越えて国境、迷ってアジア

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#49

イラン・アフヴァーズ~サナンダジュ

文と写真・室橋裕和

 仕事抜きで、取材もせずに観光旅行に訪れたイランで待ち受けていたのは、大規模な反政府デモだった。危険を避けるために向かったのは、イラクとの国境地帯だったが……
 

 

2017年末、イラン反政府デモに遭遇

 僕は目を疑った。
 ホテルの前が、火の海になっているではないか。目を血走らせた若い連中がドラム缶を燃やし、車をひっくり返して火をつけ、そこらの標識を折り曲げて回り、シャッターを下ろした商店にケリをくれながら、雄たけび、練り歩いている。数百人だろうか。もっといるかもしれない。青くなって外へ出ると、ホテルの3軒隣にあるバザールの入口のゲートがやはり燃やされ、黒炎を上げている。
 自らの街が炎上する様子を、うっとりと眺めているデモ隊に向けて「ポン、ポン、ポン」となにやら発射音がした。黒焦げたアスファルトに、いくつかの鉄製の筒がカラカラと転がる。見る間に煙が吹き出てくる。とたんにあちこちから悲鳴が上がった。僕も煙に巻かれたが、声も出せず、顔を両手で覆った。目が、なんだ、痛い、いや辛い。目が激辛だ。涙があふれる。視界が利かず、よろめきながらホテルに逃げ込んだ。生まれてはじめて浴びた催涙弾の刺激に悶えながら、この街から逃げようと思った。

 

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泊まっていたホテル周辺のバザールは暴徒と化したデモ隊によって放火されまくった

 

 

遺跡観光を楽しんでいた日々が暗転

 幼少のみぎり、古代オリエントマニアとして過ごした僕は、念願だったイランを旅していたのだ。ペルセポリスの威容に涙を流し、イスファハンの王の広場は一周およそ1300メートルほどあるのだが、感動のあまり10周くらいした。仕事のまったく絡まない、取材なんていっさいしなくていい、年末年始のプライベート旅行。
 の、はずだった。
 政府の経済政策の失敗によって物価がハネ上がり、ブチ切れた民衆が各地でデモを繰り返し、剣呑なことになっていたのだ。ツイッターのフォロワーから「気をつけたほうがいいですよ^^」と忠告をいただき、またニュースを見て知ってはいたのだが、まさか自分が巻き込まれるとは夢にも思っていなかった。
 イラク国境に近いアフヴァーズの街に滞在しているときのことだ。パンツに穴が開いていることを発見した僕は、バザールで新品を物色していたのだ。あれでもないこれでもないとお気に入りを探していると、大通りからなにやら群集の怒声が響き渡ってきた。行ってみれば、ほんの20人ばかりの若者が気勢を上げていた。取り囲んでいる警官隊のほうが多いくらいだった。
 へええ、これがウワサの反政府デモか。イラン名物の人参ジュースなんぞ片手に、タバコをふかしているおじさんたちと一緒になって、のんきに見物をする。ニュースで見たより牧歌的だな。が、そんなことより明日はエラム紀のジッグラトだ。アケメネス朝の王都スーサだ。さ、いこいこ。
 ホテルに戻って新しいパンツに着替え、ナツメヤシをつまみながら「アレクサンドロス大王記」をうっとり耽読する。どうして僕は世界がまだ謎だらけだった紀元前に生まれなかったのだろうか。僕も王の遠征に書記官としてついていきたかった……妄想を楽しんでいると、ホテルの窓になにやら赤いゆらめきが見えたのだ。なにかスローガンらしきものを叫ぶ群衆、怒号と金切り声、ガラスの割れる音や激しい衝突音、そして炎。
 群集は数百、いや数千人規模に膨れ上がっていた。

 

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アフヴァーズのバザールの人々はとってもフレンドリーだったのだが……

 

 

大都市を避けて国境地帯へ

 泊まっている宿の並びのバザールが放火され、警官隊が撃ちこんできた催涙ガスを浴びて、命の危険を感じた僕は、即刻アフヴァーズから脱出することにした。
 ネットで調べるとデモは大都市で起きている。いや、報道されていないだけで小さな街でも発生しているのかもしれないが、人口を考えれば大都市のようなでかいデモにはならないはずだ。危険も少なかろう。そしてどうせならマニア的にソソる地域……。
 そんな独り言をブツブツ呟く。若者たちが吠える声が轟く。地図に目を走らせていると、とある地名が気になった。イラク国境コルデスターン州。コルデスターン……これ「クルディスタン」じゃないのか。ググッてみれば確かにそこは「国を持たない、世界最大の民族集団」クルド人の地域。すぐそばに迫るイラクやトルコにまたがり、国境を越えて住んでいるのだ。ここだ。ここがいい。もしかしたらイラク国境まで迫れるかもしれない。
 デモの危険を避けるために、紛争を抱えるクルド人地区に向かうのはどうかとも思ったが、いつ延焼するかわからないこのホテルにいるよりはましだろう。僕は荷物をまとめると混乱する街に飛び出し、デモ隊と反対方向に向かってひたすらに歩き、タクシーをつかまえると「テルミナーレ(バスターミナル)!」と叫んだ。

 

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イラン西部の高原地帯はこんな光景ばかりが続く。ハメネイ師のありがたいお言葉も

 

 

前が見えないからこそ旅は面白い

 バスはイラク国境の高地砂漠をひたすらに北上していた。車窓に見えるのは岩山、荒地、パイプライン……僕は再び手もとに視線を戻し、原稿と格闘する。デモの様子をSNSに投稿したところ、年末年始だというのに仕事熱心な皆さまから「ただちに書きなさい」とありがたいメッセージをいただき、休暇のはずがデモのルポに取り組んでいるのであった。
 だがやがてパソコンの充電も切れ、日は落ち、一気に寒くなってくる。ケルマンシャーではコルデスターン州の州都サナンダジュに向かう乗り合いタクシーに乗り換えた。
 予定にはない目的地である。
 皆目、見当がつかない。タクシーの乗客たちは、愛想はいいのだが誰ひとり簡単な英語すら通じず、理解しあえたのは「サナンダジュ」という単語だけだった。
 本当に着くのだろうか。着いたとして宿はあるのだろうか。もう11時を回っている。開いている食堂はあるだろうか……。
 おんぼろのセダンの後部座席にヒゲ面マッチョの3人と押し込められ、不安感や焦燥感を覚えながらも、しかし一方で僕は昂揚してもいた。
 くっくっく……これだよこれ。
 月夜に浮かび上がる岩山の連なりを眺めて、痛切にそう思った。笑みがこみ上げる。
 サナンダジュは果たして、どんなところか。ガイドブックに載る街ではない。地図もない。ホテルがどこにあって繁華街がどこなのか、着くターミナルは……なにもかもわからない。そして言葉はさっぱり通じない。スマホで地図と、翻訳アプリを使ってググるだけでもだいぶ違うのだが、バッテリーも通信量もほとんど切れかけており、役には立たない。
 こうして先が見えずに手探りで進んでいくところが、旅の面白さなのだと思う。

 

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イラン旅行で印象的なのはやはりバザールだと思う。中世からそのまま残っているものもある

 

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イランのバザールはどの店も「盛り」に凝っていて、実にインスタ映えすると思う

 

 

国境を越えず、民族だけが変わる

 翌朝……乗り合いタクシーに教えてもらったホテル(お手々を合わせて寝るジャスチャーを見せたらつれていってくれた)を出て、活動をはじめたサナンダジュの街を一望すると、僕はまた目を疑った。
 イラクではないのか?
 通りを歩く人々がイランとはだいぶ違うのだ。とくにおじさんだ。恰幅の良さ、鋭い目つき、だぶだぶの幅広いズボンは民族衣装だろうか。話している言葉もだいぶ違う。商店の看板を見れば、イランのペルシア文字ではなく、アラビア文字だった。微妙に違うのだ。
 クルドの大地に来たんだ……。イランにいながら、国境を越えたような気分だ。
 まずは歩こうじゃないか。僕はバザールのありそうな方向を目指した。

 

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クルド人のおじさんの典型的なファッション。昔の不良が履いていたボンタンのような幅広ズボンが特徴だ

 

*以下次回、イラク国境クルディスタンの旅編に続く!

 

 

 

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*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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