越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#64

シンセン・蛇口~香港・落馬州

文と写真・室橋裕和

 香港からシンセン。日本人にもメジャーなルートである。しかし今回はあえて、どちらの出入境ともマイナーなポイントを通過してみた。1日で中国を行き来して香港に戻ってくる、日帰り越境旅だ。前回、香港を船で発った僕は、大陸シンセンの蛇口港に到着した。

 

 

蛇口フェリーターミナルからシンセンに上陸する

 珠江の空はいつも暗い。
 雲が重く立ち込め、それが香港やシンセンの蒸し暑さの一因となっているようにも思う。
 蛇口港に降り立ってみると、今日もそんな曇天だった。小雨がぱらついている。快適な、滑るような航海だったので海峡を越えた実感もあまりないまま、ボーディングブリッジを歩いていく。
 港の中に設置されたイミグレーションは通行する人も少なかった。パスポートを手に順番を待つ。香港のような無人ゲートはなく、美人だが厳格そうな役人があたりにニラミをきかせているのであった。
「次!」
 と呼び立てられたわけではないのだが、窓口の中華美人にガンを飛ばされアゴで合図されると背筋が伸びる。なんだか怖い先生が待ち受ける体育教官室に出向くかのような緊張感。いつも思うのだが、この連載でも書いてはきたが、ナゼ中国のイミグレーションは酷薄そうな美人ばかりを窓口に配置するのか。
 おそるおそるパスポートを提出する。教官はひったくってぱらぱらとめくるが、とっても不機嫌そうなんであった。
「中国ははじめてか?」
 おっ、英語だ。珍しい。さすが香港との境界。が、そんなもんパスポート見りゃわかんだろ。ハンコあんだろ……なんてもちろん言えるわけもなく、いえメニータイムとか答える。
 モニターに僕の全データが表示されているだろうに、質問をカマし、吟味するようにパスポートを1ページずつめくって眉間にシワを寄せるのは、やはり「お前らこっから先はヌルい民主主義じゃねえんだぞ」とプレッシャーをかけているのだろう。
 教官は苦い顔のままパスポートを投げ返してきた。どうやら中華の門が開いたらしい……と思った刹那、いきなり大音量で日本語のアナウンスが流れるではないか!
「ミギテ・ヨンホン・ノ・ユビヲ・オイテ・クダサイ!」
 窓口に設置された指紋採取マシーンがなにやら点滅している。そこに指を置いてスキャンしろというのだろうが、それにしたってこのボリュームはないだろう。日本人は恥じらいの民族なのである。イミグレーションのフロア全体に高らかに鳴り響く日本語に顔を赤らめてしまう。冷然とした顔の中華美人に見下ろされつつ、ちんまりと指をスキャンする。やっと通過か……。
「ヒダリテ・ヨンホン・ノ・ユビヲ・オイテ・クダサイ!」
 再度の要請に応じながらもなんだか屈辱を感じてしまうのであった。これは中華美人とのイミグレ・プレイなのかもしれない。
(あとで知ったが、これは2018年から導入された新システムらしい)

 

01
バカでかいが、ひと気は少ない蛇口フェリーターミナル&イミグレーション

 

 

巨大ターミナルに感じる大陸の気風猛スピードで進む

 ようやくの入国である。出入国スタンプのなくなってしまった香港とは違い、中国はまだ現役だ。美しい書体で「蛇口」と入国地点があしらわれたハンコを見つめる。うれしい。これでまた中国の国境をひとつクリアしたのだ。
 その蛇口フェリーターミナルは、イミグレーションを抜けると天井のえらく高い巨大ホールだった。ムダに広い。香港側が狭い土地に苦心して入り組んだ都市をつくりあげているから、そこから渡ってくるとよけいに広大に感じる。ひとつひとつの建物の造作がいかにも大陸的なのだ。
 しかしそのぜいたくな空間に人はまばらで、広東省やマカオなど各地に船が出ているターミナルとは思えないほど閑散としていた。寂れた感じが僕にとってはたまらない。いつもの正面玄関ではなく、裏口からシンセンに潜入しているのだ。マニアはいつも、わき道にソソられるものなのである。

 

02
蛇口港周辺の様子。シンセンは郊外でもよく整備されており、QRコードで開錠できるチャリがあちこちにある

 

 

アジア最強の電脳街・華北路へ

 香港ドルから人民元に両替はしたのだが、ここは世界屈指のサイバーシティ、果たして現金なんぞ通用するだろうか……と思っていたが、ターミナルの外で乗り込んだバスはむしろ、ひと昔前のローカルなものだった。ワンマンではなく若い女子の車掌がいて、首から下げた料金箱をじゃらじゃらいわせながら「リャンクァイチェン(2元)」とか言ってくる。むしろQRコードは使えるのだろうか。2元を払うと、ペラペラの紙のキップを渡される。懐かしい。シンセンも郊外では古い中国が残っているようだ。
 すぐそばの蛇口駅でバスを降りる。そこから地下鉄で東へ、およそ30分ほど走ったろうか。やってきた華強北駅の周辺は通称「シンセンのアキバ」。いや、もはやそんな二ツ名は失礼であろう。秋葉原など比べ物にならない超巨大電脳街が広がっているのだ。
 南北につらなるこれまただだっ広い華強路の左右には、家電やらスマホやら、パソコンやらのショップがひしめき、また細かな部品やら配線やら基盤を売る店も目立つ。体育館みたいなフロアに数百人の工員が机を並べてなにやら作業しているところもある。広場ではドローンの展示会が開かれていた。
 地方から出てきた小さなメーカーがブースを開いて独自の商品を売り込んでいる会場もあったが、見ているとその場で商品をチェックして即決、契約している業者もけっこう多いのだ。いけると思ったらどんどんつくる。いいと思ったらまず買う。そして売る。あのスピード感だろうなあと思う。どんどん前のめりに突っ込んでいく姿勢が良くも悪くも中国だ。
 いくつか店を回って、旅用スマホを新調した。海外でいつも使っていたSIMフリーのスマホがだいぶ古くなっており、挙動不審になっていたのだ。

 

03
華強路のスマホショップでは美人キャンギャルとピエロがいた

 

 

またしてもイミグレ美人と対決

 さて、スマホも買ったし、最後のシメはまたしても越境だ。華強北駅からさらに東に行けば、中国と香港のメイン・イミグレーションのある羅湖に出る。しかし、何度も通過したそんなポイントにもはや用はないのである。また別の越境地点から香港に戻ろうではないか。マイナールートでシンセン湾をぐるりと巡り、香港から中国本土、そして香港へと日帰りで一周する。それこそが今回の目的にほかならない。スマホなんぞオマケである。
 地下鉄蛇口線、龍華線と乗り継いでシンセン南部へ。終点の福田口岸駅の周囲は、タワマンの森である。強くなった雨の中、地下鉄を降りた人々は駅前からバスやタクシーでタワマンの足元へと散っていく。その高層住宅地から狭いシンセン河を隔てた対岸は、もう香港だ。
 駅をエスカレーターで上階に上れば、そのままイミグレーションとなる。行き来しているのは大半が、両岸を股にかけて暮らしている様子の通勤、通学客だ。羅湖よりもずっと生活感のあるボーダーだと思った。
 対岸の香港・落馬州は香港では珍しく田畑も広がる地域だが、MRT東鉄線に乗ればすぐに羅湖から来たラインと合流し、そのまま香港の中心部に至る。
 福田イミグレーションでは、外国人用の窓口はひとつ。順番待ちをしているのは出稼ぎ風の恐らくフィリピン人らしき一団、香港在住とみえる白人や日本人。旅行者は僕だけのようだった。
 そんな場所を通過するのもオツなものである……と、やっぱり冷たい感じの美人イミグレ係官にパスポートを提出する。出国なので、あの恥ずかしい指紋採取マシーンはない。その代わりに置かれてたのはこれまた中国イミグレ名物、係官の採点ボックスであった。
「この係官の態度はどうでしたか? ボタンを押して評価してね!」とか中国語と英語で書いてある。ボタンは「サイテー」「まあまあ」「良い」「エクセレント!」と4段階(これ、国境によって3段階のところもあるように思う)。荒涼たる共産主義の社会に、少しでもサービス精神を持ち込もうとしたものか。だがどれだけ味気ない笑顔ゼロの塩対応をされようと、圧迫感すらある制服美人を前に「サイテー」を押す度胸のある越境者はほとんどいなかろう。このマシーンのデータを解析したって国境の実態はわからないのである。
 やれやれ、とエクセレントボタンをプッシュして、パスポートを受け取る。きっと「福田」の出国ハンコが押してあるに違いない……わくわくしてページを繰る。
 目を疑った。
 そこには確かに「福田」スタンプはあったが、あろうことか上下さかさまなのであった。出入国印コレクターとしては、これほど残念な押され方もない。なんだよこれ……僕は旅の最後にがっくり肩を落とすのだった。
 許すまじ。次回の中国訪問では勇気を出して、きっと「サイテー」ボタンを連打してやるのだ。そう固く誓った。

 

04
しぶいフォントの福田口岸駅。「口岸」とは国境のことである

 

05
「往香港」こういう表記を見ると胸躍る。向こう側は異なる統治体制の場所なのだ

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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