ブルー・ジャーニー

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#56

ザ・アルプス 不可能性の抹殺〈3〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

いかにして現実社会にもどるか  

「手に入れたときは廃墟同然でしたが、クライミングや著述と同じぐらいのエネルギーを注ぎました」

 メスナーの情熱で生まれ変わったシュロス・ユーバル城は、落ちついた陰影と肉体と精神の軌跡を物語る品々で満たされている。

 ウェア、ザイル、シューズ、カラビナ、ハーケンなど、生死を共にした登山用品の数々。完全なる自由を唱えるインド思想のひとつ、タントリズムを象徴する、メスナーよりもふたまわりも大きな像。見張り用の棟の壁面を埋め尽くす2000冊を超える山岳関係の文献、絵画、写真。中庭は枯山水風にアレンジされ、屋上は分厚く巨大な硬質ガラスで覆われている。

 

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 ――単独登攀にこだわったのはなぜですか?

「理由はふたつ。結果をすべて自分で受けとめられること、そして安上がりなことです」

 ――酸素ボンベを使わない理由は? あなたがエベレストを無酸素登頂しようとした時、自殺行為だとひどく非難されましたが。

「酸素ボンベを使うことを否定するわけではありません。ただしそれは、空になったボンベを持って帰るという条件付きです」

 ――たしかにエベレストは、いまやごみ捨て場のような状態になっています。

「クライミングは大自然に溶けこんでいくための手段です。どんな理由があろうと山の姿を変えるべきではありません」

 ――生還を第一としながら、限りなく死に近づいていく。かなり矛盾した行為だと思うのですが。

「頭で考えてマイナス40度の世界に出かけていくわけではありません。そうしたモチベーションは、一種の精神錯乱状態の中から生まれてくるものなのです。わたしが書いた本のなかでそのことについて詳しく説明しましたが、アムンゼン、スコット、三浦雄一郎といった大冒険家と呼ばれる人たちの精神は、旅立ちの時、錯乱した状態にあったはずです。これまでそのことをはっきりと言葉で指摘する者がいなかっただけのことだとわたしは考えています」

 ――最初にクライミングは生き延びる芸術だと言いましたが、それはクライミングはスポーツではないということですか。

「そうです。クライミングは人に見せるものでも、競い合うものでもありませんから。わたしはスポーツマンと呼ばれるより芸術家と見られるほうを好みます。この丘やこの城はわたしにとっては芸術なのです」

 

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 ――あなたはほかのクライマーに比べると、かなりたくさんの手記を書かれていますね。

「音楽やスポーツならば、聴衆あるいは観客として参加してもらうことができますが、しかしクライミングに関しては、それは不可能です。わたしの経験をほかの人に伝えるためには、言葉を織って絵を描き、それを見てもらう以外に方法はないのです」

 ――手記を読む限り、あなたの視線はいつも上を見上げていますね。活字を追っているだけで首が痛くなるほどに。たとえばエベレスト無酸素単独登攀に関する記述のなかで、下りに触れているのは『ぼくにできることは、立ち上がってこの山を降りていくことだけだった』という1行だけです。眼下のパノラマに興味がないように思えてしまうのですが。

「指摘の通りです。パノラマにはあまり興味はありませんし、登頂の喜びもほとんどありません。頂上は通過点にすぎませんから」

 ――生きて帰らなければクライミングは完了しない。

「ええ。肉体と精神の両方の面において。いかにして現実社会にもどるか。頂上に立った時、わたしは意識をこの一点に集中して下界を俯瞰します。自分が生きてきた世界、これから生きていこうとしている世界を見つめ直し、理解しようと努力するのです」

 ――『指先を水の中に入れた瞬間、これから起こるすべてのことが手に取るようにわかることがある』。オリンピックで金メダルをとったスイマーの言葉ですが、こうした感覚を経験したことはありますか?

「よくあります。それが初めて来る場所であるにもかかわらず、あそこに手を入れて、ここに足をかけてというようなことが、まるで100回ぐらい登ったことがあるかのようにわかってしまうことが。そういう時は、自分の体が大自然の中に溶けこんで、その一部になったかのような気分です」

                                                          

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 ――手始めはリビングの椅子あたり。それからテーブルや階段の上へと高度を上げ、おおよそ家の中を征服し終えたら次の目標は近所の塀や物置の屋根の上をめざす。そんなふうにして小さい子どもはかならずといってよいほど高いところに登ろうとしますね。あぶないからやめなさいと言っても、絶対にやめようとしない。もしかするとクライマーは、椅子の延長をいつまでも登りつづける人種なのではありませんか?

「そう。たしかにそういうことなのかもしれません」。物珍しいものを見つけ、舞い降りてきた鷲のように、目の前の日本人を見つめながらメスナーはつづけた。「死の危険が待ち受けているとわかりきっているところに向かうとき、その最後の決断をわたしは頭で考えて下しているわけではありません。自分の命のなかから噴き出してくる『そうしたい』『そうしなければならない』という強い意志がわたしを動かすのです。おそらくそうした意志の中には、子どものころの世界が息づいているのだと思います」

 

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 外まで見送りに出てくれたメスナーは、3メートルほどの高さの城壁を指し、言った。

「一度、城門の鍵を忘れ、あそこを乗り越えようとしたのですが、失敗してしまって」

 ――それで?

「滑落して、骨折しました」

 そう言うと、超人は、いかにも愉快そうに笑った。

 別れを告げて車に乗りこむと、通訳嬢が言った。

「塀から滑落したのは、そのときに履いていたのが柔らかい革靴で、指を6本失った足では壁の起伏を十分にとらえることができなかったからだということです」

 

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 ――闇のなかで、再度、雪崩の跡へ足を運んだ。両手で雪を掘りかえし、名前を呼び、そして眠りに落ちた。寒気で目が覚めた。いや、ギュンターの叫び声が聞こえたのだろうか? ぼくはすっかり頭がおかしくなっていたのだ! 一晩中次から次へと氷の山に登り、探し、叫びつづけた。朝になってもまだそこで大声を張りあげていた。だが、自分がなぜそんなことをしているのか、もはやその理由さえわかってはいなかった。濡れたズボンも、濡れた登山靴も、凍結して氷の塊になってしまった。(『ラインホルト・メスナー自伝』TBSブリタニカ)

 

 1970年、ナンガ・パルバットのルパール壁初登攀を達成したメスナーは、帰路、雪崩で弟のギュンターを失い、自身も凍傷のために左足の第1指から第4指、右足の第1指と第2指を切断。エベレスト北面の無酸素単独登攀を含む、世界の8000メートル峰全14座の史上初の登攀は、すべてこのアクシデントのあとに挑戦し、達成されたものだった。

 振り返ると、シュロス・ユーバル城はカーブの向こうに消えていた。

「『仏教で四聖諦の第3にあげられる滅諦、つまり苦の絶滅を体験した』。1990年、徒歩で南極点に到達したメスナーの言葉ですが、てっきり枯れているのかと思ったら、全然、そんなことなかったですね」

「そうですね、まだまだ、やりたいことが山ほどあると言っていましたね」

「そういえば、メスナーはこれまで3回結婚していますが、相手は、いずれも人妻だったんです。うなずけるところはありますか?」

「ええ」既婚の通訳嬢は、早口でつけ加えた。「でも、少しだけですよ」

 

(アルプス編、続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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