ブルー・ジャーニー

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#81

オーストリア 緑のスキー王国〈8〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

「最後までまっすぐ生きていきたい」

 1度目のインタビューは1982年だった。

 ――あなたにとってスキーの楽しみとはなんですか?

「雪の中で体を動かせる楽しみです」。フランツ・ラウターは照れたような笑顔を浮かべ、つけ加えた。「もっと特別なことを言ったほうがいいのかもしれないけれど」

 

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 2度目は10年後の1992年だった。

 ――日本のスキーの歴史を振り返ると、あなたは、まちがいなく今のスキーブームの炎をかきたてたひとりでした。スキー技術に興味の無いスキーヤーをも魅了する力を、あなたは持っていました。

「そうだったかもしれません」

 ――自分の役割を意識していましたか?

「意識はしていましたが、自分を変えようとか、人前でニコニコしなくてはいけないとか、そういうことはまったく考えませんでした。よそいきの顔を作っても、そういうものは、いずれ見抜かれるものですから」

 ――これだけ人気があるんだから、もう少し稼げてもいいんじゃないか、という意識はありませんでしたか?

「一度も考えたことがありません。報酬というのは提供する側と受ける側のバランスの問題で、ぼくがスキーを指導するということに対して、十分な報酬を得ていると思っていましたから」

 ――しかしあなたが十分と言っている金額は、今に比べると、おそらく桁ひとつ低いと思いますが。

「たとえば芸能的な面に膨らませていこうと考えたら、マネージャーを通してスポンサーと交渉するという方法もあったでしょう。でも、まったくそういうことは考えませんでした。ぼくはスキー教師として日本に行ったわけですから」

 ――20代半ばにしてすでにそういうバランス感覚を持っていたということですね。

「地に足が着いたバランス感覚がなければ良い仕事はできないと思います。そしてぼく自身は良い仕事ができたと思っていますから、ということはバランスが取れていたのではないかと思います」

 ――これまでの人生に修正を加えることができるとしたら、どこを直したいと思いますか?

「今の人生に満足していますが、ただ、怪我をしないでアルペンレーサーをつづけていたら自分の人生はどうなっていたのか、という仮定には興味があります。

 ――まったく違った人生になっていたでしょうね。

「ええ、きっと。だけど、そうなったら17年間も日本に行くことはできなかったわけですから、やっぱり最高の人生だったのだと思います。怪我というのはネガティブに心に引っかかるものなので、どうしてもあれがなかったらと考えがちですが……」。フランツは小さくうなずき、言った。「この人生で良かったんです」

 ――あなたにとってスキーの楽しみとはなんですか?

 1回目と同じように、フランツは即答した。「雪の中で体を動かせる楽しみです」

 

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 そして14年ぶり、3度目の今回。

 回答を確信しつつ、質問する。

 あなたにとってスキーの楽しみとはなんですか?

「雪の中で体を動かせる楽しみです」。フランツはワインを口にふくんだワインをゆっくりと喉に流しこみ、つづけた。「夏の太陽がいっぱいの季節が過ぎ、秋になって、なにを待っているかと聞かれたら、ぼくは雪が降るのを待っていると答えます。新しい雪の上で描く最初のターンを待ち焦がれる気持ちはなにものにも代えがたいすばらしいものです。ところで、ぼくが日本に行っていたころ、人工的な匂いのするスキー場は軽井沢だけでした。ほかはどこも雪がすごく多かったけれど、いまはどうですか?」

「年々、減っています」

「ざんねんなことに、このあたりもが少なくなってきています。ぼくが子どものころ、家のまわりはまっ白になったけれど、いまはもうそんなことはなくなってしまっています。コースだけが人工雪で白くて、周囲が茶色や緑だったらスキーの楽しさは半減してしまうでしょう。滑ることができる環境があることを喜ぶべきなのかもしれないけれど……」。少し間をあけて、めずらしくネガティブな言葉がフランツの口からこぼれ出た。「すべてが人工雪になったら、ぼくはもうスキーを履かないと思います」

 

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 酔ってしまう前に、この旅の恒例の質問をしなければ。

 ――好きな言葉は?

「好きな言葉?」フランツはびっくりしたような顔で何度も口のなかで繰り返した。「好きな言葉、好きな言葉……。ワインを飲むこと」。はじけるように笑ってからふたたび、繰り返す。「好きな言葉、好きな言葉」。即答しない、あるいは即答できないところがいかにもフランツらしい。

 2分ほどたってから「生きることを楽しむこと」

 ――きらいな言葉は?

「きらいな言葉、きらいな言葉……。いちばんきらいなのはスポーツの世界のアンフェアなできごと」。ひと言では答えられないといった表情を浮かべながら、フランツはつづけた。「今回、サッカーのワールドカップで、人間のいやな面を見せられました。わからないだろうと思ってひじうちをしたり、足をかけたり。ああいう、ずるさ、姑息さがぼくはすごくきらいです。世界中の人が見ていると思うと、よけいにがっかりします」

 ――生まれ変わるとしたらどんな職業に?

「これまでの人生と同じように、スキーがとても近くにある仕事を」

 なりたくない職業は

「なりたくない職業? なりたくない職業……自分だけがいいポジションを得るために人を蹴落としていくようなこと」

 ――天国に行ったら神様になんと言われたいですか?

「だれも傷つけなかった、とてもまじめに生きた、本当に良い人生を送ったね、と。最後までまっすぐ生きていきたい。人を傷つけることをしたくないし、人からも傷つけられたくない」

 

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 ヨーロッパアルプスを代表する名峰のひとつ、アイガー(3970メートル)東壁の一部が崩落したのは、ワインセラーでフランツと話していたときだった。霞ヶ関ビル(147メートル)とほぼおなじ大きさの40万〜60万立方メートルの岩塊が崩れ落ちるという、大規模なものだった。原因は地球の温暖化。氷河が後退し、高山の地盤がゆるんだためだった。

 ニュースは報じた。

〈今後、1度平均気温が上がればアルプス地方のスキー場のうちの100カ所が十分な雪を確保できなくなり、4度上がったらスキー場の数は現在の3分の1以下に減るおそれがある〉

 

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(photo T.Tarukawa)

 

 2017年11月19日、紅葉が冷たい雨に鮮やかな土曜日だった。27年ぶりに日本の土を踏んだフランツは、友に会うために鎌倉市の東に広がる丘陵地帯に向かった。

 2009年に急逝した通訳氏、田和夫が眠る場所に、幾度と無く共に過ごしたバド・クラインキルヒハイムの山荘の屋根の一片でつくったレリーフを立てかけたフランツは、うつむき加減にまぶたを閉じた。頬を伝った滴は雨ではなかった。 

 

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(photo T.Tarukawa)

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

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