越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#72

タイ・メーサイ

文と写真・室橋裕和

 タイ最北端の国境地点メーサイ。ここからはミャンマーに行けるのだが、僕はあえて越境をしなかった。両国を分かつ川をたどり、イミグレーションもなにもない「素の国境線」を見に、バイクを走らせてみた。

 

 

国境市場が広がるメーサイの街

「ふふん……」
 僕は国境ゲートを見上げてほくそ笑んだ。この門をくぐった先はミャンマーである。タイ最北端の国境ポイント、メーサイ。
 イミグレーションの前には食べ物の屋台が並び、ミャンマー側から輸入された物産を売る店がひしめく。ヒスイ、布地や日用品、チーク材の家具、偽造モノらしきタバコ、どう見たってワシントン条約をシカトしているとしか思えないでっかい象牙……さらにはミャンマーの向こう、遠く中国やインドから運ばれてきた家電に茶や茶器、服などもあって、迷路のように店が立て込む。ここはまさしく国境のドンキ。見ているだけでわくわくしてきちゃうのだ。
 売り子も客もインターナショナルなんである。タイ人のオバハンがやはり主力だが、ロンジーという鮮やかな色合いの巻きスカートも目立つ。ミャンマー女性の民族衣装なんだけど、腰もとから足にかけてのラインにぴっちりで、素肌は見えないのになんだか艶かしい。それと頬を白く彩るミャンマー独特の化粧にして日焼け止め「タナカ」を見れば、国境気分が高まる。宝石商はみんなシャルワール・カミースというぞろりとすその長い白装束をまとったパキスタン人で、これまた旅のロマンをかきたてられる。このゲートの向こう、ミャンマーに入って、さらに進んだ先には、南アジア世界が広がっているのだ。

 

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メーサイ側の国境ゲート。イミグレーションも設置されており、出入国の手続きを行う

 

02
タイ側にも買出しや商売などにやってきたたくさんのミャンマー人がいる

 

 

旅人なら誰も行かない場所を目指せ

 しかし。あえて僕はイミグレーションに背を向け、国境ゲートから引き返した。メーサイ国境はバックパッカー世界においては比較的メジャーなポイントなんである。僕だってこんなイージーなとこ、何度も行き来している。
 ほとんどの旅行者はミャンマー側の街タチレクに渡って、半日ほどぶらついてまたタイに戻ってくるのだ。あちら側にも広がる国境マーケットを見て、寺を見物し、地元の食堂に立ち寄れば、けっこうミャンマー気分に浸れるものだ。カジノに行くギャンブラーや、えっちなお店を探検する変態もいるらしい。
 タチレクから先に進撃する旅行者もわずかにいるが、道中ではシャン族のゲリラが勝手に設置した関所で止められ、奥地へと旅することは難しい。アジア旅の草分け、かの下川裕治御大も途中で引き返してきたほどの難所なのである。
 そんなさまざまな情報がすでに出回っているメーサイに、ただ行ってきましたではマニアの名が廃る。芸がない。そこで僕は国境からほど近いホテルの軒先でレンタルバイクの店をみつけると、200バーツ(約700円)の代金を払ってヤマハ・フィーノに打ちまたがった。

 

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手前がタイで、向こうがミャンマー。サーイ川を挟んで国が変わる

 

04
タイ最北端を示す碑も立っていた。僕は国境マニアでもあり端っこ愛好家でもあるので嬉しい

 

 

国境の川には警備もなく無人だった

 目指すはイミグレーションのある越境ポイントではない。国境線そのものだ。
 陸路国境越えといえば、両国を結ぶ幹線上に設置された出入国施設で手続きをして通過していくわけだ。しかしそこは単なる「点」にすぎない。イミグレーションという「点」から国境「線」は長大に、延々と延びているのである。そこっていったい、どうなってんだろう。気になるではないか。
 マニアの7ツ道具グーグルマップを開いてみれば、メーサイとタチレクはサーイ川という川で隔てられている。これが両国を分かつ国境線となっている。で、この川に沿ってどうやら小さな道が細々と続いているようなのだ。ここをたどってみたい……無性にソソられた。そんなとこ、どんな旅行者だって行ったことがないはずなのだ。
 武者震いを感じつつエンジンをかけて、バイクを走らせる。東に向かうと市場や家並みがしばらく続く。この左手にかぶさってくるような住宅やら商店の向こうには、見えないがおそらくサーイ川が流れているのだ。まさしくタイの端っこ、最果てを走っていると思うとアガる。年甲斐もなくついついスラロームをカマしてしまう。
 やがて家並みは少しずつ途切れていく。空き地が目立つようになり、田んぼや畑が広がる。いつのまにか道路の舗装もなくなり、すれ違うのはトラクターばかり。すぐそばに賑やかな国境市場があるとは思えない静けさとのどかさ、それに空の高さなんであった。しぜんとアクセルが緩む。
 ぽてぽてと低速で農道のような小道を走っていくと、木立の合間に茶色の流れが見えた。おっ。バイクを停めて、スマホで確認してみる。サーイ川だろう。とすると、あっちがミャンマーか。向こうもやはり草ボーボーの空き地のようで、人影も見当たらない。警備の軍も警察も、なにもない。鉄条網が張ってあるわけでもない。でも、別の国なんだ……川幅は狭い。石を投げれば届きそうだ。

 

05
右手がタイ、左手がミャンマー。周辺は農村がわずかに散らばっているだけ

 

思わず密入国しそうになるが……

 興奮を抑えて、またフィーノにまたがる。

 もっと行ってみよう。タイ側にもミャンマー側にも、ところどころ農地と、小さな家とが点在する。サーイ川を挟んで同じような景色が続く。これ、本当に国境なんだろうか。川の右岸と左岸で違う国ということが信じられない。狭いところでは見た目、幅はほんの10メートル足らずなのだ。流れも緩やかだ。我がフィーノを打ち捨てサーイ川に飛び込み、軽く泳いで数秒でミャンマーに上陸できちゃうんである。
 行ってみようか……。禁断の越境行為すら脳裏に走る。ぱっと行ってさっと帰ってくるだけならきっと余裕だ。誰も見ていない。国境警備隊もまったく見当たらない。少し離れたミャンマー側の畑にかかしが立っているが、あいつがまさか監視カメラを仕込んでいるとも思えない。「密入国してみた」とかYoutuberのノリで動画でも撮ってみようか。
 危うく誘惑に負けそうになるが、ここまで来ただけでもすでに国境探求家としての責務は果たしたと胸を張っていいだろう。せめても、とそこらの石を拾い思いを込めてブン投げ、ミャンマー側へ越境させた。
 陸の国境線は長大だ。イミグレーションの設置された「関所」以外は、こんな場所が延々と続いているばかりなのだろう。ささやかな農村や田畑が広がり、ものものしい警備もなく、両国の人たちはきっと用があれば国境と意識することなく日常的に行き来している。
 国境というと厳然な壁を僕たちは想像する。だけどほとんどの国境線はこうやって放置されていて、村はずれの小川くらいにしか認識されていないのかもしれない。

 

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こちらは左岸がタイで右岸がミャンマー。密入国はたぶん、すごくカンタンである(違法です!)

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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