越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#70

ウズベキスタン・アラル海

文と写真・室橋裕和

 バックパッカーに人気が高まっているウズベキスタン。その西の果て、砂塵吹き荒れる荒野には、かつて豊かな海があり、そして国境の街があったのだ。しかしいまは「墓場」と呼ばれる場所となってしまっている。

 

 

アウェーの中央アジアをゆく

 きわめて無機質な街並みであった。旧ソ連とは、かつての東側とはこういうところだったのだろうか。生活の匂いをあまり感じとれない、硬質でモノリスのような団地が、コピペのように立ち並ぶ。
 気持ちまで沈んでくるような曇天なんである。ちらちらと雪が舞っている。人々はみなコートの襟を固く閉め、円筒形をした毛皮の帽子をかぶって分厚いブーツを履き、黙々とどこかに急いでいる。あまり笑顔は見ない。僕がふだん能天気に歩いている東南アジアとはまったく違う、沈鬱な世界なのであった。
 シャツ一丁のいつもの旅ではなく、僕も重たいコートを着込んでいた。首都タシケントのバザールで、値切って50米ドルを支払ったシブい革製である。バンコクから降り立ったときにはセーターしか着ていなかったのだが、僕は冬のウズベキスタンをナメていた。朝晩の気温はたいていマイナス、日中もたいして暖かくはならない。北海道民からすればヌルいかもしれないが、常夏のタイからやってきた身にはこたえた。おまけに元社会主義国独特の、人工的で直線的で画一的な街並みもなんだか寒々しく映る。
 こんなときはロシア人がつくりあげたソ連スタイルの新市街ではなく、ウズベク人の伝統的な旧市街に足を運んだ。入り組んだ石畳の路地に子供たちが遊び、食堂の軒先でヒゲ面のおじさんが大鍋を振るい、絨毯やチーズやナンを売るバザールも連なっている。飾らない賑わいと活気が心地よい。
 しかし……ウズベキスタンの西の果て、キジルクム砂漠に囲まれたこのヌクスの街に来てみると、旧市街はほとんどなく、どこに行ってもコピペ団地ばかりが連なっているのであった。そしてとっても静かなんである。風の鳴る音ばかりなり。見るものもとくにない。気が滅入ってくる。ロシア人の社会計画のセンスを疑うが、それでもヌクスにはどうしても来たかったのだ。

 

01
ヌクスの住宅街にはこんな団地が等間隔に立ち並び、なんだか不気味なんであった

 

 

砂漠の真っ只中を、ひたすらに北西へ

 かろうじて簡単な英語が通じたホテルでチャーターしたのは、おんぼろのロシア車だった。年代モノなのだろう。無骨で角ばった車体についた、まん丸の目玉のようなヘッドライトはなかなかかわゆいのだが、乗り心地は最悪だった。シートが薄くてしかもサスペンションがガチガチだからか、やたらと揺れるしケツも痛い。しかしそんなことを忘れるほどに、僕は車窓に夢中になっていた。
 地平の果てまで砂漠が続いているのだ。乾いた荒地とわずかな雑草。360度それだけなんである。人口的なものといえば、道路と、平行する送電線だけ。我らがグーグルマップを立ち上げてみると、茫漠とした大地に100キロくらい、ヌクスから北西に向かってほとんど直線の道が延びている。ロシア人の執念に呆れるが、熱帯アジアでは見ることのない砂漠の光景は飽きることがなかった。
 3時間ほどかっ飛ばしただろうか。
 ようやく小さな集落が見えてきた。暮らしの気配にほっとする。しかし相変わらずのコピペタウンには歩く人も少なく、風が強いのか葉を落とした木々の枝が揺れ、実にさみしい。ほとんど廃村のような印象を受けたが、ここモイナクはかつて、ウズベキスタンを代表する豊かな「港町」だったという。

 

02
ひたすらに寂しくて寒いモイナクの街。昔は賑わっていたというが……

 

 

「墓場」になっていた港

 ロシア車を降りて、「海岸線」に立ってみた。
 ここは世界第4位の面積を誇る湖、アラル海である。どのくらい広いかといえばおよそ6万8000km2、日本の東北地方の面積に匹敵するほどの大きさのため「海」と呼ばれたのだ。
 しかしいま、目の前に広がっているのは砂の大地だった。水はどこにもない。砂漠を渡ってくる風が頬を切った。寒い、冷たいというより、痛い。吹き荒れる強風と巻き上がる砂塵。その昔、豊かな漁獲で賑わったという面影はどこにもない。アラル海は消えてしまったのだ。
 深いところでは70メートルほどの水深があったという。だから海水がなくなったいまでは、海岸線は海底に向かって落ち込む断崖絶壁になっている。岩場に気をつけながら下りていく。
 さらに風が強い海底には、朽ち果てた船がいくつも並んでいた。赤茶色に錆びつき、骨格があらわになり、なんだかクジラの死骸のようである。ほんの60年ほど前まで、こんな船がパーチ(スズキの一種)やペルーチ(コイの一種)、チョウザメを追っていたのだ。
 いま「船の墓場」と呼ばれているここは、かつてのモイナク港である。もはや海の生命力も港の活力も感じられない場所に成り果てた砂漠を歩いてみる。
「おお……貝殻がある……」
 確かに海だったのだ。その痕跡を拾い集めていると、声がかかった。墓場見学のウズベク人か、ごつい若者がふたり。身振り手振りから察するに写真を撮ってほしいらしい。ここはたまにヒマな物好きがやってくる、観光地でもあるのだ。お安いご用である。ほれ、そのスマホを貸してみ。
「ノー、ノー」
 違うのだ、という。翻訳アプリを駆使するに、お前のカメラで、お前の思い出のために、俺たちの写真を撮るがいい……どうもそう言いたいようなのだ。ウズベキスタンでは何度かこういうことがあった。撮られたがりなのである。
 なんで砂漠の真ん中で汚い男ふたりの撮影をしているのか不思議な気分ではあったが、墓場をバックにあれこれポージングさせて撮りまくると、彼らは満足したのか笑顔でサムズアップして断崖を上っていった。

 

03
アラル海の跡地に取り残された船の残骸。ここが60年ほど前まで満々と水をたたえた港だったとは信じがたい

 

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俺たちを撮れ、と自信満々に話しかけてきたアニキたち

 

 

消失した海の向こうには国境がある

 これでまた生物は僕だけになった。
 ここが死の海となったのは、ソ連がカマしたムチャな灌漑のためである。砂漠を耕地化して綿花を栽培するために、アラル海に流入していた大河から取水しまくったのだ。1960年代からはじまった開発工事によってアラル海と河川の水量はみるみる減少、いまや面積はたったの10分の1に過ぎない。海岸線はモイナクのはるか80キロ彼方にまで遠ざかってしまった。
 もともと塩湖だったため干上がった底から塩が吹き、砂塵とともに周囲に撒き散らされる。塩害によって作物は育たず、健康にも悪影響が出る。漁業も農業も壊滅し、最盛期に3万人だった人口は1万人まで減った。みんな街を出ていったのだ。乱開発のツケは大きかった。
 わずかばかり残された海は、国境を越えてカザフスタンにまたがっている。モイナクはかつてカザフスタン側の港とも船で結ばれ、モスクワにも航空便があった、国境の街だったのだ。
 その国境の向こう側ではダムを建設するなど、水量の回復を目指す取り組みが進んでいると聞く。しかしウズベキスタン側では発想の転換か、この死の大地に思い切ってカジノをぶっ建てて「中央アジアのラスベガス」にしてしまえ、という計画があるそうな。UAEの投資家たちがブチ上げているようだが、この見捨てられたような地をマネーだけで変えていくのは難しいように思った。


05
アラル海の消失は「史上最悪の環境破壊」と呼ばれた

 

06
モイナクの街の入口に立つモニュメントだが、魚の絵が悲しい

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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