ブルー・ジャーニー

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#80

オーストリア 緑のスキー王国〈7〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

「雪の中で体を動かせる楽しみ」

 大学を卒業して就職した会社にどうしても馴染むことができず、がんばっている人もいるじゃないかと自分に言い聞かせてみたが、やがて体が言うことをきかなくなって退職。履歴書を持って押しかけたスキージャーナル編集部は、ぼくにとって天国のような場所だった。時給430円のアルバイトだったけれど、スキーも編集という仕事も楽しくて仕方がなかった。家に帰りたくなくてしょっちゅう泊まりこみ、夜警と呼ばれた。

 スキー界はまだバブル経済の余韻に浸っていた。取材費はクラスマガジンとは思えないほど潤沢だった。国内外のさまざまな場所に出かけ、たくさんの人と会い、どんどんこの世界に慣れ、多少のことでは驚かなくなっていった。

 フランツに初めてインタビューをしたのは、入社3年目。編集者として生意気盛りを迎え、“有名”や“劇的”ばかりを追いかけていたときだった。

「あなたにとってスキーとは何ですか?」

「雪の中で体を動かせる楽しみです」

 答えを聞いた瞬間、どうにも苛立った。

 フランツは畳に慣れ、みそラーメンのおいしさを知り、銭湯が好きになっていき、ぼくはそんなフランツからどんどん遠ざかっていった。来日したと聞いても、取材に行こうとしなくなった。

 

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 近づいてみると、“有名”も“劇的”も、お金の匂いがぷんぷんしていたり、張りぼてだったりということが多かった。なによりがっかりしたのは、ほかの人間を出し抜きたいという我欲に駆られて動いている自分自身だった。

 フランツに2度目のインタビューをしたのは、泥に足を取られたようにぐったりしているときだった。

 ふたたびインタビューをするときは、質問のなかに、前回と同じものを挿入。答が1度目と異なっていたら、その隙間にもぐりこんで話を広げる。それが当時のぼくのインタビューのやり方だった。

「あなたにとってスキーとは何ですか?」

 フランツは何のためらいもなく答えた。

「雪の中で体を動かせる楽しみです」

 そのときの気持ちは、あまりに感傷的で口外できるようなものではない。ただひとつ言えるのは、それを聞いた瞬間、おそらく10代のときよりもひどい30代の迷いから開放されたということだ。

 そして3度目となった今回のインタビュー。フランツは14年前とまるで変わっていなかった。変わっていたのは、フランツがスキーを思う気持ちを、ぼくが前より少し理解できるようになっていたということだけだった。

 

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 テラスでの話を切り上げ、14年前にはなかった地下のワインセラーに向う。

 階段を伝って地下に降りるとすぐ右手に木製のクローゼット。トビラを開けると、かつてフランツが日本で着ていたデサントとヤマハのスキーウェアがぎっしり吊るされている

 右手の奥には物置と作業場を兼ね合わせたようなスペースが設けられ、壁一面にやはり日本で履いたスキー板が立てかけられている。

「スキー用具はすっかり変わってしまった。最初に日本に行った1970年代の半ばごろはスキーをまわすことはたいへんなことだった。切れるターンをすることがものすごく技術のいることだったけれど、いまは、かなりレベルの低い人が乗ってもスキー板が自動的にまわってくれる。今後、もうすこし長くなるかもしれないけれど、こんなふうに2メートル以上のスキーが復活することはないでしょうね」

 

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 フランツのあとについてワインセラーに入る。

「廃材やアンティークのものを使って作ったんだ」

 とても手作りとは思えない。日本に費やしていた時間とエネルギーが、ここに注がれたのだろう。

 1973年から3年連続して来日。『そろそろ潮時だろう』と考えたフランツは帰国後結婚式を挙げたが、その判断は正解ではなかった。日本のスキー界はまだまだフランツを必要とし、フランツはますます日本に惹かれ、夫人のドロテアは、フランツが42歳になるまで、毎年約1カ月間、留守番を了承させられることになった。

「日本という国を少しずつ理解し始めて、夢の国が現実の世界になり、地に足がつくようになってからは、月並みだが、日本がぼくの第二の故郷になった。日本人のスキーヤーはいつも勤勉だった。来日するたびにぼくはその勤勉さに感動し、また来たいと思った。最初の10年間で、ぼくは自分の中にあるほとんどすべてのものを出し尽くした。写真もフィルムも撮られ尽くした。それなのになぜ日本人は、こんなにも長く来日を許してくれたのだろう。本当の理由はぼくにもわからない」

 

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 スキー板のニューモデルの発表会。ゲストとして招待されたフランツは、用意されていた椅子に一度も座らず、一日中立ちずくめでサインに応じた。なぜ座らなかったのかと聞くと、フランツは言った。

「みんなが立っていたからぼくも立っていた。特別なことではなく、自然なことだった」

 トップスキーヤーがスキーのうまさを競う全日本スキー技術選手権大会。前走を依頼されたフランツは丁寧に、しかしきっぱりと断った。

「この大会のためのトレーニングをしていないぼくが滑れば、一所懸命トレーニングを積んできた選手たちに失礼になる。それに1回だけの滑りでは、ぼくに期待してくれる人たちに応えることができない」

 オーストリア・ナショナルチームを離れてから、フランツは草大会を含め、一度もレースに出ていない。その理由を聞くとフランツは言った。

「もしかしたらこれからレースに出るかもしれない。でもそのときは、きちんとトレーニングを積み、準備をしてから出場したい」

 椅子に座ってサインをしたほうがはるかにスターらしかっただろうし、技術選の前走をすればまちがいなく会場の人々をうならせることになっただろうし、レースに出れば元ナショナルチームの片鱗を見せつけることができたはずだが、フランツはそうしなかった。

 

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 人は有名になると、たいてい、名声という鏡に映る自分を楽しみながら、さらに名声を高めるべく、さまざまな仕草を加えていく。

 だがフランツはそうではなかった。

 通訳氏は言った。

「初来日からずっとフランツと仕事をしていますが、強く感じるのは特別なことを言わないということ。ふつうのことをふつうに言う。そしていつまでも変わらない。結局、それがほかの人間にはないすごさなのだと思います」

 フランツの来日が18年目を迎えられなかったのは、日本のスキーヤーに飽きられたからではなかった。遅れてスキー界に押し寄せた不況にあえぐスポンサーがサポートを打ち切ったからだった。

「今年が最後になる」

 17年目、通訳氏から事情を説明されたフランツは、弾けるようなドイツ語で言った。

「それは当然だよ。革靴だって古くなったら捨てるじゃないか」

 

 

(次回につづく)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

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