韓国の旅と酒場とグルメ横丁

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#73

東京・大塚滞在記 도쿄 오츠카체재기〈2〉

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 大塚滞在3日目は、『星野リゾート OMO5 東京大塚』でのトークイベント本番だ。お題は悩んだ末、『鍾路3街(チョンノサムガ)』に決めた。鍾路3街のど真ん中にある益善洞(イクソンドン)の伝統家屋街が最近、かつての北村のように大ブレークして若者や女性が訪れるようになり、万人向けのエリアとはいえなかった鍾路3街のハードルが低くなったからだ。

 

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ホテル『星野リゾート OMO5 東京大塚』OMOカフェで行われた筆者のトークイベント

 

 鍾路3街は一般的なガイドブックには独立したエリアとしては取り上げられていないが、80~90年代、まだ西洋的な洗練が進んでいない韓国を訪れた日本人が感じたであろうアジアらしさが都会のど真ん中で生きている。着飾ったカップルと放し飼いのニワトリ、デザイナーズホテルとドヤ街、1杯1万ウォンのクラフトビールと1杯1,000ウォンのマッコリ。これらが共存するのが鍾路3街なのだ。

 私の街歩きの楽しみ方のひとつに、“かつてその街に姿を想像しながら歩く”というのがある。鍾路3街はそんなストーリーテリングのネタの宝庫だ。今回はイベントでお話した鍾路3街のカオスな魅力を構成する5大要素についてダイジェストでお送りしよう。

 

 

早わかり鍾路3街ヒストリー

 朝鮮王朝時代は、王宮(景福宮)から見て西に平和と豊作を祈願する社稷壇(サジクダン)、東に王族を祀る宗廟(ジョンミョ)、そして背後に商業施設を置くという原則にもとづいて街づくりが行われたが、現実には王宮の背後は山がち(北岳山など)だったため、手前の光化門交差点辺りから興仁之門(東大門)まで東西にのびる鍾路大路が敷かれた。今でこそ、ソウルの商圏はかつての都(東西南北の大門を結ぶ城郭の内側)にいくつか点在しているが、当時は鍾路こそが大店が軒を連ねる唯一の商圏だったのだ。

 日本植民地時代には、鍾路よりも南寄りの黄金町(乙支路)や明治町(明洞)、本町(忠武路)が日本系商圏として発達したが、それに負けまいと奮闘したのが鍾路を中心とした朝鮮系商圏だ。そのあたりのせめぎあいは、1991年に大ヒットした映画『将軍の息子』(イム・グォンテク監督)でドラマチックに(多少の誇張も含め)描かれているので観てほしい。

 現在、鍾路3街と呼ばれるエリアに含まれる洞(町)は、勧農洞(クォンノンドン)、雲泥洞(ウンニドン)、臥龍洞(ワリョンドン)、慶雲洞(キョンウンドン)、益善洞、廟洞(ミョドン)、楽園洞(ナグォンドン)、鳳翼洞(ポンイクドン)、敦義洞(トンウィドン)、観水洞(クァンスドン)の10洞。北は安国駅の4~5番出口の北側の大通り(栗谷路)から南は清渓川(チョンゲチョン)辺りまでが鍾路3街ということになる。

 

鍾路3街のカオスと5大要素

 ソウルを代表する商業地域、鍾路のなかでも鍾路3街は、日本植民地時代も解放後も遊興街として盛衰を繰り返してきた。

 その歴史を5つのキーワードから解説しよう。

 

1.娼婦の街

 ソウルの高齢者には「鍾3(チョンサム)」と聞くと、眉をひそめる人が少なくない。1960~1970年代の鍾路3街は、公娼・私娼が街角で客を引く場所だったからだ。

 今の鍾路3街駅の7番、8番出口のある交差点の周辺、鍾路大路と屋台通りに挟まれたホテル街、そして宗廟の南側の市民公園辺りと北西側に隣接する臥龍洞辺りがそれだ。当時、この一帯を撮ったモノクロ写真には「夜10時以降、未成年者の出入り禁止 鍾路警察署長」の看板が写っている。王族の位牌を祀っている宗廟は、東京でいえば皇居のような神聖な場所。その目の前で女性たちが秋波を送っていたとは……。朝鮮戦争(1950~1953)の直後、世界最貧国だった我が国の苦難の時代が想像され、胸が痛む。

 

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今や都心のアオシスとなっている宗廟市民公園。ここにそんな物語があったとは想像しにくい

 

2.バンドマンたちの寄せ場

 仁寺洞と鍾路3街を隔てる年季の入ったビル、楽園商街には今でも楽器店が多い。1980年代前半までは、楽園商街の2階では“楽士人力市場”と呼ばれる、バンドマンの寄せ場(求人者と求職者の集会場)が行われていた。

 今から30年以上前、ソウル最大の遊興街として大小のナイトクラブや接待婦のいる料亭が多かった鍾路3街には、酒席を盛り上げるためのバンドや“流し”が欠かせなかった。そのため、楽園商街に楽器店街が形成されたのだ。

 

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楽園商街の周囲では今もギターを背負った若者をよく見かける

 

 今の鍾路3街でかつてのバンドマンたちの面影をしのぶのは難しいが、去年の夏、私の読者さんが屋台通りの海鮮料理店でアコーディオンを抱えた70代くらいの男性に出会ったとスマホの写真を見せてくれた。この男性とは私も2011年の冬、鍾路3街の人気焼肉店『味カルメギサル専門』で会ったことがある。お元気そうでなによりだ。この人こそ、鍾路3街にネオンがきらめき、ムード歌謡が高鳴っていた時代の生き証人かもしれない。今度会えたら、詳しく話を聴いてみよう。

 

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2011年に会った“流し”のおじさん(左端)と筆者(右端)。1万ウォン程度で数曲奏でてくれた

 

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こちらはさらにさかのぼった2001年、楽園商街の脇の屋台で出会ったギター弾き。流しのおじさんはたいてい日本の歌もよく知っている 

 

3.伝統家屋街

 ほんの数年前まで古びた韓屋が連なる静かな住宅街だった益善洞だが、この2、3年ですっかり様変わりした。韓屋をリノベーションしたカフェやバー、デザイナーズホテル、ブティックなどが増え、週末ともなるとカップルや女子会グループが大挙してやってくる一大観光地となっている。

 

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イビスアンバサダーホテル側から益善洞を見下ろす

 

 この一帯が日本時代にできた分譲住宅地だったことについては、本連載の#03をご覧いただくとして、じつはこの韓屋街は料亭街でもあった。今の日本の50代以上の殿方ならお聞き及びのキーセン(妓生)観光が盛んだった70年代が料亭街の最盛期だった。

 今、益善洞の路地をくまなく歩くと、「한정식(韓定食)」の看板を見かけるが、これらは料亭が商売替えした姿と見てまちがいない。また、「한복(韓服)」という看板は、かつてキーセンのチマチョゴリを仕立てた業者だった可能性が高い。

 

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益善洞の東側の路地を歩くと、あちこちで「한복(韓服)」の看板を目にする

 

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鍾路3街駅3、6、7、8番出口の交差点近くにある年季の入った韓服店のディスプレイ

 

4.シニア憩いの場

 交通至便で、かつて一世を風靡した繁華街の近くにのんびりできる公園ができたらどうなるか? そう、シニアの憩いの場となるだろう。

 タプコル公園(旧パゴダ公園)もそんな例のひとつだ。日本植民地時代は独立運動の拠点だったことから、ある時期までの日本のガイドブックには「公園内で日本語を使うとお年寄りに睨まれる」といった記述もあったが、今は政治的な雰囲気はほとんど感じられない。

 

タプコル公園で日向ぼっこをするお年寄りたち

 

 鍾路3街、なかでも楽園洞らしい風景のひとつに、タプコル公園の周りで将棋を指したり、マッコリを飲んだり、2000ウォンのクッパをすすったりするハラボジたちの姿がある。数年前、公園内での飲み食いしたり、歌ったり踊ったりするのが禁止になったため、公園の外で楽しむ人たちが増えたのだ。

 

09仁寺洞方向から楽園商街の下をくぐると右手に見えてくる『ソムンナンチプ』。ダイコン干し葉と豆腐の入った牛コツスープとごはん、カクテキが2000ウォンで食べられる

 

 公園の裏手では無料の食事配給などが行わていることもあり、傍からはドヤ街のように見えなくもない。敬遠したくなるかもしれないが、実際はそれほど危険はない。万が一、理不尽なことがあったとしても、周囲のお年寄りたちが放っておかないだろう。見て見ぬふりをしない(おせっかいとも言う)のが韓国人の美徳だと私は思っている。

 

『ソムンナンチプ』を出てすぐ右折したところが、楽喜(ラッキー)通り。ここから突き当りのタプコル公園に沿って左方向に歩いた辺りに安い食堂が集まっている。外で飲んでいる中高年男性がいるせいか、荒れたところのように見えるが、特に危ないところではない

 

5.ソウルの新宿二丁目  

 鍾路3街が同性愛者の街だということはなんなとなく知っていたが、それをはっきり認識したのは、今から7、8年ほど前の夏のこと。通いなれた屋台通りで飲んでいたら、周りに若い男性しかいないことに気づいた。いっしょにいた日本人男性が言った。

「チョンさん、ここはソウルの新宿二丁目ですね」

 借り上げ、帽子、短パン、スキンケアに余念のなさそうなつるつるの肌。流行りすたれもあるのだろうが、彼らのファッションには一定の共通項があり、見慣れると、すぐそれとわかる。

 3年前の夏、鍾路3街駅の6番出口近くの屋台で隣席の男の子たちと言葉を交わしたとき、彼らの遊び方に興味がわき、いろいろ聞いてみた。鍾路3街は知り合いどうしで集まったり、新たな出会いを楽しんだりする場所で、盛り上がると梨泰院(イテウォン)のクラブやバーに繰り出すのがパターンだそうだ。

 鍾路3街駅5番口の向かいにあるホテルハーツの裏手には、私のような女性でも入ってみたくなる、おしゃれなゲイバーが点在している。ただし、店によって、あるいはタイミングによって男女混合グループや女性グループはことわられることがある。一度、男性カップルでほぼ満席の店内に男性と二人で入れたことがあったのだが、周りの彼らが楽しく飲む様子に、こちらもつられて盛り上がり、深酒してしまったことがある。思えばあれが、私が彼らに対する偏見から自由になれた瞬間だったような気がする。

 

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彼らのたまり場は、こんな路地にひっそりと存在する

 

 韓国では日本ほどオネエタレントがテレビに頻繁に登場しないせいもあり、同性を愛する人たちが自分たちの周りにふつうに存在することに無自覚な人が多い。儒教的な価値観も根強く、同性愛に対して寛容な国とはとても言えないのだが、鍾路3街で堂々と仲間どうしが集い、酒を酌み交わす彼らが少なからず韓国人の意識を変えることは間違いないだろう。

 

 かつての色町やバンドマンの気配、1万ウォンで憩うおじいちゃんたち、同性どうしで楽しい時間を過ごす男の子たち、そして、ホットスポット益善洞で嬌声を上げる若者たち……。これらが混在しているのが鍾路3街の魅力である。

 

 

*取材協力:

『星野リゾート OMO5 東京大塚』 https://omo-hotels.com/otsuka/

Hoshino Resorts OMO5 Tokyo Otsuka https://omo-hotels.com/otsuka/en/

 

(次回に続きます!)

 

 

*著者の近況はこちら→https://twitter.com/Manchuria7

 

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紀行作家。1967年、韓国江原道の山奥生まれ、ソウル育ち。世宗大学院・観光経営学修士課程修了後、日本に留学。現在はソウルの下町在住。韓国テウォン大学・講師。著書に『うまい、安い、あったかい 韓国の人情食堂』『港町、ほろ酔い散歩 釜山の人情食堂』『馬を食べる日本人 犬を食べる韓国人』『韓国酒場紀行』『マッコルリの旅』『韓国の美味しい町』『韓国の「昭和」を歩く』『韓国・下町人情紀行』『本当はどうなの? 今の韓国』、編著に『北朝鮮の楽しい歩き方』など。NHKBSプレミアム『世界入りにくい居酒屋』釜山編コーディネート担当。株式会社キーワード所属www.k-word.co.jp/ 著者の近況はこちら→https://twitter.com/Manchuria7

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