越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#73

エメラルド・トライアングル〈前編〉

文と写真・室橋裕和

 タイ、カンボジア、ラオス……3つの国境が接するポイントがある。地図上では「エメラルド・トライアングル」と記されてはいるのだが、ネットにもガイドブックにも情報はない。と、なれば行ってみるしかなかろう。なるべく誰も行かない、知らない場所を攻めるのが、旅人というものなんである。
 

 

旅人はだんだん深く潜行するようになる

 趣味というのはだんだんエスカレートし、ときに過激になってくるものである。SLの写真を撮っていただけの牧歌的撮り鉄が、いつしか週刊誌カメラマンのごとく脚立を持ち出し青筋を立ててほかのマニアと場所を争い駅員を蹴散らし、一般人からすればどう価値があるのかサッパリわからないごく普通の車両を連射するようになったりもする。しかし彼にとって、そのカットは勲章であり誇りなのである。
 僕も昔は、ただ越境しているだけでよかった。国から国をまたぐ緊張感、新しい国を前にする高揚感。ひとつステージをクリアし、また別のステージに入っていく、まさに等身大のロールプレイングゲームをしているような面白さがあった。
 しかし、テツほどでないが、世には同種がウジャウジャいるものである。軽くググってみるだけで、国境を越えた体験を誇らしげに書き連ねるブログのなんと多いことか。その大半は(アジア限定ではあるが)ガイドブックにもよく載っているような有名どころだとか、僕がすでに制圧した国境であり、まあ見逃してやるか……と寛大な気持ちにもなるのだが、中にはけしからん連中もいる。こんなとこ越えた日本人は僕くらいだろう、と密やかな達成感をもって突破した無名ポイントを荒らし、ツイッターなんかで報告しちゃって、僕の数十倍の「いいね!」をもらっているのだ。唇を噛んだ。悔しい……。
 ふざけんじゃねえぞ。僕はなあ、もっとやばいとこ行ってんだよ。思い知らせてやるからな、見てやがれ、次はもっと奥地まで行ってやる……こうしてだんだん深堀りするようになる。なるべく人の行かない場所、知らない国境を求めて、アジアを流浪する。ガイドブックはもはや「行きたい場所を探す」ものではなく「載っていない場所を確認する」ものとなっていく。ガイドブックに掲載されているような場所に行くだけでは、まだまだ甘いのである。
 越境は旅の楽しみのうちの一部分、ひとつのエッセンスに過ぎなかったのだが、いつしか国境越えそれ自体を目的に旅をするようになっていく。人はこうして趣味を先鋭化させていくのである。

 

 

インドシナ半島中央部に輝くエメラルドの楽園

 で、グーグルマップを酒の肴にできる僕は、その日も充実の晩酌を満喫していたのだが、タイに見過ごせない地点を発見してしまった。それはイサーンと呼ばれるタイ東北部の中心都市のひとつ、ウボン・ラチャターニーのほぼ真南。そこにはタイと、カンボジア、それにラオスの3国が国境を接する場所がある。とはいえ衛星画像では深いジャングルやら湖が広がるばかりで、相互に越境できる地点というわけでもなさそうだ。マニアどもの話題でも聞いたことはない。
 ……が、よくよく拡大してみると、そこには観光ポイントを示すカメラのアイコンとともに「Emerald Triangle」なんて表記があるではないか! タイ北部の3国国境「ゴールデン・トライアングル」(#66#67)に対抗したネーミングなのかもしれない。と、なれば、3国の物産を売る市場やら、なにか見どころがあるかもしれない。こうしたドローカルな場所でたまにあることだが、こっそり越境できちゃうかもしれない。
 なにせ3つの国がせめぎあう場所なのである。それだけですでに僕にとっては世界遺産級の観光地といえる。テツたちが、なにがなんだかわからない列車に異常反応を示すように、我々の世界にも我々にしかわからない記号というか萌えポイントというか、琴線に触れるツボがある。3国国境なんてまさしく秘孔、しかもあれこれ検索したが、少なくとも日本語での訪問記録は見つからない。ようし。奮い立ってきた。旅人にとってメジャーなタイやカンボジアに、まだこんな未踏の地が残っていたなんて……。

 

01
タイの地図にもしっかり表記された麗しき三角。いかにもなにかありそうで期待を持たせる

 

 

マニアックな国境ほど交通は自ら確保せよ

 辺境探査において最も必要なものはアシである。目的の国境まで公共の交通機関がないなんて珍しくもない。むしろ定期バスなんぞ走っていると興ざめするようになってはじめて、この世界に入門したとさえいえる。
 そうした場合、僕は近郊の街からレンタルバイクでかっ飛ばすか、クルマをチャーターする。バイク屋やレンタカー屋なんぞさっぱりないイナカだってぜんぜん問題ないのがアジアの常、そこらの食堂のおっさんにメシ食ったついでに尋ねてみれば、運転手をかってでるヒマ人とか、今日バイクを使う予定のないやつとかを探してきてくれるものなんである。クルマの場合はけっこう費用はかさむが、そうでもしないと行けない場所ってだけで、いくらでも払うという気分になる。税務署だってきっと経費だと認めてくれるに違いない。
 が、今回は#16#48などでたびたび同道しているバンコク在住の記者S先輩をだまくらかすことに成功した。先輩がたまたまイサーンに出張してクルマを借りてあちこち撮影に回るというので、僕も同乗させてもらうのだ。ぜひおすすめしたい場所があるのです、いい写真撮れたらピューリッツァー賞モノですよ、とか適当なことを並べ立て、先輩にレンタカー代もガソリン代もタカるのである。

 

02
イサーン名物ガイヤーン(鶏の炭火焼き)を売る露店のおじさん

 

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ガイヤーンとカオニャオ(もち米)でパワーをつけてイサーンの旅は始まる

 

 

イサーンの国境迷路にはまりこむ

「ムロハシ号、これ道どうなってんの、ちゃんとナビできてんの?」
 S先輩は僕のことをそう呼ぶのだが、苛立ちを含んだ声であった。我らがLCCノックエアで、片道たったの700バーツ(約2400円)、ウボン・ラチャターニー空港からレンタカーで出発した僕たちは、イサーンの隘路に迷い込んでいた。
 もうすぐ近くに、エメラルド・トライアングルは迫っているはずなのである。ラオスとカンボジアとが、目の前のはずなのである。しかしスマホを頼りに、あっちだこっちだとハンドルを握るS先輩に伝えるのだが、どこに行ってもそれらしき場所には着かない。荒地と田畑と、藪が続くばかりなのである。
 当たり前といえば当たり前なのだが、最新ガジェットといったってこの世のあらゆる道をカバーしているわけではない。僻地に行くほどスマホに出てくるのは国道とその支線くらいのもので、土くれのダートやケモノ道みたいな「酷道」は表示されないことしばしばだ。しかしインドシナの奥地では、そんな道の左右にもささやかな生活があり、農作業をする人もいる。
 エメラルド・トライアングルを示す輝点に向けてそんな道を走ってみるのだが、地図はとうとうホワイトアウトし、周囲に何も表示されなくなってしまう。そんな場所でも赤土の未舗装路はまたしても分岐しており、いったいどっちに進めばいいのやら。もしかしたら気がついていないだけで、そしてなんの標識や柵などもないだけで、ラオスやカンボジアにすでに出入りしつつ走っているのかもしれない。
「ムロハシ号、あれ」
 先輩の声にスマホから目を離して前を見ると、貯水池か湖か、満々と水をたたえた場所に出た。乾いた大地を走ってきた身にはなんだか新鮮だ。
「ちょっと休もう。ムロハシ号のせいで疲れた」
 僕も外に出て、イサーンの果ての空気を肺いっぱいに吸い込んだ。穏やかな湖面だ。渡り鳥か、一群が翼を休めている。漁をしている人はいない。ひと気はまったくなかった。
 地図を見ると、この湖はもうエメラルド・トライアングルのすぐ北なのだ。しかしそのわずかな距離を、しばらくさまよっている。本当にたどりつけるんだろうか。エメラルド・トライアングルを示す碑かなにかあればいいのだが、まったくなにも存在しないのではないだろうか……。
 ともかくもう少し、先輩をなだめて走ってみようじゃないか。

 

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標識はあれど、なかなかたどりつけないエメラルド・トライアングル。いったいどこなのか

 

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国境線も近い湖にて。なにに使うかわからない柵に、ナゼかS先輩が上りはじめた

 

(後編に続く!)

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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