ブルー・ジャーニー

ブルー・ジャーニー

#50

グランド・キャニオン 時を歩く〈1〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

地図の空白 

 サウスリム(南壁)の淵から九十九折りの坂道を谷底に向かう。

 空はどこまでも青く、体をなでる風がやわらかい。

 ネイティブ・アメリカンを乗せた馬の一団が痩せた犬を従えて駆け上がってくる。はじき飛ばされないよう、道端の石の上に避難する。

 赤茶色の砂を右手ですくいあげる。これまで手にしたどの砂よりも細かい。握りしめると、指をくすぐるようにすり抜け、こぼれ落ちる。

 ひづめの音が遠ざかり、ふたたび世界は静まりかえる。消せるものなら足音を消したい。

 10月。アリゾナ州北部、1800年代後半まで地図の空白だった場所、グランド・キャニオン。

 

06 

 

 ロッキー山脈に始まり、2330キロの旅を経てカリフォルニア湾に注ぐコロラド川。でたらめで、無鉄砲で、激しく泡立ち、荒れ狂う、世界でもっとも野性的な川によってこの大峡谷は作り出され、今なお、深く、広く、成長をつづけている。

 地殻変動によってこの一帯が隆起したのは約7000万年前。約4000万年前からコロラド川の浸食が始まり、約200万年前、山脈を裏返したような風景の大部分ができあがった。

 長さ446キロ、幅6キロ〜29キロ。断崖の平均の深さは1200メートル。全体の約半分、東京都を飲みこんで余る4971平方キロメートルが国立公園に指定されている。

 コロラド川をはさんで北がノースリム、南がサウスリム。サウスリムは1年を通してアプローチが可能だが、ノースリムは10月中旬から5月まで降雪のために閉鎖される。総延長距離約470キロの両岸を結ぶものは1本の舗装道路と1本のつり橋のみ。

 

――ここの景観は神秘的でひっそりとしていて、不可解なまでに異様である。だから人はここに立つと、この景観をながめるのは自分が初めてだろうと思ってしまう。(フレデリック・S・デレンボー『コロラド物語』)

 

08

 

 巨大な両生類や爬虫類が歩きまわっていた二畳紀(ペルム紀)に形成されたサウスリムから、爆発的に生命が増えたカンブリア紀の谷底まで、約3億年の歴史を40分余りで下り終える。

 砂漠状の平地が見わたす限りつづいている。足音がうんざりするほど大きく響く。

 

――白人の都市には静かな場所がない。春の木々の葉ずれや虫の羽音が聞こえる場所はない。ヨタカの愛らしい鳴き声や夜の池端のカエルの大合唱を聞くことができない人生に、どれほどの値打ちがあるのだろうか。(シアルス、ドゥワーミシュ族首長)

 

 アメリカン・ネイティブが4000年以上前から住んでいたこの地に、初めてヨーロッパ人がやってきたのは1540年9月のことだった。

 スペインの軍人、ガルシア・ロペス・デ・カルデナスの目的は、言うまでもなく金だった。

 サウスリムを3分の1ほど下ったところで飲み水が切れ、引き返した一隊は、ホピ族からこの一帯には金が無いことを聞き、即座に撤退を決めた。金が採れなければ、どんな景観も意味がなかった。それ以後、グランド・キャニオンはヨーロッパ人から忘れられた場所となった。 

 

01

 

 サウスリムを出発してから約3時間、砂漠状の平地は消え、道の両側に切り立った崖が姿を現わす。

 無数の峡谷のひとつに踏み入る。

 進むごとに道は狭くなっていき、赤茶色の岩肌の表情の豊かさに気づかされる。

 奇岩、絶壁、孤岩峰(ビュート)。赤、ピンク、オレンジ、茶色と微妙なグラデーションを見せる7つの年代の地層。もっとも深いところで垂直距離1600メートルに及ぶ岩壁には、約20億年に及ぶ地球の記憶がファイルされているという。

 不意に嗅覚を刺激される。

 水!

 緑!

 

09

 

 1800年代後半のコンゴ自由国(後にベルギー領コンゴ)を舞台に描かれたジョセフ・コンラッドの『闇の奥』。

 船長として採用されることが決まり、契約書を交わすために貿易会社の本社に行ったマーロウは待合室に通される。

 

――真ん中に樅材のテーブルがあって、壁沿いに簡素な椅子が並べてあった。壁に掛けられた光沢のある大きな地図を見ると、大陸が虹の色に塗り分けられていた。広々とした赤い部分はいつ見てもいいものだ――実のある事業が営まれているからね。青い所もうんとある。あとは緑が少々、橙(だいだい)もちらほら。東海岸の紫色の所では、陽気な“進歩の先兵”たちがうまいビールを飲んでいるという具合。でも俺の行く所はそのどれでもない。行き先は黄色い部分で、大陸のど真ん中だ。

 

 植民地時代、支配する側の地図は、イギリス領は赤く、フランス領は青く、イタリアは緑に、ポルトガル領は橙に、ドイツ領は紫に、ベルギー領は黄色に塗られる慣習となっていた。

 地図は願望を満たし、同時に、新たな願望を生み出す装置だった。

 

07

 

 1804年5月14日、ルイスとクラークの探検隊がセントルイスを出発、平底船の舳先をミズーリ川の上流に向けた。

 第3代アメリカ合衆国大統領、トーマス・ジェファーソンが探検隊に与えた任務は大きく三つ。北米大陸を最短距離で横断する、もっとも実用的な水路を見つけること。住民を調査し、土地と地勢を観察すること。そしてたどった地域の地図を作製するために天文観測をすること。

 この当時、もっとも権威ある地図のロッキー山脈は標高1000メートルだった。つまりは、アメリカ合衆国は、自分の国がどうなっているのか、よくわかっていなかった。

 ルイスとクラークの探検隊は行く先々でアメリカン・ネイティブの助けを借りながら前進した。獣皮に木炭のかけらで書かれた地図は、持参した地図よりもはるかに正確だった。

 クラークは日記に書きこんだ。

『このスケッチは1806年4月18日、コロンビア川の滝で、スカダット(クリッキタット族)、チュプニッシュ(ネズ・パース族)およびスキルート(ダレス族)からもらったものである』

 スネーク川をたどり、コロラド川をくだり、1805年12月3日、探検隊は太平洋に到達した。

『海が見える! おお! なんという喜び!』

 ルイスとクラークの探検隊の成功は、新たな願望をかきたてた。

〈西に行けば富と豊かな生活が待ち受けている〉

 地図は次々と書き換えられ、アメリカ色に塗りつぶされていった。

 

03

 

 岩肌が直に空と接している。

 緑色の澄んだ流れが先カンブリア時代を走り抜け、原始からつづく静寂の中に流れこんでいく。

 コロラド川を初めて下ったのは合衆国の軍人、ジョン・ウェズリー・パウエルだった。

「われわれはいよいよ『大いなる未知』を下ろうとしている」。ロッキー山脈をスタートしてから約3カ月後の1869年8月13日、パウエルは地図の空白に差しかかる。

 

――――あとどれくらい行くのかはわからない。まだ探検されたことのない未知の川なのだ。どんな滝があるのか、われわれは知らない。どんな岩が水路を阻むのか。どんな絶壁が頭上を圧してそそり立つのか、それもわからない。(『地図を作った人びと』ジョン・ノーブル・ウィルフォード)

 

(グランド・キャニオン編、続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

blue-journey00_writer01

時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

ノンフィクション単行本 好評発売中!

blue-journey00_book01

日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

ブルー・ジャーニー
バックナンバー

その他の辺境・秘境の旅

ページトップアンカー