ステファン・ダントンの茶国漫遊記

ステファン・ダントンの茶国漫遊記

#58

再びの静岡で 2

ステファン・ダントン 
 

 2020年2月、静岡県が県内の日本茶産業を紹介するために主催するメディアツアーに参加することになった私は、フラットな視点で静岡の茶産業の現状を見てみたいと思った。前回は静岡市両河内地区の若き茶生産者たちの挑戦、地元日本茶インストラクターが創意工夫し静岡食材を生かす飲食店をお届けした。今回はその続編である。

 

 

 静岡市内の茶産業の現場をめぐるツアーは、午後も続く。目指す先は葵区栃沢という場所。市内から1時間ほどの茶どころで、静岡に茶の種を持ち込んだ鎌倉時代の禅僧、聖一国師の生まれ故郷。

 

 昼食を終えてバスに乗り込む午後の静岡はよく晴れて、「まるでニース」。車窓の景色を眺めながらみんなにいうときょとんとした顔をした。

 

 私が「年中温暖で海から山に風が抜けていく気候と山から海に水が流れてできた土壌、それに裏打ちされた農産物の豊かさは、フランス南部の海辺のまちに本当によく似ている。静岡は、日本から独立しても成立する数少ない県の一つだ。山があり海があり農地がある。産業もあって発電所もあって空港も港も新幹線の駅もある」と続けると、「ステファンは本当に静岡が好きなんだね」と簡単に片付けられてしまった。

 

 少しずつ勾配を上げる道の両脇に、みかん畑が増えてくる。けれど、最近はみかんから生産作物を別のものに切り替える農家も増えているそうだ。

 

「静岡といえば、みかんだよね。でも最近は静岡のみかんを見かけないね」と同行者。

「静岡みかんは勝手にどこかへ行ったわけじゃないよ。みんなが買わなくなっただけだ」と私。

 

 みかんが置かれている現状も日本茶と同じ。国内での消費量が下がっているんだ。もっと地元特産品の魅力を伝え、地域全体を活性化するにはどんな方法がありうるかについて思いを巡らせているうちに、車窓からの景色はすっかり山間の茶畑の集落に。

 

 

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栃尾の風景。

 

 

在来種を育成する茶園
〜古民家から本物の日本茶文化を発信する「先生」~

 

 

 栃沢にたどり着いた私たちは、茶畑に囲まれた昔ながらの縁側のある民家の庭先に案内された。縁側と向かい合うように、やや近代的な作業場もある。出迎えてくれたのは、日本茶を種から育てる在来種の研究と高品質な茶葉の生産で知られる「山水園」のあるじ、内野さんだ。少し日焼けした顔と手元に茶農家らしい精悍さが溢れている。一方で、その表情や物腰には、すきのない僧侶のようなムードも漂っている。

 

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「山水園」内にある自宅の縁先で自作のお茶を紹介する内野さん。

 

 

 縁先に用意してくれていた在来種の紅茶を一口いただいて、家の中へ。座敷には大勢がお茶会できるような準備がしてあった。席について見回すと、どっしりした神棚と床の間。床の間には、お寺の風景を描いた掛け軸がかかっている。

 

 

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お茶席の支度をする内野さん。

 

 

 「ちゃんと奥から詰めてね。みんなが座れるようにしなさいよ」

 

 優しい小学校の先生のように促す内野さん。全員が席につくと、お話しが始まった。

 

 「その掛け軸は、中国浙江省の杭州というところにある径山万寿寺というお寺を描いたものです。この栃沢出身の禅僧、聖一国師が修行した場所で、国師はそこから仏教とともに茶の種を持ち帰りました。今から750年の前のことです。国師は帰国すると京都の東福寺を開山しました。持ち帰った茶の種を故郷の栃沢に近い足久保に蒔きました。それが静岡茶の始まりです」

 

 「その径山万寿寺はずっと前に焼失してしまいました。20世紀の終わりごろ、寺を再建することになったとき、東福寺に保存されていた寺の詳しい様子を記録した図が役に立ちました。聖一国師が持ち帰ったものです。そこに飾られているのが径山万寿寺の絵ですよ」

 

 静岡出身の禅僧が、長い歴史を経て日本と中国とをつなぐ物語だ。

 内野さんが在来種の育成を手がけているのは、育てやすい「やぶきた」だけに頼ることなく、地元の風土に合う個性的な品種を模索するためだという。

 内野さんの振舞ってくれた在来種のほうじ茶は、力強さと繊細さを兼ね備えた天下一品の味わいだった。

 

 

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自作の在来種のほうじ茶を入れる内野さん。

 

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酒饅頭と共にいただく内野さん作のほうじ茶「きんざん」は天下一品。

 

 

 内野さんは生産者としての顔と啓蒙家としての顔を持つ。

 

 1980年代から自宅でお茶席を設け、国内外の人にお茶を振舞っている。内野さんの茶園では茶つみやお茶作り体験もできる。地元の学校での日本茶教育にも携わっている。小中学校での授業だけではない。

 

 「この辺りの生徒さんたちが修学旅行で京都へ行くでしょう。東福寺にも行くわけです。地元と深い関係のお寺さんですよ、なんていっても実感がわかない。思い出に残らない。そこで東福寺さんと相談して、修学旅行生が境内に茶の木を植樹できるようにしたんです」と内野さん。

 

 日本茶をめぐる文化と歴史を実体験とともに伝える先生がそこにいた。

 

 

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栃尾と京都、中国浙江省のお茶をめぐる物語を語る内野さん。

 

 日本茶の生産者はそれぞれが、深い知恵をたくわえた職人だが、その知恵を外に発信する人は少ない。内野さんのような人に続く若者が増えれば日本茶をめぐる文化はもっと広がっていくだろう。

 

 お茶を飲み終わった私たちを、内野さんが茶畑に案内してくれた。よく見れば葉っぱの色や形がそれぞれ違う。さまざまな種からいろんな茶樹を栽培し、研究しているのだ。内野さんは最後に「できれば浙江省でとれた茶の種からもう一度、茶を育ててみたい。聖一国師が持ち帰った茶を再現してみたい」と話してくれた。

 

 

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茶畑で在来種を育てる苦労を語る内野さん。

 

 

 

日本茶業界全体の活性化を模索する茶商
〜新品種の育成で地元茶の付加価値向上を目指す~

 

 

 内野さんに見送られ、バスは山の茶園「山水園」から市の中心部に戻る。1時間の戻り道、うとうとしている間に市内の製茶問屋が集まるエリアに到着した。製茶問屋の仕事は一般にはあまり知られていない。茶生産者は生茶葉を加工して荒茶と呼ばれる段階にする。昨今「シングルオリジン」と洋風に呼ばれているのは、特定の茶生産者による茶葉だ。もちろん、このままでもすばらしい。製茶問屋は、各農家の荒茶を買い上げて、ブレンドや火入れ加工をして製品に仕上げて販売するのが仕事だ。

 

 

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「マルヒデ岩崎製茶」の暖簾。同店では毎週マルシェも開催している。

 

 私たちが訪ねたのは「マルヒデ岩崎製茶」。広くない店内のテーブルに、茶葉を入れた皿が30以上並べられている。

 

 

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テーブルに並べられた茶葉。品種はどれも一緒だが色や形が微妙に違う。

 

 

 あるじの岩崎さんが説明してくれた。目の間に並ぶ茶葉は、岩崎さんがブレンドを手がける「まちこ」という銘柄の日本茶の材料だという。「まちこ」は、桜葉の香りが特徴の清水区の茶葉を地元の名産にしようと、JAしみずと茶農家と清水の専門店と茶問屋のマルヒデ岩崎製茶さんが協力して作り上げたブランドだ。30以上の皿には岩崎さんが契約している各農家の茶葉が入っている。

 

 同じ品種だが、それぞれ色ツヤ形が違う。岩崎さんが数種類の茶葉にお湯を注いで「それぞれ香りも色も異なるのがわかると思います」と促した。「確かにその通り」。同行者全員がうなずいたところに「一口ずつ試飲してみてください」と。同じ品種だから香りも味も共通だが、野性味が強いもの、香りがほのかなもの、甘みが強いもの、それぞれ個性があるのがわかる。最後に、岩崎さんがブレンドして仕上げた「まちこ」をいただいた全員が「同じ茶葉だというのはわかるが、飲みやすい」「桜葉の香りがすばらしい」「洗練されている」と声を上げた。

 

 

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それぞれの茶葉の香りを確かめる。

 

「農家さんが作ってくれた茶葉の個性を見極めてブレンドし、加工し、よりおいしい製品を一定の品質で提供するのが私たち製茶問屋の仕事です」と岩崎さん。

 

 

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製茶問屋の仕事について説明する岩崎さん。

 

 

 かつての製茶問屋は、買い集めた茶葉をまとめて都会に卸すだけで商売が成り立っていた。岩崎さんのように、地元生産者と共に地域のブランド商品を創出しようという取り組みは新しい。かなり若いうちに突然家業を継ぐことになった岩崎さんだから、業界の固定観念に縛られずにチャレンジングなことができたのかもしれない。

 

 

 

私が見たい行政の本気

 

 

 ツアーの最後のバスの車内、行政担当者から今日の感想を求められた。

 

 「おもしろいところを案内してくれてありがとう。だけど、それぞれのポイント同士が遠すぎる。今回はスポットの紹介だけど、観光客のツアーだとしたら厳しいね。間の道のりで飽きてしまう。日本茶を中心にツアーを組むとしても、ルート上に食事や遊び、見学、体験のできるスポットを配置して楽しませる工夫をしてね。行政にはいろんな業界をまとめる力があるでしょ。それが行政の役目でしょ」

 

 私は、行政の役割はビジョンを示して市民を巻き込んで動かしていくことだと思っている。

 

 日本茶業界でいえば、それぞれの生産者、それぞれの製茶問屋、それぞれの茶商がそれぞれに先を見通し、活動することも重要。でも、それを取りまとめ、さらに広い視野で将来的な展望を示すのが行政の役目だと思っている。日本の行政にはそれが足りない。バスの中で伝えたかったのはそういうこと。今回案内してくれた行政担当者が静岡と静岡の日本茶を愛していることが伝わってきたから、もっともっと頑張ってほしいと思ったんだ。伝わっただろうか…。

 

 

 ツアーを終えた私たちは、一杯飲もうと静岡駅近くの飲み屋街に立ち寄った。1軒のおでんやの暖簾をくぐると、カウンターの中にはかわいらしいおばちゃんが。

 

 「瓶ビール2本とグラス4つ」とお願いすると「緑茶ハイ飲まないの?」とおばちゃん。

 

 「さすが静岡だね。ビールの後は緑茶ハイお願いするね」というと、「うちはね、38年間やってるけど、大高茶園(聞き間違いだったらごめん)ひとすじだから」とおばちゃん。

 東京では緑茶ハイといってもペットボトルの緑茶を使う店ばかりだが、静岡では必ず、当たり前に茶葉から入れた緑茶を使う。どの店も、ひいきの茶生産者や製茶問屋がある。茶どころ静岡県の飲食店は、使う日本茶で個性を発揮する。

 

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おでんやのお茶目でかわいらしいおばちゃんと。

 

 おばちゃんが用意してくれるおでんと緑茶ハイに舌鼓を打ちながら、さっきのツアーを振り返る。

 

 今日のようなツアー、東京とか都会の茶販売店を招待したほうがいいんじゃないかな。製茶問屋から仕入れるだけのところも多い。生産地のことを実感として知るお茶屋さんは少ないと思う。売る人は作っている人を知るべきだ。今日出会った行政担当者に提案してみよう。なにしろ彼らは本気だから、きっと耳を貸してくれるはず。

 

 気がつけば夜8時過ぎ。そろそろ東京に戻ろうか。静岡は近い。1時間半で日本橋のおちゃらかに戻れる。静岡の日本茶関係者に出会って、それぞれの本気を見て、改めて力が湧いてきた。静岡をはじめ日本各地の茶産地と茶葉の魅力を伝えるのが私の仕事だ。店に戻って自分の仕事をしながら日本茶業界を活性化する方法を私なりに考えよう。

 

*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。お楽しみに! 

 

写真/ステファン・ダントン    編集協力/田村広子、スタジオポルト

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ステファン・ダントン

1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/

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