ブルー・ジャーニー

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#83

アルゼンチン はるかなる国〈2〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

書物のセルバ

 石の肌触りや反響は産地によって異なる。たとえばフィレンツェやミラノのようなルネッサンスの都市とパリに代表されるバロックの都市とでは靴音の響きがちがう。

 スペインからの移民たちによって故国から運びこまれ、郷愁とともに敷きつめられた石畳の町、ブエノスアイレス。

 

01

 

 世界でいちばん花束が行き交う町、ブエノスアイレス。家族、親戚、友人、誕生日、結婚記念日にはかならず花を贈り、だれかの家を訪ねるとき、食事に招待されたときは、事前に届ける。

 住民ひとりあたりの書店の数が、世界でもっとも多い町、ブエノスアイレス。レコータ地区の“アテネオ・グランド・スプレンディッド”は、イギリスの新聞『ガーディアン』の“世界の美しい書店ランキング”で2位にランクされた書店(1位はボーランド・マーストリヒトにある、700年以上前に建てられた教会を改装した“ドミニカネン”)。

 

02

 

 1919年5月、高い天井にフレスコ画――イタリア人、ナザレノ・オルランディによって描かれた第1次世界大戦後の平和をテーマに描かれたもの――を掲げ、“テアトロ・グラン・スプレンディッド”という名の劇場として開業。ヨーロッパから堰を切ったように流れこんできた移民の影響を受けて、タンゴをはじめとする文化、芸術のメッカとして繁栄。20世紀後半、映画館に転業した後、2000年にリノベーションされて、現在の姿に。

 約150万人が訪れる南米最大のブックフェアが開催されるアテネオの面積は地下1階から3階まで合わせて2000平方メートル。約9万タイトル20万冊がこの広大な書物の森を成している。かつてのステージはカフェ、半地下のオーケストラボックスにもずらりと書架、3階はギャラリー、ボックス席はページをめくる場所として解放されている。

 

03

 

 アルゼンチンの人びとが好んで手に取るのは海外の書籍ではなく、アルゼンチンもしくは南米の作家。とりわけ関心を集めているのは世界でもっとも有名なアルゼンチン人の詩人にして作家、ボルヘス、『百年の孤独』でノーベル文学賞を受賞したコロンビア人の作家、ガブリエル・ガルシア=マルケス、そしてマルケスに「だれからも愛されるようになったアルゼンチン人」と言われた作家、フリオ・コルタサル。代表作は『懸賞』『石蹴り遊び』。

 

04

 

 1914年、アルゼンチン1946年、雑誌『ブエノスアイレス』の編集者をしていたボルヘスによってコルタサルは見出された。

 

 ――一九四〇何年のことだったか、当時私は誰も知らない文学雑誌の編集に携わっていた。ある何の変哲もない午後のこと、顔まではよく思い出せないが、とにかく背の高い青年が短編小説の原稿を持ってやってきた。十日後にまた来てくれれば感想を伝えよう、こう私が告げると、彼は一週間後に戻ってきた。素晴らしい短編なので、すでに印刷に回した、私は彼にこう伝えた。フリオ・コルタサルが、活字となった「占拠された家」を、ノラ・ボルヘス(※ボルヘスの妹)の挿画入りで読んだのはその少し後のことだ。何年か経って、ある晩パリでコルタサルと一緒になった私は、あれが彼にとって初めての出版だったことを打ち明けられた。彼の役に立てたことは、私にとって大変な名誉だ。目に見えない何者かに、次第に家を奪われていく、という短編だが、後にフリオ・コルタサルは同じテーマをもっと間接的に、つまり、もっとうまく展開させていくことになる。

 

05

 

 アルゼンチン大統領に3度当選。2度目の結婚で、私生児マリア・エバ・ドゥアルテ(エビータ)をファースト・レディに引き上げたフアン・ペロン。

 ペロンが陸軍軍大臣及び副大統領に就任、政治の事実上の実権を握ると、知識人の多くがその過激なナショナリズムを拒絶。反ペロン運動に加わった。

 ブエノスアイレスから西へ約160キロ、チビルコイ市の師範学校で教鞭を取っていたコルタサルは「授業で熱狂的に革命の話をしなかった」ことと「司教が訪れた際、その指輪に口づけをしなかった」ことの2点を理由に、ナショナリスト集団から不穏分子、共産主義者、無神論者のレッテルを張られ、さらには投獄された。

 

06

 

 第2次世界大戦中、アルゼンチンは中立を保ったが、軍部の大半はヒトラーとムッソリーニを支持。1946年にペロンが大統領になると、ナチ残党による脱出ルート作りの本部が、マドリードからブエノスアイレスの大統領官邸に移された。

 ペロン政権下のアルゼンチンで、ナチスに反対する意見をはっきり述べた数少ない知識人のひとりがボルヘスだった。

 

 ――ナチズムの欠点は非現実性である。そこでは生きることができない。人はそのために死に、そのために嘘をつき、そのために人を殺し、傷つけることしかできない。人はみな、存在の奥深いところでは、ナチズムの勝利を望んでいない。私はさらにこの推論を一歩進めよう。ヒトラーは敗北を欲している。

 

07

 

 1951年、コルタサルはフランスに留学。留学期間が終わってもペロンに支配されたアルゼンチンに帰国せず、1981年にフランスの市民権を獲得した。

「もし、翻訳料が一度に入ってくるようなことがあれば、ヨーロッパ行きの切符を買って、アルゼンチンに2度ともどることはないだろう」

 友人に打ち明けていたとおり、コルタサルはパリに住みつづけ、死去したが、その胸の内のブエノスアイレスの石畳の響きが消えることはなかった。

 マルケスは言った。

「パリのカフェで見かけたとき、話しかけられなかった。筆を止めて考えこむことなく1時間以上も何か書きつづけている彼をただ見つめていました。その間にミネラル・ウォーターをグラスに半分飲んだだけでした。そのうち、通りが暗くなりはじめたので、彼はペンをボケットにしまい、世界で一番背が高くて痩せた小学生のようにノートを脇にはさんで店を出て行きました。かつて私はコルタサルはラテンアメリカ作家ではないという一般的な見解に『留保つき』で同意していたのですが、今回ブエノスアイスを訪れて、わたしは自分の考えを完全に改めました。セルバ(※スペイン語、ボルトガル語で密林、森林)と大海の間、マットグロッソ(※ブラジル中西部の広大な州)と南極の間に広がるあの大きなヨーロッパ風都市ブエノスアイレスにいると、まるでコルタサルの小説に取りこまれたような気分になります。つまり、コルタサルの作品でヨーロッパ的に見える部分は、実はブエノスアイレス自体のヨーロッパ的側面だったんですね。ブエノスアイレスでは街のあちこちにコルタサルの登場人物がいるような気がしました」

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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