ブルー・ジャーニー

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#66

バリゴッティ あの角の向こうへ〈3〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

フラヌール――遊歩者

 朝食をすませ、朝8時過ぎ、外に出る。

 太陽の光は若やぎ、石畳や家の壁に映る影は浮き立っている

 曲がり角の向こうに、まだ青くなりきれていない水面が、煌めいている。

 芯に夜の涼が残る潮風が顔をなでていく。

 影から猫へ、猫からポスターへ、ポスターからレモンへ、レモンから花へ、花から窓へ。水の中を漂うように、目に映るものをたどる。

 

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 あともう少し、あの曲がり角の向こうまで。

 ついつい足が伸びてしまうぶらぶら歩きの、ぼく個人の問題は、帰り道だ。でたらめで、行き当たりばったりであることに加え、地図上のどこにいるのかということに興味がないので、振り返って途方に暮れる。

 イタリアの歴史ある町の道のほとんどは、アメリカのような直線的な升目状ではない。楕円、長方形、台形の広場から道があちこちに伸び、となりの広場と有機的に結びつき、さらにべつの広場へと手を伸ばしている。人間的で、自由で、温かくて、ぶらぶら歩きが楽しくて、だから帰り道が手強い。約束の時間が近づいていることに気づき、あわてて走り出して余計に方角がわからなくなり、いつも冷や汗をかくことになる。

 

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 レストランの店先に立てかけられた黒板のメニューをコンパクト・デジタルカメラで撮る。

 午前の散歩を終えたら、持ってきた『イタリア料理用語辞典』で解読し、昼食を決めよう。書き文字なのでかなり苦戦するけれど、これまでのところ、なんとかおいしい食事にありつけている。

 コンパクト・デジタルカメラが出始めたころだった。曲がり角ごとに写真を撮り、それをたどって帰ればいいじゃないか。なんと画期的な。これで思う存分ぶらぶら歩きができる。そう思ったところが、そろそろ帰らなければと写真を見ると、どの方向からやってきて、どの方向に向かって撮った写真なのか全然分からず、安心しきっていたぶん、とんでもなく冷や汗をかくことになった。

 

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 その点、バリゴッティは、ぼくにとっては完璧な町だ。曲がり角の向こうにたいてい海。右手に見えるのか左手に見えるのかで、歩いている方向がわかるから、思う存分迷うことができる。なにより、小さな町だから、歩きつづけるうちに、いつか見覚えのある場所に出る。

 

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“遊歩者”という、字面がとてもすてきな言葉がある。唱えたのはユダヤ人家庭に生まれたドイツの思想家、ヴァルター・ベンヤミン。

 ベンヤミンは19世紀のパリを、目的に持たずに街路をさまよう人びとを “フラヌール(遊歩者)”と呼び、言った。

「遊歩者は、アスファルトの上を植物採集して歩く」

 

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 産業化が急速に進んだ19世紀、目的に向かって、ロボットのように歩く人びとのなかを、遊歩者はまったく異なるリズムで歩いた。1840年の一時期、亀を連れて、同じ歩調で散歩を楽しんだ。

 フランスの代表的百科事典“ラルース百科事典”の19世紀版は、“遊歩者”を取り上げて「怠け者の一態様である」と定義し、こうつづけた。「遊歩者の怠惰には、独創的で芸術的な側面がある。これは特定の職業に就くように『遊歩者になる』というようなものではなく、『遊歩者であることができる』だけである」

 

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 ベンヤミンの友人であり、作家のフランツ・ヘッセルは「われわれのなかにはひそかな怠け者がいて」その怠け者は理由もなく歩いてみたがっていると主張。遊歩がうまくいったとき「都市の街路は覚醒夢になる」と言った。

 あるいは19世紀の完璧な遊歩者とされた、ボードレールは人波の中こそが遊歩者のすみかだと言った。

「鳥にとっての空が、魚にとっての海がそうであるように」

 

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「どこでもいい! どこでもいい! この世界の外でありさえすれば!」

 ボードレールにとって、もっとも落ち着ける場所は、自分の家ではないどこかだった。パリでの日々が重苦しく感じられ、世界が単調で狭苦しくなると、「出発するということのためだけに出発」し、港や汽車の駅までやってくると、こころのなかで叫んだ。

「客車よ、ぼくを連れていってくれ! 船よ、ぼくをさらっていってくれ! ぼくを遠くへ、はるか遠くへ、つれていってくれ」

 

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 第2次世界大戦中、ナチスに追われたベンヤミンは、逃亡の途中、1940年9月26日にスペインのピレネー山脈で服独自殺。その年、アメリカに生まれた作家、エドマンド・ホワイトは“遊歩者”を引き継いだ。

「遊歩者というものは、当然ながら時間に恵まれており、朝だろうと昼だろうと目的のないぶらぶら歩きに出掛けられなければならない。特定のゴールや、時間配分は遊歩者の真の精神に反している」

 43歳から7年間、パリに住んだホワイトは、ガイドブックを手に観光名所をくまなく、数多くめぐることこそが、自分の価値を高めることだと思いこんでいるアメリカ人は遊歩者には向いていないと言った。

 

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 直線的な道路と、新しくて、大きくて、ガラスをふんだんに取りこんだホテルが目の前に現れる。

 突然、変わった景色に、バリゴッティの旧市街から抜け出たことを知る。

 歴史に育まれたエリアと、資本につくられたエリアの間には、なだらかに移行していくゾーンも重なり合うゾーンもない。

 発展は破壊に似ている。

 踵を返し、旧市街に潜る。

 

(次回へ続く)

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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