ブーツの国の街角で

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#76

 サンマリノ共和国:欧州唯一の神社:『サンマリノ神社』参拝記(前編)

文と写真・田島麻美

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 2020年、令和の時代になって初めてのお正月を迎えるにあたり、世界と日本の繋がりについて想いをはせた。イタリアで暮らしていても、最近では和食や武道、サブカルチャーなどを通じて、日本文化がイタリア人の日常生活の中にも少しずつ浸透してきているのを感じる。西洋とは全く異なる日本の伝統文化、歴史や思想は、西洋の人々にとってもはや「エキゾチック」なだけではなく、人生をよりよく生きるための一つの指標として受け止められているようだ。
 西洋の大地の中に、深く、静かに浸透している日本。そのことを最も強く実感したのは、イタリア半島の中東部、アドリア海の避暑地リミニのお隣にあるサンマリノ共和国に神道の神社があることを知った時だった。現在に至るまで、世界最古の独立共和国として確固たる歩みを続けてきたこの小さなカトリックの国に、なぜ神道の神社が造られることになったのか。新しい時代のお正月に際し、その理由を求めてサンマリノ共和国を訪れてみることにした。 
 

 

 

世界最古の独立共和国サンマリノ

   

 アドリア海沿岸、エミリア・ロマーニャ州のリミニから内陸へ約20km、ティターノ山の丘陵地帯にあるサンマリノ共和国は、世界で5番目に小さな独立国家である。この国の歴史は古く、伝説によると、リミニの港を建設するために石工として働いていたクロアチア出身のマリヌス(聖マリノ)が、ローマ皇帝によるキリスト教迫害を逃れるため301年に仲間とティターノ山に立てこもり、共同体を作ったことが国の起源と言われている。以来、人口約3万2千人のこの小さな共和国は、現在に至るまで1700年以上もの長きに渡り自由と平和を守り続け、現存する世界最古の共和国として広くその名が知られるようになった。サンマリノの歴史地区とティターノ山は、ユネスコ世界遺産にも登録されている。
 サンマリノ共和国の歴史地区は標高739mのティターノ山の頂上にあり、険しく切り立った断崖の上にそびえる城壁と3つの塔を持つ城塞はサンマリノのシンボルともなっている。中世の街並みが残る旧市街の城壁沿いからは、トスカーナ、エミリア・ロマーニャの平野からアペニン山脈、さらにはアドリア海沿岸に至るまで素晴らしいパノラマが望めるが、これは同時に、サンマリノ共和国がその独立を維持するために他国からの侵略に常に備えていたことを物語っている。サンマリノの国民の心には、平和を愛し、自由を尊ぶ精神が深く根付いていると言われるが、この頑健な孤高の城塞を見上げていると、その自由の精神を守るためにはどのような侵略も断じて許さないという強い気概が感じられる。

 

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サンマリノ共和国の首都サンマリノ市の歴史地区は、中世時代の街並みが残っている。旧市街はどこもクリスマスと新年を祝うライトアップで彩られていた(上)。ティターノ山の頂上にある旧市街は、ぐるりと城壁で囲まれている(中)。自由の女神の像が中央に立つリベルタ広場(下)。
 

 

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城壁の窓から眼下に広がる街とアドリア海沿岸の美しい夜景のパノラマを見渡す(上)。サンマリノ共和国の基幹産業でもある切手とコインは発行数が少なく、なかなか市場に流通しないため、コレクター垂涎の的となっている(下)。
 

 

オリーヴと葡萄畑の中にあるサンマリノ神社
  

 中世ヨーロッパの面影が強く残るサンマリノの旧市街を歩きながら、この土地に本当に神道の神社があるのだろうかと疑わしく思っていたが、サンマリノ神社は確かに存在していた。
 神社を参拝するにあたり事前にフランチェスコ・ブリガンテ宮司に連絡したところ、多忙なスケジュールにもかかわらず、宮司自ら神社を案内してくださるというのでありがたく同行していただいた。神社があるのはサンマリノ旧市街を下ったセラヴァッレという麓の街。サンマリノ共和国には首都サンマリノ市以外にカステッロと呼ばれる9つの行政区画があるのだが、セラヴァッレはその中でも一番大きな行政区で、イタリアとの国境があるドガーナの町もこのエリアに属している。ブリガンテ宮司の案内で訪れた神社は、オリーヴの林と葡萄畑に囲まれた静かで小高い丘の最奥にあった。夕暮れ時、鳥居のシルエット越しにティターノ山山頂にそびえるサンマリノ旧市街の3つの塔が見えた。鳥居の脇に立てられたプレートには神社の由来が書かれている。
 「サンマリノ神社は2011年の東日本大震災の犠牲者を追悼するために建立された。サンマリノと日本の絆を通じ、世界平和に繋がればと願っています」。
 神社の土地は周囲の葡萄とオリーヴ畑を所有する農家「ポデーレ・レジニャーノ」の敷地内にあり、この場所は農家の主人のご好意で提供していただいたのだそうだ。日本から約1万キロも離れたこの地に、東日本大震災の悲劇を悼み、鎮魂の祈りを捧げてくれる人達がいることに心を打たれた。今日までこの神社のことを知らずにいた自分が恥ずかしく、申し訳なく思うと同時に、サンマリノの人々の思いがとてもありがたく、自然と頭が下がっていった。

 

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サンマリノ神社はヨーロッパで初めて神社本庁に承認された神道式神社。鳥居の向こうにサンマリノ旧市街の塔のシルエットが見える(上)。鳥居の脇のプレートには神社の由来が3ヶ国語で書かれている(下)
 

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なだらかな丘の斜面にある葡萄畑を脇に見ながら参道を進む(上)。葡萄畑の向かいには芦に囲まれた池があり、野鴨の一家がのんびり泳いでいた(中)。境内の一角には願い事が書かれた絵馬もかかっている(下)
 

 

日本とサンマリノの友好の証である神社
  

 

 翌朝、みぞれまじりの雪が降る中、正式にサンマリノ神社を参拝した。本殿は伊勢神宮と同じ神明造で、日本で建設したものを解体してここへ運び、再度組み立てたのだそうだ。主祭神は天照皇大神、創建は2014年6月。日本の外交評論家・作家であり、日本サンマリノ友好協会の会長を務める加瀬英明氏の発案により、同協会と駐日サンマリノ大使マンリオ・カデロ氏が協力して、東日本大震災の犠牲者の追悼を目的とした欧州初の本格的な神道式神社を建立した。6月21日に行われた鎮座式には、神社本庁総長、安倍首相の母・安倍洋子氏を始め多数の要人が参列したそうだ。
 参拝を前に、手水舎で身を清め、ブリガンテ宮司が塩とお神酒でお払いをしてから、天照皇大神を祀った本殿の扉を重々しく開いた。玉串としてオリーヴの小枝を捧げた後、ブリガンテ宮司は私のために祝詞をあげてくださった。イタリア語で祝詞を聞くのはなんとも不思議な気分だったが、その言葉に込められた祈りの重さは心にずしんと響いた。「日本が地震や自然災害から守られますように。私たちが健康で、無事に生きられますように。世界の全ての人々に平和な日々が訪れますように」。宗教も人種も歴史も文化も、あらゆる隔たりを超えたところにある祈りの言葉に敬虔な気持ちが湧き上がってくる。宮司の先導で私も玉串を捧げ、神様の前で祈りを捧げた。

 

 

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農場の一角にある神社への入り口。ここから参道となっている(上)。サンマリノで採掘される石を土台にし、日本で造られた本殿を据えた。神社は日本とサンマリノが一つになった証でもある(下)
 

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手水舎で身を清め、朝の儀式に臨むブリガンテ宮司(上)。本殿の前に並べられた神具。玉串には榊ではなく境内にあるオリーヴの小枝を使用(中)。扉を開く前に本殿と周囲をお清めする(下)。
 

 

 

出羽三山神社で修行したイタリア人宮司
  

 参拝後、ブリガンテ宮司に「なぜ宮司になったのですか?」と素朴な質問をぶつけてみた。ブリガンテ宮司は日本の出羽三山で修行をし、神社本庁から神職の資格を受けて正式にサンマリノ神社の宮司として任命されている方だが、イタリア人の彼がどのようにして神道と出会ったのか、とても興味があった。私の問いに対し、宮司は「私はかつては仏教徒で、その前はカトリック教徒でした」と言いながら、自身の体験談を語ってくれた。
 イタリア人であるブリガンテ宮司は、若い頃は修道僧としての誓いを立てようとしたほど敬虔なカトリック教徒だったそうだ。しかし、彼自身が求めているスピリチュアリティー(精神性)をキリスト教は満たしてくれないことに気づき、その後、禅仏教に改宗。仏教の教えの中に探し続けているスピリチュアリティーへの答えを求め、仏教と精神性について深く学んでいったが、ここでもやはり壁にぶち当たってしまう。自身が強く探し求めるスピリチュアリティーに対する答えを得られないことから、特定の宗教を信仰することをやめ、独自で模索する日々が長く続いた。
 転機が訪れたのは2011年。兼ねてから知り合いだったサンマリノ共和国の駐日大使マンリオ・カデロ氏から、「欧州に神道の神社を造りたいと考えている」と聞いた時だった。カデロ大使は、「神道の神社をサンマリノに建立したい。サンマリノは世界最古の共和国であり、自由と平和を何世紀にも渡って守り続けてきた国だから、世界の平和を祈る場所を築くのにふさわしいと思う」と語った。それを聞いたブリガンテ宮司は、「でも神道とは一体なんですか?」と尋ねた。大使から神道について書かれた一冊の本を贈られた彼は、独学で神道を学び始めた。勉強を続けながら疑問が湧くたびに大使に質問を送ると、加瀬英明先生から非常に深淵で明確な答えが返ってくるようになった。やりとりを続けるうち、ブリガンテ宮司自身の質問もより深淵で明確なものになっていき、2013年のある日、ついに神社本庁から「日本へ来て本物の神道を体験しませんか」という誘いを受けた。神社本庁から派遣されたのが出羽三山神社で、そこで神道を身をもって学んだブリガンテ宮司は、サンマリノ神社創建と同時に同神社の宮司になることを決意する。
「私は神道を勉強する中で、“神道は宗教ではない”という事実を知りました。宗教は時に対立を生み出しますが、信仰そのものは本来そうではない。神道は私自身を特定の信仰に縛りつけず、また異なる信仰を排除することもありません。仏教徒もキリスト教ともイスラム教徒も排除することなく、全ての信仰を抱擁してくれるものです。私は個人的に、全ての宗教の基本は同じものであると考えています。誰もがみな、同じものを探し求めている。だからこそ、特定の信仰を持つことによって他者を排除するようなことがあってはならないと思うのです」。
 インタビューの後、ブリガンテ宮司が御朱印を押したカードを授けて下さった。サンマリノ神社が開かれた2014年6月22日の日付とサンマリノ共和国の切手が貼られているカードに日本語で書かれた御朱印が押されている。このカードを見ながら、遠く離れた二つの国が一つの場所で結ばれていることを強く実感した。

 

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イタリア出身のフランチェスコ・ブリガンテ宮司。神社では結婚式や七五三などの祭事も受け付けている。ブリガンテ宮司は神社に奉仕する一方、サンマリノのホテルのオーナーも務めている(上)。天照皇大神を祀った本殿(中)。参拝記念にいただいた御朱印カード(下)。
 

 


 

 

 

★ MAP ★

Map-Sanmarino

 

<アクセス>

ローマから高速鉄道でボローニャまで約2時間、ボローニャから各駅もしくは高速鉄道に乗り換えリミニまで約50分〜1時間半。リミニからサンマリノまでは、リミニ駅前から発着するサンマリノ行きバスを利用。サンマリノ旧市街まで50分。サンマリノ神社へは途中のバス停Fiorina Hotel Gasperoni/フィオリーナ・ホテル・ガスペローニで降り、徒歩約10分。
 

<参考サイト>

サンマリノ観光情報(英語)

http://www.sanmarino.sm/on-line/en/home.html

 

サンマリノ神社(日本語)

https://www.sanmarinojinja.com/ja/

 

 

 

 

 

*この連載は毎月第2・第4木曜日(月2回)の連載となります。次回は2020年1月23日(木)掲載予定です。お楽しみに! 

 

 

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田島麻美 (たじま・あさみ)

千葉県生まれ。大学卒業後、出版社、広告代理店勤務を経て旅をメインとするフリーランスのライター&編集者として独立。2000年9月、単身渡伊。言葉もわからず知り合いもいないローマでのサバイバル生活が始まる。半年だけのつもりで暮らし始めたローマにそのまま居座ること19年、イタリアの生活・食文化、歴史と人に魅せられ今日に至る。国立ローマ・トレ大学マスターコース宗教社会学のディプロマ取得。旅、暮らし、料理をメインテーマに執筆活動を続ける一方、撮影コーディネイター、通訳・翻訳者としても活躍中。著書に『南イタリアに行こう』『ミラノから行く北イタリアの街』『ローマから行くトスカーナと周辺の街』『イタリア中毒』『イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる』他。

 

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