ブルー・ジャーニー

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#53

グランド・キャニオン 時を歩く〈4〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

600人と200万人  

 約700年前、キャニオンで生活していた先住民、アサジ族は、コロラド川の両側にほぼ垂直にそびえ立つ壁の中腹のくぼみを広げ、住居にした。出入りには、はしご、岩肌から削りだした小道、ロープを使ったと推定されている。

 ロープの原材料になったとされているのはユッカ。このリュウゼツラン科の植物の葉を柔らかくなるまで丸1日煮こみ、鹿の骨で取り出した繊維を数本ずつ束ね、縒り合わせて作ったと見られる。アウトドアメーカーREIの調べによると、再現された縄の強度は5ミリの縄が106キロ、10ミリの縄が207キロ。

 

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 船に乗りこみ、崖のあいだを縫って、アナサジ族の住居のすぐ横を進んでいく。

 風で磨き上げられた岩肌に水位の足跡 “バスタブリング”が白く残されている。

 濁流、せせらぎ、滝の音、水しぶき、渦、絶えずひとりごとを言っていたコロラド川の河床は、デッキから60、70メートル下にある。

 グランド・キャニオンの始点から約25キロ上流のグレン・キャニオン・ダムに作り出された人造湖、レイク・パウエル。名前は1869年、入植者として初めてグランド・キャニオンを船で通り抜けた軍人、ジョン・ウェズリー・パウエルに由来する。

 100カ所以上の入江がつづく湖岸線の全長は東京〜名古屋間とほぼ同じ約300キロ。湖と呼ばれてはいるが、中心点から四方に広がっていく自然の湖とは姿形がまったくちがう。グーグル・マップに映るシルエットは、脳の神経回路のようだ。

 

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――ところで俺は、子供のころ、地図がとても好きだった。南アメリカ、アフリカ、オーストラリア。何時間眺めても飽きなかった。輝かしい探検を空想したものだ。あの当時は地上に空白地帯がたくさんあったが、とくに気をそそる場所があると(というか、どの場所もそうだったんだが)、指でそこを押さえて、大人になったらここへ行くぞと呟いたものだった。(『闇の奥』ジョセフ・コンラッド)

 

 1871年から1872年にかけてのパウエルの2度目の探検、1902年から1903年にかけてのフランソワ・E・マシーズの三角測量――視準によるもので、実際にひとつひとつの場所に足を運んだわけではなかった――によって地図の空白は埋められ、アメリカ合衆国の関心は「どうなっているか」から「どう利用するか」に移った。

 

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 1956年10月1日、ワシントンDC、ホワイトハウスのオーバルオフィス。アメリカ合衆国第34代大統領ドワイト・D・アイゼンハワーの指が机のボタンに置かれた次の瞬間、約3200キロ離れたグレン・キャニオンの赤い壁が吹き飛んだ。

 7年後、グレン・キャニオン・ダムの水門は閉じられ、約300キロに及ぶコロラド川の水域が、ロサンゼルスを照らし、アリゾナ沙漠を潅漑するためにせき止められることになった。

 1966年9月13日に行われた竣工式。

「人間が作った、このように意味のある、美しい資源の除幕式に出席できるのを誇りに思います」。アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソン夫人、レディ・バード・ジョンソンは重ねて言った。「わたしは人間がここにいることを誇りに思います」

 

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 ダムの建設をめぐって、ジョン・ミューアが創設した自然保護団体、シエラクラブの事務局長を務めたデイビッド・ブラウアーとアメリカ合衆国連邦内務省土地改良局長官、フロイド・ドミニーは川の対岸に立ち、向かい合った。

 ブラウワーは言った。

「ここの渓谷については、ごく少数の人を除いて、ほとんどの人が知らなかったのです。これからは、だれひとりも、水の下に沈んだこの世界がどのようであったかを、知ることはないでしょう」

「土地改良という事業は、潅漑、水力発電、洪水コントロール、レクリエーションなど、水を人間の土地の利用に供するための源泉なんです」。ドミニーはつづけた。「コントロールされていなかったころのコロラド川はどうしようもない野生児でした。まったくなんの役にもたたなかった。洪水か、干ばつか。それだけでしたよ」

 

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 グレン・キャニオンはアメリカにおいてもっとも人里離れた土地だった。ダム論争が起きたとき、いちばん近い鉄道の駅から200キロ離れていた。

 中央の峡谷の両側から、小さな川に刻まれた峡谷が枝分かれし、澄んだ空気に漂う水の分子で、風景は白日夢のように煙っていた。

 滝が水しぶきを上げ、淵をつくり、アメリカトキコウ、シラサギ、野生の青いサギが棲んでいた。

 草原が広がり、ハヒロハコヤナギが生い茂り、先住民の文化があちこちに残されていた。

 淡いピンク色や色濃いオレンジ色に彩られたナヴァホ砂岩の壁は80面を超えた。遅くとも1億8000年前からキャニオンに存在するナヴァホ砂岩壁は、はるか東のアパラチア山脈から風に運ばれた砂が堆積し、1500万年もの時間をかけて形成された奇蹟だった。

 そのすべてが、いま、水の下にある。

 

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 降水量が少なく、草木の生えていない場所なのに、水面が満面の笑みをたたえてどこまでもつづいている。

 湖岸らしい湖岸、水辺らしい水辺はない。四方の壁は、キャニオンから立ち上がる崖の上の部分で、お椀を伏せたような島は岩山の頂き。

 クルーズ船、ジェットスキー、スタンダップパドルボート、水上スキーと次々にすれ違う。フィッシングのターゲットは放流されたマス。

 ドミニーは言った。

「自然環境ということを、単にコントロールされない自然だと考えている人が多すぎるんですよ。自然に手をつけずに保存しようとする人たちは、われわれのやったことを自然破壊だと非難します。この湖をみんなが楽しめる場所にしたのがいけないというんですよ。いま、この湖では釣りもできるし、泳ぎもできる。水上スキーをやる人もいれば、のんびり日光浴をする人もいる。都会の喧噪から離れて、家族とともにここでゆっくり週末を過ごすわけです。すばらしいでしょう? ところがブラウアー氏はわれわれがこの地域を破壊したという」

 

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 パウエル湖が作り出される前、グレン・キャニオンに分け入った人は600人に満たなかった。ブラウワーはそのひとりだった。

 現在、パウエル湖があるグレン・キャニオン国定公園レクリエーション地域を訪れる観光客の数は年間200万人を超える。そのひとりとして、ぼくは船に連れられて、奔流が何世紀もかけて作り出した世界最大の自然の橋、レインボーブリッジを見上げている。

          (引用参考文献『森からの使者』ジョン・マクフィー)

 

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(グランド・キャニオン編、了)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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