旅とメイハネと音楽と

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#81

ポーランド・クラクフ観光&グルメツアー〈3〉

文と写真・サラーム海上

100年前の製法で作るパン屋『私の父のベーカリー』

 日本のポーランド広報文化センターから事前依頼されたミッションの一つに「ベーグルの謎を追え」というのがあった。

 ベーグルは日本では「ニューヨーク発のファッショナブルなリングパン」と思われがちだが、それはあくまで表層でしかない。19世紀にニューヨークにベーグルを持ち込んだのはポーランド系のユダヤ人であり、その起源は17世紀のクラクフのユダヤ人まで遡れるというのが定説となっている。要するにベーグルの起源は僕たちが取材のため滞在していたカジミェシュ地区にある!

 実際、僕たちはクラクフの中央広場の屋台で「クラクフのいったん茹でて焼いたパン」を意味する「オブヴァジャネク・クラクフスキー」と呼ばれるご当地版のベーグルをすぐに見つけた。生地はひねってあり、日本で売られているベーグルよりも弾力は低く、モチモチしていない。どちらかというとクリスピーでプレッツェル類に近く、トルコのスィミットやイスラエルのエルサレム・ブレッドにそっくりだ。

 ただ如何せん一泊二日ではベーグルを調べるには時間が足りなすぎた。ベーグルの謎は次回以降の宿題とさせて欲しい。

 

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ドミニクさんとご当地のベーグル。日本のベーグルよりもトルコのスィミットにそっくり

 

 それでもクラクフのパンに興味を持つ僕のため、町を離れる直前の2019年9月3日午後、ガイドのドミニクさんが気を利かせて、カジミェシュ地区にあるパン屋『Piekarnia Mojego Taty(私の父のベーカリー)』を案内してくれた。ここは1930年代の製法でパンを作り続けるクラクフ唯一のパン屋さんとのこと。

 いかにもカジミェシュ地区らしい煤けた外観の建物の一階がお店になっていて、通りに面した入り口から中に入ると、10畳ほどの小さな売り場があり、そのレジカウンターをくぐると、奥は天井も高く広いパン工場に続いていた。

 

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100年前のパンにこだわり続ける店「私の父のベーカリー」

 

IMG_0433焼き立てのパンが棚に並ぶ店内

 

 工場では大柄な身体に銀縁眼鏡をかけた店主のヴォイチェフさんが待ちかまえていてくれて、挨拶を済ますと、実に穏やかな声で話し始めた。

「このお店は2006年に開店したんです。私の父親はパン屋でしたが、私は長い間大企業で働いていましたし、兄弟も誰もパン屋を継ぎませんでした。私は会社を辞めて、父の遺言に沿ってパン屋になったんです。

 父は生まれも育ちもクラクフですが、第二次世界大戦中、ドイツ軍によって徴収され、他の町で強制労働をさせられたんです。そこでパン屋で働き、ドイツ式のパンの作り方を覚えました。

 私がここでパン屋を始めるときに最初にこだわったのは、100年前のパンの作り方を採用することでした。天然の材料である小麦粉、ライ麦粉、塩、水だけで、100年前の機械やオーブンを使って、当時のレシピでパンを作ることです。現在この方法でパンを焼いているパン屋はクラクフではここだけです」

 

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脱サラし父親の意思を継いでパン屋になったヴォイチェフさん

 

 広々とした工場の床には業務用の小麦粉袋をはじめ、発酵したパン生地を積み上げておくワゴンや作業台、ニーダー(生地こね機)やモルダー(成形機)、大型冷蔵庫のようなガラス張りの現代的な保温器など、パン屋でおなじみの品物が所狭しと雑多に置かれている。

 その中で一番存在感を放っているのが、中央にドーンと設置された超大型のオーブン。横3m、高さ2.5m、奥行きも2mほどある煉瓦造りの直方体で、正面中央には三段の高さが異なる窯の口が開いている。年月を経た茶色い煉瓦と重々しい鉄製の扉やパイプが、まるで異教の祭壇、いや産業革命時代の遺物のように鈍く輝いて見える。

 

IMG_0386これが19世紀に造られた大型のオーブン。重厚長大な見た目はまさに産業革命時代を思わせる

 

「なんといっても19世紀末に設置されたこのオーブンが重要です。このオーブンは19世紀中頃にイギリス人によって特許申請されたものです。火力はガスです。ガスによって蒸留水を入れたパイプが温められ、下の二段は230度、上の段は180度が保たれます。上手い職人なら一段に60個のパンを並べて一度に焼くことが出来ます。この形のオーブンはポーランドでは今はほとんど残っていません。

 生地をこねるニーダーも19世紀製ですが、現在でも充分に使えているし、部品の製造も行われているんです。人間の手でこねるのとほぼ同じようなこね方が出来るんです。

 この場所で唯一の現代的な機械は保温器です。工場内では床と天井では温度が違うため、発酵に差が出てしまいますが、この機械に入れれば、どの生地も同じ条件で発酵させることが出来るんです」

 

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昔ながらの天秤と重りを使って粉を計量する

 

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こね台でバゲットを作るパン職人

 

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「上手い職人なら一つの段に60個のパンを並べて一度に焼くことが出来ます」

 

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ニーダーも19世紀製

 

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これも時代物のモルダー(成形機)だが、現在でも製造元が存在し、部品の生産も続けているそう

 

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同じ大きさの生地をワゴンに置き、発酵させる

 

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工場で唯一の現代機械である保温器

 

 一部、現代の機械は取り入れたものの、ここは19世紀末からずっと同じ手法でパンを作り続けてきた由緒正しい場所ということか。一体だれが最初にこの店を始めたのだろう。

「このパン屋は元々は19世紀末にヤコブ・ベーグラーというユダヤ人によって建てられ、営業を行っていました。ベーグラーという名前を聞いて驚きませんか。ベーグルはクラクフのユダヤ人が作ったものとされていますから。でも、第二次世界大戦以降のベーグラー一家の行方はわかりません。私はイスラエルまで行って、一家の行方を調べたのですが、見つけることは出来ませんでした。 おそらくナチス・ドイツによって殺されてしまったのでしょう……」

 やはりクラクフのパンを語るとベーグルの影がちらつく。ベーグルについては次回連載でも少し取り上げるので、ヴォイチェフさんの話に戻ろう。

「第二次世界大戦後、この建物は政府によって徴収され、パン屋の協同組合のものとされ、家主の女性の父親がその組合で働いていました。1980年代になって、彼は娘さんに『共産主義はいつか必ず崩壊するから、そうなったらすぐにこの建物を買いなさい』と遺言を残しました。そして、1989年に共産主義が崩壊した後、彼女がこの建物を買い取って、新たにパン屋を開いたんです。

 それから十数年、パン屋を続けましたが、2005年、歳を取った彼女はついにパン屋を締めることにしました。そして、このオーブンを撤去するために業者を手配していました。

 ちょうどその頃、私は長年働いていた会社を辞め、父親の遺言に沿ってパン屋になろうと動き始め、『パン屋に適した建物を探しています』と新聞広告を打ちました。すると、広告を見た彼女が私に連絡してきたんです。

 そのとき既に、この場所をレストランに貸すことを決まっていたのですが、私がパン屋を継ぐことを知り、彼女はレストランに打診した賃料の半額で私に貸してくれました。

 彼女も私も、父親の遺言に沿ってパン屋を始めたので、私はこの店を『私の父のベーカリー』と名付けました。彼女は目に涙を浮かべて喜んでくれました。

 彼女は数年前に病気で突然亡くなってしまったのですが、亡くなる数ヶ月前に、ふと私に連絡してきたんです。『貴方はパン屋をずっと続けますか?』と聞かれたので、私は『生きている限りパン屋を続けるつもりです』と答えました。その数ヶ月後、彼女は亡くなりました。その後、彼女の息子が私に話してくれたところでは、『ヴォイチェフさんがパン屋を続ける限り、契約を破棄してはいけません』と言っていたそうです。この建物にはパンが繋ぐ不思議な縁があるんですよ」

 パンが繋ぐ不思議な縁! パンにも、建物にも、オーブン自体にも不思議な縁があるとしても、現在その縁を繋いでいるのはヴォイチェフさんその人だろう。銀縁眼鏡ごしに覗く優しい視線で、これから先もパンが繋ぐ不思議な話を見ていくはずだ。

 

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「この建物にはパンが繋ぐ不思議な縁があるんです」とヴォイチェフさん

 

 さて、もうワルシャワに戻る電車の時間だ。そろそろお暇せねば!

 低いレジカウンターをくぐって売り場に戻ると、棚にはバゲット状の細長いパンから、ユダヤのハッラーのような大型のパン、小型のコッペパンなどが並んでいた。

 レジ横のガラスのショーケースの中には僕の大好物のラズベリーのジャムをたっぷり使ったクロワッサン生地のペストリーが並んでいた。一個なんと3.5ズロチ=約100円!連日の食べすぎで食欲がなく、とりあえず2個だけ買ったが、帰りの電車で一口食べると美味いんだ! まず小麦粉をしっかり使っていて、パン自体が重い。そして、フランスのクロワッサン生地よりも素朴でモサモサしているのも悪くない。1ダース買わなかったことを本当に後悔した。

 

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クロワッサン生地のラズベリージャム入りペストリーが約97円! 次回は1ダース買う!

 

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カジミェシュ地区だけにユダヤのパン、ハッラーも売られていた

 

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お店を出ると目の前に『私の父のベーカリー』のトラックが通った!

 

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ショッピングセンターが併設された現代的なクラクフ中央駅に急いで戻る

 

ポーランド料理、きのこのスープ

 今回のポーランド料理レシピは市場で買った乾燥ポルチーニをたっぷり使ったきのこのスープ、ズッパ・グジボヴァ。乾燥ポルチーニに加えて、身の回りで手に入る地のもののきのこを数種類ミックスして作ろう。

 

■ズッパ・グジボヴァ(乾燥ポルチーニのスープ)

【材料:4人分】

乾燥ポルチーニ:20g(食べやすい大きさに切り分ける)

水:200cc

玉ねぎ:1/2個(みじん切り)

バター:30g

ブラウンマッシュルーム:5~6個(5mmの薄切り)

エリンギ:1本(食べやすい大きさに切り分ける)

舞茸:1パック(食べやすい大きさに切り分ける)

じゃがいも:3個(皮を向いて食べやすい大きさに切り分ける)

水:1リットル

月桂樹の葉:2枚

野菜ブイヨン:1個

生クリーム:100cc

塩:小さじ1/2

胡椒:少々

ディル:1パック(みじん切り)

青ネギ:8本:みじん切り

【作り方】

1.乾燥ポルチーニは埃やゴミ、土を落としてから、料理ハサミで食べやすい大きさに切り、水とともに圧力鍋に入れ、蓋をして火にかけ、5~10分加圧する。圧力鍋がない場合は、ボウルに入れ、熱湯をかけて、ラップで蓋をして、一晩おく。

2.別の鍋を火にかけ、バターを入れ、溶けてきたら玉ねぎを加え、透明になるまで5分炒める。

3.1のポルチーニを漬け汁ごと加え、沸騰したら、食べやすい大きさに切っておいたブラウンマッシュルーム、エリンギ、舞茸、じゃがいも、水、月桂樹の葉、野菜ブイヨンを足し、ふたをして弱火で30分煮る。

4.きのこやじゃがいもが柔らかくなったら、生クリームを足し、塩胡椒で調味し、火を止める。

5.スープ皿に盛り、みじん切りのディルと青ネギをたっぷり散らして出来上がり。

 

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ズッパ・グジボヴァの完成! 

 

*ポーランド編、次回も続きます!

 

 

*著者の最新情報やイベント情報はこちら→「サラームの家」http://www.chez-salam.com/

 

*本連載は月2回配信(第1週&第3週火曜)予定です。〈title portrait by SHOICHIRO MORI™〉

 

 

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サラーム海上(サラーム うながみ)

1967年生まれ、群馬県高崎市出身。音楽評論家、DJ、講師、料理研究家。明治大学政経学部卒業。中東やインドを定期的に旅し、現地の音楽シーンや周辺カルチャーのフィールドワークをし続けている。著書に『おいしい中東 オリエントグルメ旅』『イスタンブルで朝食を オリエントグルメ旅』『MEYHANE TABLE 家メイハネで中東料理パーティー』『プラネット・インディア インド・エキゾ音楽紀行』『エキゾ音楽超特急 完全版』『21世紀中東音楽ジャーナル』他。最新刊『MEYHANE TABLE More! 人がつながる中東料理』好評発売中。『Zine『SouQ』発行。WEBサイト「サラームの家」www.chez-salam.com

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