ブルー・ジャーニー

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#76

オーストリア 緑のスキー王国〈3〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

15歳の決断

 緑、緑、緑、緑。緑が無いところを探す方がむずかしい。びっしりと重なり、延々と連なる若葉のなかを乾いた小川のようにうねるワインディングロード。レンタカーの屋根を切り取ってしまいたいほど外気が心地よい。

 東西方向に細長く、北海道とほぼおなじ大きさのオーストリア。スイスに接する西の端からハンガリーに接する東の端まで約580キロ。東京から岡山と広島の県境までに相当する距離だ。国土の70パーセントは山岳地帯。細長い国土を東西に貫くヨーロッパアルプスに“スキー王国”は育まれている。

 

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 訪ねようとしているのは、オーストリア・スキー史上最高の女性デモンストレーターと言われ、幾度となく来日したフランチスカ・クラスニッツァー。デモンストレーターとはスキー指導の世界に頂点に位置し、オーストリアのスキー技術を具現するひと握りのスキーヤーを指す。

 フォアアールベルグ州メラウ。鬱蒼とした緑の中を、フランチスカが住む人口約1000人の村に向けて車を走らせる。

 全部で8つの州に分かれるオーストリア。フォーアールベルグはもっとも西に位置するもっとも小さな州だ。スイスと接しているためにその影響は色濃く、質素で勤勉、努力家の多い州だと言われている。

 メラウに近づくにつれて、山並みが靄に包まれていく。濡れた緑はなお美しい。

 

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 村に入ったが、ひさしぶりすぎて家の場所がわからない。

 電話をかけると、受話器からフランチスカのいかにも楽しそうな笑い声がこぼれ出る。(個人的なことだけれど、ドイツ語の響きを可愛らしいと感じたのはフランチスカの話し方を初めて耳にしたときだった)

「教会が左手に見えるでしょう? そのまま走って」「もうすぐ子どもたちが、そっちに向かって歩いていくわ。すれちがってまっすぐ」「左の上を見て」

 顔を上げると、3階建ての家の窓に、受話器を持ったフランチスカと主人のハンスの笑顔。ハンスもまたデモンストレーターで、何度も来日している。

 日本の瓦屋根のように見える外壁はメラウの伝統的な工法。タンネ(モミ)の木片を3層に重ねあわせたもので、保温性が高く、耐久性に富み、約100年は風雨に耐える。ふたりが結婚したとき、両親の手を借りて約7万本の釘を打ちつけ、完成させたのだという。

 

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「今回、インタビューを受けること、息子たちに対して誇らしい気分でいたわ。ジャン-フランコ・カスパー、トーマス・モルゲンシュテルン、ベンジャミン・ライヒのあいだにわたしがいるなんて知ったら、少しは見なおしてくれるかしら」

 ジャン-フランコ・カスパーは、世界のスキー界を束ねる国際スキー連盟会長。モルゲンシュテルンは前回紹介したジャンプ界の若きゴールドメダリスト。そしてこのあとに会いに行くライヒは0.1秒を競うアルペンスキーのスーパースターだ。

 テーブルに14歳の次男、フレデリックのレース中の写真が置かれている。

「州のジュニア・チャンピオンになったのに、急にスキーをやめたいと言い出して」

「理由は?」

「想像だけれど、もしスキーで成功したら、親元を離れてシュタムスの高校でつづけなければならないということをまじめに考えすぎてしまったのかもしれない」

 

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 ここメラウでフランチスカは生まれた。少女時代はオーストリアでもっとも注目されるアルペンスキーに熱中、14歳でフォアアールベルグ州のチームに選ばれた矢先、腕を骨折。ナショナルチームが遠ざかったことを知り、15歳の冬、オーストリア・スキーの総本山と呼ばれるサンクリストフのブンデスハイム(国立スキー教師養成所)の門を叩いた。

 ブンデスハイムの総帥、ホピヒラー教授がフランチスカを受け入れたのは、少女の情熱に動かされたからではなかった。スキーヤーとしての可能性を認めたからで、その判断は半分は正しく、半分はまちがっていた。フランチスカはホピヒラーの予想どおりに成長し、予想を超えて成長をつづけた。

 

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 肩まで伸ばしていた金髪をショートカットにしたのは20歳のときのことだった。ちょっとした気分転換だったのだが、それを見たホピヒラーはなげいた。

「男が滑っているように見えてしまうじゃないか」

 13年間サンクリストフに在籍したフランチスカは、数多くの“女性初”を記録した。

・女性初のデモンストレーター

・インタースキー(世界スキー指導者会議)で女性として初めて集団滑降の先頭を滑る

・女性として初めて山岳ガイドの資格を取得。(オーストリアでスキー学校長になるために通らなければならない難関をトップクラスの成績で突破)

・女性として初めて、スキー教師を指導するスキー教官を務める。(生徒はかつてフランチスカがあきらめたアルペンスキーのトップレーサーたちだった)

 

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 男の世界に女性ひとり。だいじょうぶでしたか?

「だいじょうぶでした。理由はふたつ。ひとつは若すぎたこと。なにしろ15歳でしたから。もうひとつはスキーがうまかったから」

 スキー王国、オーストリアの各地から腕自慢が集まってくるサンクリストフにあって「うまかった」と。

「大きな男性ばかりでしたから力ではかないませんでした。でも、スキーは力だけではありません。スムーズに滑らせていく方法もあるし、そういう部分では負けなかったと思います」

 

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 オーストリアと日本のスキーヤーのちがいについて話しこんでいると、庭にモーターバイクを乗り入れる音。ほどなくして長男のパトリックが姿を現す。

 パトリックは17歳。この夏、学校の実習でドッペルマイヤーという索道会社のサンアントンの現場に通っている。サンアントンでの研修はこれで3回目。かなり大きなプロジェクトで、フランチスカはパトリックが参加できることをとても喜んでいる。

 小学校が4年、中学校が4年。オーストリアの義務教育はここで終わる。中学を卒業するときには、勉強をつづけるか働くかを決断しなければならない。なんとなく大学に行ってフリーターになるという選択肢は、基本的にはオーストリアにはない。

 15歳のフランチスカがサンクリストフの門を叩いたのは、夢やあこがれではなかった。生きていくためであり、パトリックが索道会社で働こうとしていることと質的には同じ選択だった。オーストリアでレーサーやデモンストレーターをめざすということは、たとえばそういうことなのだと、改めて思い知らされる。

 

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 最後にいつもの旅の恒例の質問を行う。

 これまでの人生に満足していますか?

「その質問はハンスにしてほしいわ」笑い声をはさんで「いい息子たちに囲まれて、わたしは幸せ」

 きらいな言葉は?

「不誠意」

 好きな言葉は?

「満足」

 なりたくない職業は?

「いつも同じようなところに閉じこめられて、いつも同じようなことをしなければならないような職業」

 生まれ変わるとしたらどのような人生を?

 一番の即答。

「まったく同じ人生を歩みたい。ほかの人生は考えられないわ」

 

 

(次回に続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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