ブーツの国の街角で

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#50

サトゥルニア:年末ご褒美テルメ旅(前編)

文と写真・田島麻美

 

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2018年も残りわずかとなったある日の午後。「ああ、もうじきナターレ前の大混乱が始まっちゃうね…」とため息をつきながら、イタリア人の親友とバールでカフェを飲んでいた。お互いに今年あったあれこれを語り合ううち、「私たち、よく頑張ったと思わない?」という言葉がどちらからともなく漏れた。だんだん言うことを聞かなくなってきた頭と体に鞭を入れつつ、来る日も来る日も仕事、買い物、料理、掃除、洗濯、家族の世話に追われまくった一年だった。
「そう、私たちはとっても頑張った。だから、ご褒美が必要なのよ!」おしゃべりがクライマックスを迎えた時、私が放った一言に親友は手をたたいて同意。疲れ切っているオトナ女子二人、「心と体を優しく癒してくれるテルメ(温泉)で束の間の休息を楽しもう!」と言うことで話は即座に決まり、一泊二日のささやかなご褒美旅に出ることになった。

 

 

 

 

マレンマの穏やかな自然美に癒されるドライブ

 

 

 私が目的地に選んだのは、かねてから一度行ってみたいと願っていたイタリアの温泉地サトゥルニア。トスカーナ南部、ラツィオとの州境にあるマレンマ地区は透明なティレニア海と内陸に広がるのどかな農作地帯が牧歌的なエリアで、天然温泉サトゥルニアはその風光明媚な大自然の中にある。ローマから車で2時間ちょっとで行ける距離なのだが、公共の交通機関が発達していないため、車なしではアクセスできないのがネックとなって今まで近づくことができなかったのだ。
  隣で鼻歌を歌いながら愛車を運転する親友は、フロントガラスに打ち付ける雨など気にも止めず、「ホテルに着いたら早速テルメに入りましょう! 雨だって構わないわ、どうせ濡れるんだし。ああ、早くあったかい温泉に浸かってぼーっとしたい!」と呪文のように唱え続けている。
  欧州自動車道E80号線を降りてからは大きな道路がなく、なだらかな丘陵地帯に広がる畑の間のガタガタ道をスカイブルーのオペルで走り抜けて行く。カーブの続く山道では見事な紅葉のトンネルが私たちを歓迎してくれた。ホテルに近づくにつれ徐々にお天気は回復し、収穫を終えた葡萄畑の向こうに落ちていく真っ赤な夕陽を眺めることができた。穏やかな優しさに満ちたマレンマの自然風景を車窓から楽しみながら、日暮れ前にホテルに到着した。
 

 

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トスカーナとラツィオの州境にある5000㎢のエリアはマレンマ地区と呼ばれ、ティレニア海を見下ろすなだらかな丘陵地にある。グロッセートを中心に広がるこの地区には広大な「マレンマ自然公園」もあり、穏やかで美しい自然が残るエリアとして知られている。
 

 

 

 

 貸切温水プールで極楽のひととき

 

 

  インターネットの予約サイトで見つけた「Hotel Saturno Fonte Pura/ホテル・サトゥルノ・フォンテ・プーラ」は、エントランスに向かって続く糸杉の並木道と赤茶色のレンガの建物がいかにも「トスカーナの田舎の隠れ家」といった雰囲気で、とても可愛らしい施設。車のドアを開けた途端、強い硫黄の匂いが鼻を突いた。レセプションへ向かいながら、目の前にある湯気を立てた大きなプールを見た途端、私たちは歓声をあげた。
  通常イタリアのテルメのシーズンといえば夏で、10月を過ぎると閉鎖してしまう施設も多い。これは多くのテルメの水温が低いため、冬場は寒くて利用できないからだと思われる。それに対し、サトゥルニアのテルメは水温が37℃前後と温かいので、厳寒の真冬でない限り夏以外の季節でも利用できるという特徴がある。とはいえ、やはり年末のこの季節はオフシーズンであるらしく、ホテルの宿泊客は私たち二人の他にもうひとカップルだけ、という話だった。静かな場所でゆったりくつろぎたいと願っていた私と親友は内心大喜びした。
「プールは夜は18時まで、朝は9時からチェックアウトの時間まで自由に入っていただけますよ」。フロントのマダムの言葉に小躍りした私たちは一分一秒も無駄にしたくないという思いから、部屋に入るなり超特急で持参した水着に着替え、早速プールへ向かった。
  暗くなり始めたプールには私たち以外には誰もいない。ストーブで温められたガゼボでバスローブを脱いだ一瞬こそ寒さに震えたが、温泉に浸かった途端、思わず「はぁ〜」とリラックスのため息が漏れた。あったかいプールにぷかぷかと浮きながら空を仰ぐと、雲の間にかすかに光り始めた星が見える。耳に聞こえてくるのは階下に流れ落ちる温泉の滝の音のみ。ふと見ると、さっきまで庭で寝そべっていた猫が、ちろちろと温泉のお湯を飲んでいる。こんな素晴らしい環境で自由気ままに毎日を過ごしているだけでなく、健康と美容に最適と言われている温泉水も飲み放題という猫たちに思わず嫉妬した瞬間であった。
 

 

 

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 Hotel Saturno Fonte Pura/ホテル・サトゥルノ・フォンテ・プーラのエントランス。サトゥルニアの村から約600mという便利な立地。独立したアパートメント風の部屋は25室あり、ほぼ全室にテラスがついている。冬期は基本的に週末のみの営業(上)。ホテルの庭を自由気ままに闊歩する猫たちはみんな人懐こい(中)。ほかほかと湯気の立つ温泉プールを貸切で満喫するという贅沢に恵まれた。ほぼ透明な硫黄泉の温泉水は約37.5°の一定の温度を維持し、皮膚病や循環器・呼吸器系の疾患、血圧低下に効果がある他、骨関節の抗炎症剤としても作用するそう(下)。
 

 

温泉発掘に人生をかけた男のロマンに感動のひと時

 

   チェックイン早々、贅沢なリラックスタイムを思う存分満喫した私たちは、今夜の食事処の情報を求めてフロントへ行ってみることにした。足元にまとわりついてくる可愛い3匹の猫たちを踏まないように気をつけながらドアを開けると、優しそうな紳士が「やぁ、テルメのお湯はどうだった? 気に入ったかい?」と笑顔で話しかけてきた。「ええ、もうサイコーでした!」と二人で口を揃えて答えると、紳士は「そうだろうとも! 知ってたかい? うちはサトゥルニアにある唯一のプライベート温泉なんだよ。うちだけの独自の源泉を持ってるんだ。うちの温泉は地中から吹き出している温水がそのままあのプールに引かれているんだよ。ホテルの名前の通り、『Fonte Pura(純粋な泉)』の温泉なんだ」と熱く語り始めた。
「近くの公共温泉の温水を引き入れているのかと思ってました」と私が言うと、紳士は「いやいや、屋外のサトゥルニアの滝に流れている温泉を引き入れているのは別の施設だよ。うちの温泉水は外気には晒されていない。源泉から直接引いているからもっとピュアなんだ。この施設の真下に源泉があるのを俺がこの手で掘り当てたんだから間違いない」と胸を張った。
  温泉を掘り当てた? 日本でもニュースなどで聞いたことがあるが、まさか本当にそんな幸運に恵まれた人に出会えるとは思ってもいなかった私は興奮して言った。「温泉って、どうやれば掘り当てることができるんですか? お金もすごくかかるんでしょう? どれくらいの年月を費やしたんですか?」矢継ぎ早に飛び出す私の質問に、紳士は「まあまあ、とにかくそこに座って。テルメに賭けた俺の人生の物語を話してあげるから」と言ってソファを指差した。


 

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愛犬とくつろぐホテルのオーナー、ジャンカルロ・ゲッツィ氏。このテルメの発掘者であると同時にサトゥルニアの大地、歴史、テルメの水質などについて知り尽くしているテルメ研究家でもある。
 

 

 

  紳士は「ジャンカルロ・ゲッツィ」と名乗った。家族とともにこのホテルを経営している彼は、サトゥルニアの土地で生まれ育ち、若い頃はテルメ施設で働いていたという。
「テルメで仕事をしていた時、いろいろな人から源泉についての話を聞いて興味を持ったんだよ。それから独学でサトゥルニアの歴史や地質、水質、テルメ発掘などについての知識を学んだんだ。ここの土地とテルメについて深く知れば知るほど、俺の確信は強くなる一方だった。”ここの土地に源泉が眠っているはずだ!”ってね。それからはもう取り憑かれたみたいに源泉を掘り当てることばかり考えていた。源泉発掘の費用を捻出するために、持っていたレストランもフェラーリも飛行機も、何もかもを売り払ったんだ。知ってるかい? 俺はこの辺一帯では『パッツォ(変人)』って呼ばれてたんだよ」ジャンカルロさんはそう言いながら苦笑いした。
   周囲の人々に変人呼ばわりされ白い目で見られながらも、彼のテルメ発掘への情熱は少しも冷めず、自分の信じた場所をひたすら掘り続けた。そして3年目のある日、巨大ドリルが岩を砕いた瞬間に轟音が響き、空にも届くかと思われるほどの湯柱が勢いよく吹き上がったという。
「サトゥルニアの村からも向こうの丘からも、この一帯のどこからでもはっきり見えるほどの高さだったよ。みんなそりゃ驚いたさ、ものすごい音がしたからね。俺を変人呼ばわりしたやつらも腰を抜かしただろうね(笑)」

 

 

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源泉を掘り当てた直後、湧き出た温泉水で入浴を楽しむジャンカルロさんと子供達(上)。敷地内に湧き出ている温泉の滝。ホテル内の源泉からは毎分2000リットルの温泉水が湧き出ているという(下)。

 

 

  文字通り全財産を投げ打って源泉発掘に賭けたジャンカルロさんは、源泉を掘り当てたことで自身の夢を叶えたかのように見えた。ところが、そこから温泉水を使ってテルメ施設を作るまでにはさらなる試練が待っていたそうだ。
「地下から湧き上がっている温泉水は国のもの。それをプライベートの施設に利用するための許可を得るのが大変だった。裁判沙汰にもなったよ。結果的に許可が降りて、いろんなことにも合意してホテルをオープンさせるまで10年もかかったんだ」。
長い年月と私財、気力、体力の全てを費やしてようやくオープンしたこのホテルには、ジャンカルロさんの人生が全て詰まっている。
「うちのテルメが特別なのは、サトゥルニアで唯一のプライベート・テルメだから、と言うだけじゃない。パヴィア大学との共同調査研究でも証明されているんだが、うちのテルメの水質は古くなった皮膚の角質の自然な角質除去と深部の消毒作用にすごく効果があるんだ。健康と美容に効くのはもちろんだが、特に乾癬の治療的代替物としての効果が高く、医学的にも注目されている。『フォンテ・プーラ(純粋な泉)』という名前は誇張でもなんでもない。たった今君たちが肌に触れたあの温泉水は、太古の昔、地球に最初の生命の細胞ができた時の状態のまま溶岩に閉じ込められていたものなんだよ。その太古の昔の状態のまま湧き出している温泉水を外気に触れさせることなくあのプールに引いているんだ。だからこそ、これほどの効用があるんだよ」。
ジャンカルロさんのテルメ談義は一向に尽きる気配がないどころか、ますますヒートアップしていく。私たちは、彼のテルメにかけた情熱的な半生の物語にただただ圧倒されながら、時間が経つのも忘れてテルメ談義に聞き入った。(*次号、後編に続く)
 

 

 

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フロント&レストランがあるホテルのメイン施設。敷地内には3つの温泉プールとサウナがある他、マッサージやトリートメントなどが受けられるスパもある(上)。ゲストのプライバシーを最優先に考え、それぞれに独立した入口を持つ客室(中)。ホテルのレストランは残念ながらシーズンオフで休業中だったが、徒歩2分のところにジャンカルロさんがかつて所有していたレストランがあり、郷土料理のリコッタチーズとほうれん草の自家製ラヴィオリを堪能することができた(下)。

 

 

 

★ MAP ★

 

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<アクセス>

ローマからサトゥルニアまで、車でE80号線グロッセートGrosseto方面へ。Montalto di Castro/モンタルト・ディ・カストロの先でSP105号線経由でSP10号線に入る。ローマから約2時間半。公共交通機関はあまり便利ではない。マレンマの中心の街グロッセートまで鉄道があるが、グロッセートからサトゥルニアまで車で1時間半弱かかる。周辺の村々を回る市バスもあるが、本数は少ない。ゆっくり回るにはレンタカーを借りるのが得策。
 

 

<参考サイト>

Hotel Saturno Fonte Pura/ホテル・サトゥルノ・フォンテ・プーラ(英語)
https://hotelsaturnofontepura.com/en/

 

マレンマ観光情報(英語)
https://www.tuttomaremma.com/en/

 

 

 

*この連載は毎月第2・第4木曜日(月2回)の連載となります。次回12月27日(木)掲載予定です。お楽しみに! 

 

 

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田島麻美 (たじま・あさみ)

千葉県生まれ。大学卒業後、出版社、広告代理店勤務を経て旅をメインとするフリーランスのライター&編集者として独立。2000年9月、単身渡伊。言葉もわからず知り合いもいないローマでのサバイバル生活が始まる。半年だけのつもりで暮らし始めたローマにそのまま居座ること17年、イタリアの生活・食文化、歴史と人に魅せられ今日に至る。国立ローマ・トレ大学マスターコース宗教社会学のディプロマ取得。旅、暮らし、料理をメインテーマに執筆活動を続ける一方、撮影コーディネイター、通訳・翻訳者としても活躍中。著書に『南イタリアに行こう』『ミラノから行く北イタリアの街』『ローマから行くトスカーナと周辺の街』『イタリア中毒』『イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる』他。

 

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