越えて国境、迷ってアジア

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#59

ラオス・パクベン~タイ・チェンコン

文と写真・室橋裕和

 メコン河を行き来する水上交通の要衝パクベン。たくさんの旅行者が行き交いながらも、古き良きラオスがたっぷり残るこの村は、いまダム建設に揺れているという。7月にラオス南部で発生したダム決壊事故も影を落とす。メコンの乱開発はもう止まらないところまで来ている。

 

 

至福のメコン酒

 メコン河を見晴らしながら飲むビアラオは、たぶん世界でいちばんうまい。
 喉ではじけ、胃の腑に落ちていき、酔いが全身にじんわり広がっていく。ほぐれた気持ちで巨大な濁流を眺める。護岸工事もされていない天然のままのメコンは、低い地鳴りのような音を立てて流れていく。左右には山岳が迫り、その緑と、河の茶だけの世界。いつまで見ていても飽きないのだ。
 しかも天下の平日白昼であった。真ッ昼間から飲む酒のうまさは、きっとアル中諸氏にはわかっていただけると思う。加えてカタギの皆さまが汗水たらして労働しているであろう平日に決めるメコン酒。あまりの幸せについついビールは進む。
 圧倒的な優越感に浸っているところに、運ばれてきたのはラオス名物料理のひとつラープ・ガイ。鶏肉とハーブのサラダである。唐辛子のスパイシーさと、ジューシーな鶏ひき肉に、ミントとライムのさわやかな香りがよく合う。隠し味はカオクア(炒り米)だ。
 ラープ、ビアラオ、メコン。完璧な3点セットであった。大勝利である。

 

01
ラオス名産ビアラオ&メコン河。最強の組み合わせといえよう

 

02
ラープはビールにも合うがカオニャオ(もち米)にも合う。ガイ(鶏)もいいが、ペット(鴨)もいける

 

 

ラオス山間部の静かな村を歩く

 ラオス北西部、タイ国境も間近に迫る山間の小さな村パクベン。メコンを西に50キロほどさかのぼると、大河の西岸がタイになる。#12でも紹介した、フエサイ=チェンコン国境に至るのだ。
 そして東に河を100キロあまり下っていけば、世界遺産の街ルアンパバンに出る。かつてのランサーン王国の首都であり、いまやラオス最大の観光地でもある。
 その中間地点のようなパクベンは、だから外国人旅行者もけっこう多い。船着場から上っていく坂道に沿って、10軒ほどのゲストハウスが並び、僕がビアラオを結局夕暮れまで飲み続けてしまった簡素な食堂もいくつかある。
 とはいえ静かなものだ。外国人が行き交うエリアは一部だけで、あとは古びた木造の民家が続く。小さな寺院と、青空市場、いくつかの屋台。ささやかな暮らしぶりが伝わってくる。観光都市ルアンパバンや首都ビエンチャンがどんどん発展していく一方で、パクベンには懐かしい空気がまだまだ残っていた。
 とくに朝方は幻想的だった。少し酒の残る頭でゲストハウスを出てみると、薄く霧が漂っていた。熱帯だが山中なのでいくらか寒い。その冷え込みの中を、托鉢僧が歩いていくのだ。マフラーやショールをまとった村人たちは僧が来るだいぶ前から待ち構えていて、朝の挨拶を交わしている。オレンジ色の袈裟を認めると、路上に座り込んで手を合わせ、僧たちの持つカゴにもち米やら惣菜やら水やらを惜しげもなく入れていく。何百年もこんな朝が繰り返されてきたのだろうと思う。

 

03
どこか昔の日本の山村にも似た空気を感じるパクベン

 

04
青空市場で店番をしていた少女だが、左下には死んだ鳥が……やっぱり食べるんだよ

 

 

穏やかな村に降りかかったダム建設問題

 時が止まったかのようなパクベンは、いまダム建設計画でずいぶんと揉めているようだ。
 村のおよそ7キロ北部、メコン河の本流に建設が予定されているパクベン・ダムだが、環境破壊や周辺の村人の生活への悪影響が懸念されている。
 計画が始まったのは2007年だ。China Datang Overseas Investment(中国大唐集団海外投資有限公司)がおもに出資、主導するもので、タイの電力大手も参加。ダムの水力発電によって得られた電力の多くはタイに輸出される契約だからだ。
 しかしダムが稼動を始めれば、メコンの生態系は破壊されるともいわれる。ダムの開閉によって水位を恣意的に上下させると、魚たちは産卵場所を失い、繁殖できなくなってしまう。また洪水が起きる地域もあれば、逆に旱魃となる地域も出てくる。広大な農地や無数の村がダム湖に沈む。
 影響はラオスだけに留まらず、国境を越えたタイにも及ぶと予想された。そのためタイ側から建設の中止を求める訴えが出され、いまのところ結論は出ていない。
 7月23日に発生したラオス南部のダム決壊事故は、パクベン・ダムの行方にも影響するだろう。このダムの工事の中核を担っていたのは韓国企業だが、手抜き工事の可能性も指摘されている。外国による、ラオスの国土とメコンの乱開発が広く知られることになった事故だった。そして、すでにラオスで建設中のダムのいくつかは、日本企業によるものだ。

 

05
パクベンから望むメコンの夕陽。あの方向にまっすぐ進むとタイに行き着く

 

 

国境線の真っ只中を突っ走る!

 カン高いエンジン音を響かせて、スピードボートはパクベンを出発した。メコンの中ほどまで来ると一気にエンジン全開、船首がハネ上がりGで身体が後方に流される。あやうくメコンに落ちそうになるが、かろうじてふんばった。まだライフジャケットすら着込んでいないのに、運転手は容赦ないのであった。
 トンがった船首と長細いフォルム。幅わずか1メートル足らず、長さ5メートルほどの小さなボートは、あまり例えたくはないがミサイルのような姿をしていた。後方に取りつけたられたトヨタ製エンジンをフル稼働させれば、ミズスマシのごとくカッ飛んでゆく。本当に飛んでいるようなのである。まるで競艇だ。体感速度はおそらく時速100キロ超。
 水面を切るたびに衝撃が腹に伝わる。舷の高さは20センチくらいしかないのではないか。あぐらで座り込んでいるのだが、ひざがすでに舷からはみだしている。岩礁を避けて右に左に舵を切るたびに肝を冷やす。いちおう申し訳程度にぼろぼろのライフジャケットと、汗の匂いが染み込んだ汚いヘルメットが乗客に貸し出されるのだが、たぶんあまり意味はない。放り出されたらメコンの藻屑となるだろう。
 だが、だんだん笑えてくるのである。ジェットコースターに延々と乗り続けているような感覚の中、次第に恐怖は薄れていく。そしてとうとう、左岸にタイの国旗が現れた。向こう岸はもうタイなんだ。右にラオス、左にタイを従えて、国境線となっているメコンを走る。マニアとしてはこれ以上ないアトラクションであろう。ガコガコと揺れまくるボートに耐えながらカメラを構えて、国境の姿を激写する。脳汁が止まらない。これこそラオス旅行のハイライトだろうと思う。
 このボートもまたダムの影響を受けている。メコン上流、中国側ではすでに多数のダムが完工している。この影響で、メコンの水量は大きく減ったのだという。そのため雨季でもあちこちに岩礁が見え隠れし、危険極まりない。これを避けるため、ボートは以前よりも時間をかけて航行するようになった。
 3時間ほどのメコン旅が終わり、はるか彼方にタイ=ラオス第4友好橋が見えてきた。あれがゴールだ。#12でも取り上げた、インドシナの陸路の結節点のひとつである。
 いくつもの国境を越えて流れるメコンは、それゆえに流域の国々の思惑や利権に振り回される。でもひとつだけ、メコンの恵みによって暮らしている人々が泣くような開発だけは、してほしくないと思うのだ。

 

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こんな頼りないボートに乗って、大河メコンを猛スピードでブッ飛ばしていくのだ

 

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右側がラオスで左側がタイ。ふたつの国の合間を縫って走っていると思うとテンションは上がる

 

*参考:International Rivers https://www.internationalrivers.org

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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