ブーツの国の街角で

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#54

テルニ:聖ヴァレンティーノが眠るアモーレの街

文と写真・田島麻美

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イタリアでも義理チョコをあげるのか? ヴァレンタインデーが近づくたび、この質問をする日本の友達が毎年必ず一人はいる。言うまでもないことだが、イタリアには義理チョコは存在しない。と言うより、イタリア人には「義理チョコ」という概念そのものが理解できないだろう。また、ヴァレンタインデーは「女性から男性に告白する日」でもない。イタリアでは、愛の告白はヴァレンタインデーに限らず、男性も女性も365日毎日行っているのだから。こう言うと、次に出てくるのは「じゃぁ、ヴァレンタインデーには一体何をするの?」という質問であるが、これについては私も今ひとつ理解できていない。悲しいかな、イタリアに20年近く住んでいて、イタリア人の夫もいるのに、私には「ヴァレンタインデー」を祝った経験が一度もないのである。そこで、「ヴァレンタインデーとはなんぞや?」と言う疑問を解決するため、この日の由来となっている聖ヴァレンティーノが眠るテルニの街を訪れてみることにした。
 

 

 

新興住宅地の一角にある大聖堂

 

  ヴァレンタインデーが目前に迫った平日、ローマから各駅電車に1時間ほど揺られ、テルニの駅に降り立った。駅構内のバールに入り、バスのチケットを買いがてら聖ヴァレンティーノ大聖堂への行き方を尋ねると、バールのオヤジは「俺は知らない。だが、幸いちょうどここに市バス路線のエキスパートがいる。彼なら絶対知っているぞ!」と言い、客の一人の老人に向かって叫んだ。「おーい! 聖ヴァレンティーノ大聖堂に行くのは何番のバスだ!?」すると、カウンターの端でカフェを飲んでいた恰幅の良い老人が、「5番だ! 5番に乗れ!」と叫び返してきた。居合わせた他の客達も頷いているところを見ると、間違いなさそうだ。オヤジと老人にお礼を言って、早速バスターミナルへ向かった。
  5番のバスは「Ospedale(病院)」行きと書かれているだけで、どこで降りれば良いやら見当もつかないので、運転手に「バジリカ(大聖堂)の停留所に着いたら教えてもらえますか?」と頼んで乗り込んだ。地図がないので運行ルートが全くわからないが、車窓を眺めているとバスは中心街を抜け、川を渡ってどんどん郊外へ向かっているように見える。このまま乗っていて大丈夫だろうか、と不安になったその時、運転手が、「シニョーラ! 次の停留所で降りたらまっすぐ坂を下って行くんだ。200mくらいでバジリカの入り口に着くから」と声をかけてくれた。
  バスを降りると、いかにも新興住宅地らしい高層マンションの群れと広い道路、住民達が犬を連れて散歩している公園があるだけで、大聖堂の影も形も見えない。一人で歩いてきたら絶対に迷ったと思うが、ありがたいことにバスを一緒に降りた女性が「この道をまっすぐ下って行けば左手に教会の裏側が見えるから」と声をかけてくれたので、どうにかたどり着くことができた。

 

 

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聖ヴァレンティーノ大聖堂に一番近いVia F.Turati (ヴィア・トゥラーティ)の停留所(上)。新興住宅地のど真ん中、ロータリーの中央に聖ヴァレンティーノの像が立っている。左手にこの像が見えたらその先の停留所で降りる(中上)。大聖堂への入り口は公園のようになっているので見落とさないよう注意が必要(中下)。聖ヴァレンティーノ大聖堂のファサード(下)。
 

 

 

 

聖ヴァレンティーノが愛の守護聖人になった理由

 

 

  平日の午前中、大聖堂の中は人影もなくひっそりと静まり返っていた。現在の大聖堂の建築は17世紀のものだそうだが、その起源はとても古く4世紀に遡る。カトリックの殉教者である聖ヴァレンティーノの墓の上に作られた最初の教会は、その後再建され、17世紀に現在の形になった。ひんやりとした聖堂内を見渡すと、正面の天蓋の下、ガラスの棺に眠っている聖ヴァレンティーノが目に入った。世界中の恋人達にその名が知れ渡っている聖人は、一体どんな人物だったのだろうか。恐る恐る近づき、御尊顔を拝する。まるでスヤスヤと眠っているような穏やかな表情は、聖人というよりもご近所の優しいおじいちゃんのような印象である。では、この優しそうなおじいちゃんがなぜ「愛の守護聖人」と呼ばれるようになったのか? 教会内の資料などを読み進めていくうちに、聖ヴァレンティーノが向き合った過酷な試練の数々を知ることとなった。
 

 

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聖ヴァレンティーノ大聖堂(バジリカ・ディ・サン・ヴァレンティーノ)の内部。毎年ヴァレンタインデーには、結婚を控えているカップルがこの聖人の前で永遠の愛を誓う儀式が行われている。年内に結婚を予定しているカップルなら誰でも、どこの国からでも参加できるそうだ(上)。穏やかで優しいおじいちゃんのような表情をした聖ヴァレンティーノ(中)。真っ赤な花々で飾られたガラスの棺は祭壇の中央に置かれている(下)
 

 

 

 

  古代ローマ帝国第16代皇帝マルクス・アウレリウスの時代、175年頃、聖ヴァレンティーノは現在のテルニがあるこの地で生まれた。幼い頃からキリスト教の熱心な信者であり、21歳という若さでテルニの司教となった。ヴァレンティーノ司教は常に若者達に寄り添い、自分の元を訪れる若者達に庭のバラの花を摘んで贈る心優しい人だったと言う。しかし、キリストの教えを熱く説くヴァレンティーノに感化される人々が増えるにつれ、彼の存在はローマ帝国の皇帝達にとって脅威となって行く。ヴァレンティーノ司教はその生涯の中で、数々の迫害を受けることになる。
  273年2月14日、97歳という高齢にも関わらず、ヴァレンティーノ司教はローマ帝国の兵士の手によって無残に斬首される。理由は諸説あるのだが、中でも最も感動的な伝説として残っているのが、異なる宗教に属していたセラピアとサビーノという二人の若い恋人達の結婚式をヴァレンティーノが執り行った、というもの。結核で倒れたキリスト教徒のセラピアのために、ローマ軍の兵士で異教徒であったサビーノはヴァレンティーノ司教を彼女のベッドに呼び寄せ、「彼女無しには生きて行けない」と切々と訴えた。愛し合う若者達に心打たれた司教は主に祈りを捧げ、「彼らが永遠に共にいられるように」と祈った。愛し合う二人は永遠に一緒に暮らすため、共にこの地上を去ったという。この事を知った当時のローマ皇帝アウレリアーノはすぐに兵士を送り、ヴァレンティーノ司教は処刑された。命の危険も顧みず、愛し合う若者達の願いを叶えてくれたというこの伝説から、ヴァレンティーノは『愛し合う者達の守護聖人』として世界中に知られるようになった。現在、カトリック・キリスト教会だけでなく、正教会、イングランド国教会においても、ヴァレンティーノは「聖人」として祀られている。この聖ヴァレンティーノが殉教した2月14日を「愛し合う者達の日」として祝うようになったのは、こうした伝説に由来しているのである。

 
 

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毎年、ヴァレンタインデーの前後に聖ヴァレンティーノの生涯を再現する寸劇が大聖堂で行われている。今年は2月16日の土曜日(上)。大聖堂のステンドグラスには、聖ヴァレンティーノと彼のシンボルである赤いバラの花を持つ若いカップルが描かれている(下)。
 

 

ハートマークに彩られた旧市街

 

  大聖堂で愛の守護聖人の壮絶な生涯に触れた私は、どこか厳かな気持ちになりながら旧市街まで歩くことにした。遠くに広がる山々、街を横切る川、木々の緑を眺めながら、ゆっくり時間をかけて30分ほど歩いたところで、市庁舎のあるリドルフィ広場にたどり着いた。お昼までにはまだ時間があるので、行き先も決めずにぶらぶら散策してみようと思い立った。
  16世紀の貴族の館であったテルニの市庁舎はお城のような荘厳な造りなのだが、正面の入り口にはデカデカと2つのハートの電飾が飾られていて、思わず微笑んでしまった。ヴァレンタインデーがあるこの時期は、街にとっては重要な観光シーズンでもあるわけだ。そう思いながら歩いてみると、旧市街はどこもかしこもハートマークだらけであることに気づく。目抜き通りの商店街のショー・ウインドウには真っ赤なハートや「Ti amo(愛してる)」の文字が溢れかえり、建物や広場にはハートモチーフの電飾が一斉にかけられている。レストランには『ヴァレンタイン・スペシャル・ディナー』のメニューが並び、宝飾店には『ヴァレンタイン・スペシャル・セール』の文字とプロポーズをする若者のイラストが踊っている。これぞまさしく「アモーレの街」である。
 

 

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テルニの市庁舎「Palazzo Spada」は1555年に建てられた歴史的建築物。正面のアーチに掛かるハートの電飾が可愛い(上)。目抜き通りはもちろん、裏路地までハートの電飾で埋め尽くされていた(中)。公共図書館の入り口にも『ヴァレンタイン・フェス』の横断幕がかかっている(下)。
 

 

 

  ショー・ウインドウ以外に、街のあちこちで目についたのが「チョコレート祭り」という看板。どこでやっているのか聞こうとインフォメーション・オフィスに行ってみると、案内の女性は、「今年のチョコ祭りは13日から17日までよ」と教えてくれた。ヴァレンタインデーの前日になると、街の広場や通り一帯にチョコレートや甘いお菓子を売る屋台がひしめき合うのだそうだ。ちなみに「チョコは聖ヴァレンティーノと何か関係があるのか?」と質問してみたが、案内の女性は「別に何の関係もない」とキッパリ言った。やはり、ヴァレンタインデーにチョコを贈るというのはチョコレート会社の戦略だったのだろう。それよりもイタリアでよく目にする「赤いバラの花」をヴァレンタインデーに贈るというのは、聖ヴァレンティーノの伝説から来ているので納得できるような気がする。とはいえ、ヴァレンタインデー発祥のテルニの街においても商店街では下着屋も化粧品店も衣料品店も、果ては薬局までが「ヴァレンタイン・セール」を行なっているところを見ると、「愛し合う若者達」が商売の絶好のターゲットになっていることは世界共通であるらしい。
 

 

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バール、お菓子屋さんは当然チョコレート一色(上)。雑誌スタンドのおじいちゃんも、せっせとハートの飾りを取り付けていた(中)。聖ヴァレンティーノが見たら赤面しそうな下着屋のショーウィンドウ(下)。
 

 

 

シンプル・イズ・ベストを体現した郷土の味

 

  文字通り、どこもかしこもハートマークだらけの旧市街歩きに疲れ、お腹も空いてきたところでお待ちかねのランチタイムがやって来た。インフォメーションの女性に郷土料理について尋ねた時、「チリオーレ・アッラ・テルナーナ(テルニ風チリオーレ)」をぜひ食べろと言われたので、試してみようと店を物色。一人だし、ランチは軽くパスタ一皿に抑えたいのでレストランは避けた方がいいだろう。かと言って、バールの作り置きのパスタは嫌だな。迷いながら歩いていると、食材屋兼エノテカ兼トラットリアという手頃な店が見つかった。店頭でチーズを切っているお兄ちゃんに「チリオーレ食べたいんだけど」と尋ねると、メニューにはないが作ってくれると言う。店内に並んだチーズやサラミを眺めつつ、「チリオーレ」が来るのを待つことにした。
  しばらくして運ばれてきた皿は、一見シンプルなトマトソースのスパゲッティ。ところが口に入れた途端、スパゲッティのイメージは消え去った。小麦粉と水だけを使った手打ちパスタ・チリオーレは、ボリボリするような歯ごたえと、ピリッと唐辛子が効いたトマトソースが何とも言えない美味しさ。小麦粉と水だけの手打ちパスタといえばトスカーナのピチが思い浮かぶが、チリオーレはもう少しボソボソしたような食感がある。蕎麦粉100%の田舎蕎麦が大好物である私は、この歯ごたえに一発で惚れ込んでしまった。お代わりしたいという衝動を紛らわすため、今夜の晩御飯用にチーズとポルケッタ(子豚の丸焼き)を購入する。お兄ちゃんが真空パックにしてくれる間、「チョコとバラ」より「チーズとポルケッタ」を喜ぶ相棒の顔が思い浮かんだ。私がなぜ今までヴァレンタインデーと無縁だったのか、その理由がわかったような気がした。
 

 

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小麦粉と水だけで作る歯ごたえが絶妙なチリオーレは、四角いスパゲッティのような形。ニンニクとオリーヴオイル、セロリ、人参、唐辛子を入れて味付けされたトマトソースは、「シンプル・イズ・ベスト」を体現した美味しさ。
 

 

 

★ MAP ★

 

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<アクセス>
ローマ・テルミニ駅、もしくはティブルティーナ駅からペルージャ行き各駅電車でテルニまで約1時間。テルミニ駅のペルージャ行き各駅電車は「Est」と表示されたプラットホームから発着する。このEstのホームは駅の端の再奥にあり、駅中央から徒歩10分かかるので利用の際は時間に余裕を持って出かけた方がいい。
FSテルニ駅から聖ヴァレンティーノ大聖堂(バジリカ・ディ・サン・ヴァレンティーノ)までは、市バス5番を利用、約15分。その他の路線(2番、6番)なども近くまで行くそうだが、現地の人達の情報によると5番が一番ラクにアクセスできるそうだ。中心街までは、駅から徒歩10分足らずで着く。

 

<参考サイト>
テルニ観光情報(英語)
http://www.turismo.comune.terni.it/en

 

 

*この連載は毎月第2・第4木曜日(月2回)の連載となります。次回は2019年2月28日(木)掲載予定です。お楽しみに! 

 

 

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田島麻美 (たじま・あさみ)

千葉県生まれ。大学卒業後、出版社、広告代理店勤務を経て旅をメインとするフリーランスのライター&編集者として独立。2000年9月、単身渡伊。言葉もわからず知り合いもいないローマでのサバイバル生活が始まる。半年だけのつもりで暮らし始めたローマにそのまま居座ること19年、イタリアの生活・食文化、歴史と人に魅せられ今日に至る。国立ローマ・トレ大学マスターコース宗教社会学のディプロマ取得。旅、暮らし、料理をメインテーマに執筆活動を続ける一方、撮影コーディネイター、通訳・翻訳者としても活躍中。著書に『南イタリアに行こう』『ミラノから行く北イタリアの街』『ローマから行くトスカーナと周辺の街』『イタリア中毒』『イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる』他。

 

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