ブルー・ジャーニー

ブルー・ジャーニー

#82

アルゼンチン はるかなる国〈1〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

人魚や海竜が住む海の向こうへ

 もしも地球がガラス球だったら、はるかかなたでひるがえる、端正で妖艶なタンゴの足さばきに見入ってしまうことだろう。

 東京から地球の中心を通り抜け、なお掘り進むと、やがてアルゼンチン・ブエノスアイレスの東、40キロの地に出る。

 頭上に広がるのは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスとして知られるアルゼンチンの出身の作家、ホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベード、が「ひたすら、だだっ広い」と言った青空。

 

01

02

 

 アルゼンチン共和国。面積276万6890平方キロは日本の約8倍。人口は日本の約3分1の4109万人。南北は北海道宗谷岬からフィリピンの北端までに相当する3680キロ

 首都ブエノスアイレスを中心に半径800キロほどが平坦の地。箱根のような山々をはさんで砂漠のような地が300キロ。さらに西に行くと、南米の背骨のアンデス山脈が突然のように立ち上がる。西高東低、すべての河は東に向かって流れ、大西洋に注ぐ。

 

03

 

「南アメリカは文明と言えるものがない。未熟な生な大陸だ。歴史と言ってもせいぜい2世紀前にしかさかのぼれない。たとえば、わたしの家系をたどると、先祖はアンダルシアから航海してきてブエノスアイレスに入植した。コルドバの町を建設したのは彼で、その子孫であることはまちがいない」

 1979年11月、国際交流基金の招待を受けて来日、約1カ月間滞在。80歳になり、ほとんど目が見えなくなっていたボルヘスは明治神宮で、人々が玉砂利を踏む音に耳を傾けながらつぶやいた。「これを記憶するにはどうすればいいのだろうか」

「11、2歳のとき、ラフカディオ・ハーンを読んで、日本への関心がめざめた。日本の王朝文学、ことに英訳で読んだ『源氏物語』は深い美的感動を与えてくれた。わずか2世紀の文化の歴史しか持たないアルゼンチンに比べて、日本はおそろしく古い国だが、同時にきわめて新しい国でもある。しかも来日してみると、この国はわたしが考えていた以上に豊かな国だという気がする。毎日、一瞬ごとに、この国はわたしに贈りものをしてくれる。すでに東京の寺院と庭園を訪れたが、自分が豊かになるのを私は感じる。若くなる自分を感じる」

 

04

05

 

 1899年、ブエノスアイレスの中心部に建つ「小さな、これといって際だったところのない」、母方の祖父の家でボルヘスは生まれた。家のなかでは英語とスペイン語が同じように使われていた。

 父親の5000〜6000冊の蔵書に埋め尽くされた書庫が遊び場だった。初めて読み通した小説はマーク・トゥエンの『ハックルベリー・フィンの冒険』だった。9歳のとき、スペイン語に翻訳した『幸福な王子(オスカー・ワイルド)』がブエノスアイレスの日刊紙『エル・パイス』に載ったが、ただ “ホルヘ・ボルヘス”と署名されていたために、人々は父親の手によるものだと思った。

 事実を経験するのは、いつも本で出会ったあとだった。ブエノスアイレスの北西に住む親戚の家を訪ねた10歳のとき、初めてパンパを経験した。となりの家が、地平線上にぼんやりかすんで見えた。農場労働者たちは物語のなかで魅力的に描かれていたように“ガウチョ”と呼ばれていた。

 

06

07

 

 15歳のとき、視力が衰えた父親の治療を兼ねて、一家はヨーロッパに渡った。直後、第1次世界大戦が勃発。勢い、滞在は延びた。

 ジュネーヴ、チューリッヒ、ニース、コルドバ、リスボンで生活。22歳のときに帰国すると、ブエノスアイレスはパンパに広がる大都市になっていた。

 

 ――それは帰郷などというものではなく、新たな発見であった。わたしはブエノスアイレスから長い間から離れていたがゆえに、この都市を鋭く熱い意識で眺めることができたのだ。もし、祖国を遠く離れることがなかったとしたら、そのとき感じたような一種独特の衝撃と興奮で、ブエノスアイレスを眺めることができたかどうか疑問である。

 

08

 

 衝撃と興奮の中から、処女出版――急きょヨーロッパに行くことになったために校正できず、目次もなく、妹の木版画で表紙をつくり、5日間で印刷した――であり、来日した時に「行と行のあいだに、わたしがこの50年間書いてきたものが、ことごとく秘められている」と語った詩集『ブエノスアイレスの熱狂』のイメージが立ち上がった。

 

 その昔 泥と眠りのこの川に 幾艘かの船が訪れ

 祖国を建設したのだろうか。

 赤茶けたながれに茂るほてい草のあいだを

 赤い小船は揺れつつ進んだのだろうか。

 

 往時の河は 空に源があるかのように

 青く澄んで 飢えに苦しむフアン・ディアスと

 食事にありついたインディオの居場所を示す

 小さな赤い星が輝いていたにちがいない

 

 ただひとつ確かなことは 数知れぬ人びとが

 月の五倍もある海を越えてきたことだ

 羅針盤を狂わせる磁石があり 人魚や海竜が住むというあの海を。(中略)

 

 『ブエノスアイレスの熱狂』に収められた『ブエノスアイレス誕生の物語』の最後を、ボルヘスはこう結んだ。

 

 この市は大気や水のように永遠のものだと わたしは思う。

(※フアン・ディアス=フアン・ディアス・デ・ソリス。ラ・プラタ河を発見した征服者。フアン・ディアスとその仲間はインディオの餌食になったと伝えられている)

 

09

 

 河口の広さ110キロ、見渡す限り褐色の“この川”ラ・プラタ川。その一画にスペイン人、ペドロ・デ・メンドーサが11隻の船、8千人の兵を引き連れて現れたのは、青い空がどこまでもつづく1563年2月3日。織田信長が全国を統一して間もない永禄6年のことだった。

 メンドーサは上陸した場所に“サンタ・マリア・デ・ロス・ブエノス・アイレス”と名付けた。“ブエノス・アイレス”は「いい空気」を意味するスペイン語だった。

 それから約250年後、江戸時代が後期に入った1810年(文化7年)、5月25日。ブエノスアイレスの“勝利の広場(現5月広場)”。空は朝から鈍色の雲に覆われ、みぞれが降りつづいていた。

 歓声と涙、無数の抱擁。アルゼンチン独立を確信する人びとの熱気から抜け出したふたりの青年が、周辺の店でありったけの白と青のリボンを購入。人びとに手渡すと、その刹那、たれこめていた雲が割れ、振りかざされた無数のリボンは青空と太陽に祝福された。

 切り取られたその一瞬は、国旗に転写された。

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

blue-journey00_writer01

時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

ノンフィクション単行本 好評発売中!

blue-journey00_book01

日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

ブルー・ジャーニー
バックナンバー

その他の辺境・秘境の旅

ページトップアンカー