越えて国境、迷ってアジア
#61
インド・モン~ロンワ
文と写真・室橋裕和
とうとう解放されたインド東北部の果ての果て、ミャンマー国境ナガランド州。ここはモンゴロイドが住む最西端の場所のひとつだが。それゆえ戦乱が続いてきた。これまで外国人の出入りが厳しく制限され、外界から隔絶されてきた州を訪ねて見ると、そこにはアジアの原風景がそのまま保存されていたのだ。
現代とは思えないナガランド山中
果たしていまは、本当に21世紀なのだろうか。
時代を超えてタイムリープしたような感覚に、ナガランドに入ってからずっと捉われていた。
大ナタや銃を担ぎ、険しい顔をして歩いていく男たちとすれ違う。手には獲物だろう、血まみれのトリやらウサギやらを手にしていた。女たちは大きなカゴを背負い、いっぱいのマキを積んで村へと帰っていく。藁葺きの木造民家が立て込む村には、近代的な施設や商店はひとつもない。電気もない。そのかわり家々の垣根は色とりどりの花で鮮やかに飾られていた。子供たちはみな、赤ん坊を背負いながら、追いかけっこやらボール遊びに興じている。どの顔も浅黒く汚れていたが、精悍だった。
そんな村をいくつも越えて、モンという町にやってきた。
ようやく道が舗装され、電気が使えるようになる。とはいえ、停電はひんぱんである。そして町には、インターネットもなければホテルもなかった(2012年当時)。
「だからモンに来る外国人は、あたしのとこに来ることになってんだよ」
そうマダム・パインダは笑った。ソナリ州境でつかまえた1日わずか3本という乗り合いジープの運転手が、マダム宅までつれてきてくれたのだ。
外国人の訪問が許されてまだ間もないナガランドの、それもド辺境である。ごくたまに外国人が迷い込んできても、どう対応したらいいのかわからない。そこで処置に困ると、英語がわかるマダムと呼ばれるこの女性に、まずは預けられるというしきたりのようだった。
「外国人が来たときだけ開けるのよ」
という小さなゲストハウスがあるのだそうだ。納屋的なものを想像していたが、思ったよりもずっときれいで、拍子抜けするほど今風だった。ただし電気は不規則に停電し、シャワーは5分ほどしかお湯が出ない。もちろんネットはない。
「今日は疲れたでしょう。ゆっくり休んで」
確かにその通りだった。アッサム州を大横断して、何度もバスを乗り換え、15時間ほどきつい移動の連続に耐えてきた。いくらマゾ旅を好む僕とはいっても、限度というものがある。しかしマニアにとってこの疲れはまた快感でもあるのだ。ハードな旅の果てに、とうとう禁断のナガランドに潜入した……アスリートとして、またひとつステージをあげてしまったな……僕はやわらかな布団の中でほくそ笑んだ。
ナガランドの山中をジープで走っていると、どこでもこんな男たちと出くわす。ナタは必携だ
典型的なナガの村。小さなところでは電気もなく、自家発電機が頼り
どこに行っても外国人は大注目
翌朝5時。興奮のため速攻で目が覚めてしまった僕は、まだ霧の漂う町に出た。
辺境の朝は早い。ゲストハウスのそばでは路上がそのまま青空市になっており、すでにけっこう賑わっている。ゴザに野菜やら果物を並べているオバハン、タガメやザリガニなど沢の幸を商っているオバハン、虫売りオバハン……市場の主役はアジアのどこに行っても変わらない。肉屋もあった。早朝から鮮血にまみれた派手な解体ショーをかましている。豚肉が目立つように見えた。
が、珍しがられているのは僕のほうであった。顔立ちが同じとはいえ風体から外国人ということはわかるようで、スター並みの視線を集めてしまうのである。オバハンたちから声もかかる。つい最近まで外国人ご法度だったのだ。子供たちは僕を指差し目を丸くして大騒ぎである。こんな注目度はバングラデシュの田舎に行ってもなかった。なかなかいい気分じゃないか。
ショウガ両手にサービス精神旺盛な野菜売りのおばちゃん。右下はタニシかなにかだろうか
モンはナガランド北部では大きな町のひとつ。ちゃんと電気だってある
インド・ミャンマー国境にまたがる村
「ロンワに行ってみるかい」
モン近郊でどこか面白いスポットはないかと訊ねたところ、マダムはそう提案してきた。
「もうミャンマーが近くてね。古い家もたくさん残っているよ」
ほほう……。国境マニアとしては見逃せないアクティビティであろう。さっそくマダムにジープを仕立ててもらう。公共の交通はごくわずかな乗り合いジープしかなく、自由に見て回るにはチャーターしかない。
道中は延々と濃密な緑であった。深いジャングルが続く。霧が立ち込め、ときおり雨がぱらついた。このあたりは世界有数の多雨地帯でもあるのだ。ぬかるんだ道にジープがタイヤを取られたりもする。舗装路なんてない。泥の道を行き来しているのは、やはりナタや銃を手に狩猟に向かう目つきの鋭い男たちと、ひたすらにマキを運ぶ女たち。
そんなドライブを3時間ほど続けると、山の稜線に沿って拓かれた村に出た。「ロンワだぜ」運転手が言う。
まるで「日本昔ばなし」の世界じゃないか……。藁葺き屋根の波、漂う煮炊きの煙、竹で編まれた農具やカゴ、豊かな田畑、素朴な顔立ちの人々。例によって赤ん坊を背負った子供たちが走り寄ってくる。きっと日本にも昔、こんな光景が広がっていたに違いない。
村の中心部を目指して歩いていく。子供たちは全員ぞろぞろとついてくる。気難しそうな爺さんや、ヒマそうな婆さんも行列に加わり、気がついたらパレード状態。実に恥ずかしいのだが、そのうちひとりの青年はカタコトの英語がわかったので聞いてみた。
「あの、この村ってミャンマー近いんだよね」
「えっ、ここミャンマーだよ」
「はっ?」
「あのあたりの家がインドで、こっちの建物がミャンマーかな。で、あの教会はインドとミャンマー半々。ちょうど境目に立ってる」
ナガ族の人々は独特のアニミズムを信仰しつつも、イギリス時代の影響でキリスト教徒でもあるのだが、村の教会は国境線上に位置しているというではないか。
ミャンマーが近いどころではない。この村は両国にまたがって広がっていた。ちょうど稜線が国境といちおう定められているらしい。
「じゃじゃあ、国境の警備とか管理とか、そういうのどうなってんのさ。みんな好きに出入りしてんの?」
「それなら、ホレ。あそこにインド軍の基地がある」
ショボイが確かにインド国軍と看板のかかったバラックがある。
「で、ミャンマー軍が目の前」
木造藁葺きナガ伝統家屋の前には、ヒマそうにタバコをふかし、AK47を背負ったミャンマー兵が数人、たむろしているのであった。上官らしきアニキは僕の姿を認めると、流暢な英語で「ようこそミャンマーへ」なんて白い歯を見せる。
なんという国境なのか。両国の軍隊が顔を合わせて生活をし、共同管理しているのだ。
インド側でもミャンマー側でも、かつては独立を目指す反政府ゲリラの活動が激しかったこともあり、国境線はあいまいなまま、いまに至っている。どちらも住んでいるのは同じナガ族のため、行き来は黙認されており、イミグレーションというものは存在しない。国境というものが成立する以前、近世の姿をいまに留める極めて貴重な場所なのだ。
ナガランドの象徴は赤ん坊を背負った子供たちの姿かもしれないと思った
ロンワ村に駐屯しているミャンマー兵は頼んでもいないのにポージングを決めてくれた
建物の手前がインドで、向こう側がミャンマーにあるのだという教会
国境が開くその日まで
僕は憑かれたようにロンワ村を探検し、歩き回った。ほれインド。よしミャンマー。またインドに入っちゃうぞ。軽快なステップで国境をまたぎ、飛び、ロンワの人々を不審がらせた。
その昔、国と国との境い目なんて、このくらいザックリしたものだったと思うのだ。パスポートとネットワークで国境が管理され始めるのは20世紀に入ってからのことである。つまり僕は、少なくとも100年以上前の国境の姿をいま見ている……。
ああっ、このまま近代国家の戒めを破り、ヤンゴンまで行ってしまいたい。ナガの人々と同じように国境を無視してミャンマーを旅したい衝動にかられる。そしてたぶん、それは可能だろう。うまくすればヤンゴンまで行けるような気もするが、自重しておいた。
いつの日かここも、正式にイミグレーションが開設され、国際国境となるだろう。その日にとっておくのだ。
教会のほかにもうひとつ、国境線をまたいでいる建物がある。ホールと呼ばれている。ナガの木造藁葺き民家をそのまま100倍にしたような巨大さで、目の前には芝生が広がる。祭りや集会などはすべてここで行われるのだ。なんだか古代遺跡のような迫力にも満ちている。インドもミャンマーもなく、このホールにナガ族の人々は集まってくる。
ナガランドとはもしかして、一大観光資源ではないのだろうか。美しい原初の自然、タイムカプセルのように保存されてきた文化。タイ北部やラオスでは少数民族の村を外国人がトレッキングし、伝統的な織物や雑貨を買い求め、土地の文化を体験する旅が人気だ。それ以上のポテンシャルをナガランドは秘めているようにも思った。これはひょっとすると、面白いことになるかもしれない。近い将来、ナガランドは大きな注目を集めるのではないだろうか。
ロンワ村の中心に立つホール。周囲には伝統工芸の品々なども飾られている
*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」
*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
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発行:双葉社 定価:本体1600円+税
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室橋裕和(むろはし ひろかず) 週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。 |