ブルー・ジャーニー

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#51

グランド・キャニオン 時を歩く〈2〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

新たな願望  

 グランド・キャニオンの中の峡谷のひとつ、ハバス・キャニオンに分け入る。

 トレッキングシューズをアウトドアサンダルに履き替えて小川の中を歩き、アウトドアサンダルをトレーキングシューズに履き替えて、川の淵を歩く。

 オークとハヒロハコヤナギの木立、ヤナギ、ギョリュウ、ガマなどの群落。クレソンにクジャクシダ、さまざまな草や苔。緑と水の、きらきらと歯切れの良い匂いに、体の芯が揺さぶられる。

 アメリカ合衆国の軍人、ジョン・ウェズリー・パウエルに『大いなる空白』と呼ばれる1万年以上前から、この地に住む人びとがいた。さまざまな場所に絵や文字を刻み、ひとつひとつの巨岩の物語に耳を傾け、魂を吹きこんでいた。

 インディアンが住み始めたのは約4000年前で、その子孫、ハバスパイ族は、約700年前からここに住んでいる。ハバスパイは「青緑色に光り輝く水の地」

 履き替えるのが面倒くさくなって裸足のまま歩く。

 川底の粒子の細かい砂はやさしく、岩を覆う苔は絨毯よりも柔らかい。

 五感の中でもっとも疑い深い触覚から許可が下りる。

〈このまま進め〉

 

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 荷物と靴を川岸に置き、腰ほどの深さになった流れに体をあずける。

 カルシウムを含んだ水はエメラルド色で、ひんやり気持ちがいい。

 両側にそびえ立つ時の狭間を縫って進むと、小川は行き止まり、その向こうに落差2メートルほどの滝が現れる。

 飛び降りて滝壺の淵まで泳ぐと、ひとまわり大きな滝。

 飛び降りて、流されるままに漂っていくと、さらにひとまわり大きな滝。流れが穏やかな右側をねらって淵を踏み蹴る。

 滝や淵の連なりはカルシウムが長い時間をかけて成し遂げた仕事だ。

 あたり一帯は、階段ほどの大きさから、見上げるようなものまで、さまざまな大きさの何百もの滝がしぶきを上げている。 

 

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 1804年から1806年にかけてルイス=クラーク探検隊が入植者として初めてアメリカ大陸横断に成功。経験と先住民から得た情報を元につくられた地図は、それまでよりはるかに正確で、魅力的な情報に満ちていた。

 西部探検史の研究家、バーナード・デヴォートは言った。

「ルイス=クラーク探検隊は願望を満たすとともに新たな願望を生み出した。西に向かう国家の願望である」

 1869年5月24日、4隻のボートに10カ月分の食料を乗せて、9人の隊員と出発。グリーン川からコロラド川に入ったジョン・ウェズリー・パウエルは、約3カ月後の8月13日の朝、日記に書いた。

 

――われわれはいよいよ『大いなる空白』に差しかかろうとしている。

 

 このとき、グランド・キャニオンに住むパイユート族は、集落と集落を結ぶ伝令によってパウエルがやってくることをすでに知っていた。

 はるか昔から、この地に住む人びとは、グランド・キャニオンを知り尽くしていた。水がわき出る場所を、身を隠す場所を、岸壁を縫って移動する道をすべて知っていた。

 

――波の谷に落ちたかと思うと、さらに高い波の頂きまで持ち上げられる。ますます高まる波に乗ってせり上がったり沈んだりしているうちに、立ち上がった波がまさに崩れようとするところに突っこみ、砕けた波が頭上から小さなボートになだれ落ちた。(『地図を作った人びと』ジョン・ノーブル・ウィルフォード)

 

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 居留区のベンチにハバスパイ族の男性がふたり。両眼の奥に押し殺し切った感情が重く沈んでいる。

「グランド・キャニオンはすべてのアメリカ人が一度は見るべき場所である。われわれの子どものまた子ども、子孫がこの光景を見られるように大切にしよう」

 アメリカ合衆国第26代大統領セオドア・ルーズベルトは、グランド・キャニオンを国立公園に指定。ウエストリムに広がる緑の中で生活していたハバスパイ族は、2平方キロのハバス・キャニオンに強制的に移住させられ、住んでいた家、野菜畑、桃の果樹園は破壊された。(56年後の1975年、750平方キロの峡谷と周辺部の平地がハバスパイ族に返還された)。

 ルーズベルトはマニフェスト・デスティニー(明白なる使命)の中で述べた。

「それ(インディアンに対する虐殺と土地の強奪)は回避不能だったし、最終的には有益なことだった」

 あるいは、ある時、こう言った。

「わたしは『死んだインディアンだけが良いインディアンである』とまでは言わない。しかし、わたしは10人インディアンがいたとして、そのうち、9人まではそうじゃないかと思っている。それと、わたしは10人目についてはあまり真剣に考える気にはなれない」

 

 

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――でも、これは本当です。いかだで川くだりをしていた人たちが、水際を走っているミラーラを見たんです。最初、グレープヴァインのすぐ上流で彼女を追い抜いた。でも、グレープヴァインのあたりには道は全くないんですよ。少なくとも、僕の知っている限りではね。ところが、その人たちが昼食にしようとして急流の下でいかだを停めたところ、またミラーラの姿が見えて、まるで濡れていなかったそうです。つまり、ミラーラは何か特別な抜け道を知っているに違いない、と。彼女はわき目もふらず向こう岸を走っていました。一時間ほどしてから、いかだの一行はまた、彼女を追い抜いたそうです。ミラーラはあの長い足で爪先だって、時にはシカのように走ります。そんな姿を見ると、息が止まりそうになってしまいます。彼女がいつも一人でキャニオンに出かけていくのは、あれほどのバランスを持った人間、クライマーはめったにいないからだろう、と思います。ああやってキャニオンを駆け抜けることでしか満たされることのない欲望を、彼女は持っているのです。『ランナー(バリー・ロペス)』

 

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 1869年8月29日、パウエルのコロラド川を下る3カ月2400キロの旅は終わったが、測定や記録が不充分だったことに加えて、地図作製を担当した 隊員が死去。“地図の空白”が埋められることはなかった。

 2年後、パウエルはふたたびグランド・キャニオンに船を乗り入れたが、先住民の反対に遭い、途中で断念。

 以後35年間、渓谷を下ることに成功した人間はわずか100人。100カ所余りあるラピッド(急流)で命を落とすものも少なくなかったが、第2次世界大戦後、状況は一変した。戦争の余剰物資だった合成ゴムでつくられたラフトが木製の船に代わると、1960年代の半ばには年間500人がグラウンド・キャニオンを下ることに成功。20世紀に入るとその数は年間3000人を超えた。

 

(グランド・キャニオン編、続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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