむ。

 26歳のときに物理学博士号を取得。その2年後、ラ・プラタ大学で量子論・相対性原理を教えるようになったサバトは、アルゼンチン文化をリードしていた雑誌『スル』を介してボルヘスと遭遇。ボルヘスを中心に、毎週のように行われる作家たちの集いはサバトにとっての大学となった。

 すっかりボルヘスに心酔したサバトだったが、ボルヘスの保守的な政治観、文学観の相違が引き金となって反発へと急転回。『英雄たちの墓』はその最中に書かれた作品だった。

 

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 1944年、33歳のとき、ラ・プラタ大学を休職し、コルドバ州の友人の農場で自分の人生を熟考。ブエノスアイレスにもどったサバトは物理・数学関係の本をすべて友人に渡し、文学への転向を決意する。

「推測が支配する危険に満ちた大陸を求めて、たしかさと秩序が統治する、塔の建ち並ぶ明るい都市を捨てる」

 やがてペロンが政界に登場、公然と反ペロンを掲げたサバトは、コルタサルが投獄されたように、ボルヘスが図書館職員の職を失ったように、大学を追われ、たちまち生活に行き詰まる。

 知り合いからユネスコの仕事を紹介され、ヨーロッパに渡ったサバト。その脳裏に鮮やかに立ち上がったのは、はるかなる国だった。

「私の祖国は? ヨーロッパを懐かしむ両親の溜息を感じ、遠く離れた国の神話物語を耳にして、彼らの山や海をまざまざと目にしながら我々は育った。石造りのフィレンツェや青い地中海を初めて見た時には、この心の奥で何百年の歳月と知られざる歴史の進歩が脈打っているという感動から俄かに涙が溢れたものだ。しかし、ヨーロッパの街で孤独に苛まれると、我々の故郷はやはりここ、パンパと広大な河なのだと痛感する」

 

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 1963年、サバトは新たに書き下ろした『タンゴ、鍵と考察』をボルヘスに献本。25年に及んだ反目に終止符を打たせたのもアルゼンチンであり、ブエノスアイレスだった。

「ブエノスアイレスの黄昏や幼児期の中庭、場末の通りといった奔走で、はかないが、きわめて人間的なことを詠った詩人、これが(予言してもいい)後世に残るボルヘスなのだ」

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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