ブルー・ジャーニー

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#49

アラスカ 北極圏の扉につづく道〈5〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

力強く、温かな協和音 

 ワンワンワンワンワンワッワンっ!

 どこからか現れた犬が、道路脇のヤブに向かってほえつづける。

 近づいて目をこらすと、ヤブの中に充分に成長したメスのムース。濃い茶色の体が、枯れた枝に溶けている。

 長身の男がやってきて、吹き溜まりに腰までつかりながら、犬をヤブから引きずり出す。

「こんにちは」

「やあ」

 訪ねていこうとしていたジョン・ヘンダーソンだった。

「たぶん、となりのドッグ・キャンプの犬だ。首輪から頭を抜いて逃げ出してきたんだ」

 首根っこをわしづかみにされた犬は、情けない顔つきでじっとしている。

「ムースは犬とオオカミを見分けられない。放っておいたら、逆襲されて、殺されてしまったかもしれない」

「このへんにもオオカミが?」

「たくさんいる」

 

33

 

 すぐ裏手のキャンプに犬をもどし、10分ほど離れたジョンの家に向かう。

 ジョンの姿を見つけた犬たちが、いっせいにほえ始める。立ち上がり、身をよじり、犬小屋の上に飛び乗る。さっきのキャンプの犬よりも、みんな清潔で、健康そうで、表情が明るい。

「あれがリーダー犬だ」ジョンがほぼ中央の犬小屋を指さす。「名前はチーフ。まだ2歳だけど、一番頭がいい」

 犬種はアラスカン・メイルミュート。メイルミュート(malemute)はエスキモーという意味だそうだ。

 

34

 

 チーフに挨拶に行く。

 チーフが応えて立ち上がる。

 うわっ。思ったよりもはるかに大きいじゃないか。

 両肩に太くたくましい前足が乗せられる。

 うわわわっ。思ったよりもはるかに重いじゃないか。

 もののみごとに雪の上に押し倒される。

 顔中をなめられながら、両腕を胴にまわす。温かくて、ぶ厚くて、やさしい。

 長短2種類の毛に全身が覆われている。長い毛は寒風から身を守り、短い毛は保温の役割を果たす。足の裏に生えている3ミリほどのビロードの毛は、槍のような雪の結晶から足を守り、長い距離を走りつづけることを可能にする。

 

31

 

 選んだ犬にハーネス(胴ベルト)を取りつける。

「ハーネスのサイズが合わないと犬を傷つけてしまうんだ」

 ハーネスをラインと呼ばれるロープにつなぐ。犬の配置は性格や相性によって決定される。

 さいごにチーフをラインの先頭につなぎ止める。

 選ばれた犬たちの興奮が伝わってくる。いっしょにほえたいぐらいだ。

 それにくらべて、選ばれなかった犬たちの鳴き声の、なんと悲しそうなことか。

「右は『ジー(GEE)』、左は『ハウ(HAW)』、止まれは『ウォウ(WOW)』。エスキモーの言葉だ」

「進めは?」

「とくにない。言葉の調子でわかる。とにかく走りたくてしょうがないんだ」

 犬ゾリの後部の、鉄製の小さな熊手のようなものがブレーキ。必要なときはこれを踏みつけて雪に噛ませ、減速させる。

 ジョンがソリのテール部分に足を乗せる。

 気配を感じた犬たちはピタリとほえるのをやめ、背中をまるめ、四肢を深く曲げる。

 短距離走の“用意”の体勢を保ったままぐいと振り向き、ジョンをじっと見つめる。

「ゴー!」

 24本の脚が、いっせいに雪を蹴る。

 ラインがピンと張りつめ、遅れて、ガクンとショックが伝わってくる。

 ラインをとおして、力強く温かな生命の協和音が伝わってくる。

「ジー!」

 チーフのピンと立った両耳がジョンの合図を受けとめ、コースを変える。

 2列縦隊につながれた犬たちが勢いよく後につづき、さいごにソリがあふれるようにしてカーブをトレースしていく。

 

37

 

 右のヤブのなかにムースがいれば右寄りにコースを変え、左の林にオオカミがひそんでいれば左に吸い寄せられる。

「ゴー!」

 かけ声をかけながら、軽く熊手を踏む。蛇行するソリをそのままにしておくと、たるんだラインがもつれてしまうことがあるからだ。

 のどが渇くと雪を噛み、となりを走る犬にちょっかいを出し、トイレも走りながらやってのける。『ウォウ(WOW)』と言われないかぎり、犬たちは走りつづける。

 2キロほど進んだところで、ジョンが犬ぞりを止める。

「代わるかい?」

「ほんとうに?」

「もちろん」

 

35

 

「ゴー!」

 ガクン。伝わってくる協和音に溶けてしまいたくなる。

 

──出発前には、私は自分一人でなんでもやれると思っていた。しかし、本当に私一人だけだったら、この旅はここまで続けられたかどうか。その前に気が狂うか、ノイローゼになっていたかもしれない。犬たちがいたから、私は手を焼くことも多かったが、また慰められ励まされてきた。人間にとって、信頼や愛情がどんなに大切なものであるかを、私は今度の旅で犬たちに教わった気がする。(『北極点グリーンランド単独行』植村直己著)──

 

32

 

「昨日までチーフたちと狩りに行っていたんだ」

「どこまで?」

 遠くの山を指さしながらジョンが答える。

「1週間で800キロぐらい走ったかな」

「800キロ! 疲れていたのに、もうしわけない」

「いや、だいじょうぶ。みんな新しい匂いを楽しんでいたよ」

 犬小屋にもどった犬たちは、べったりと雪の上に腹ばいになっている。

「体をさましているんだ」。ジョンがつづける。「気温がマイナス20度から40度の間ぐらいのときが、一番元気がいい。今日みたいな日は彼らにはちょっと暑い。夏はただの怠けものだ。まったく動こうとしない」

 食事は牛やカリブーやムースの生肉を1日2回。1回約1キロ。ただそれだけで、エンジンオイルも凍りつく極寒の地を、ソリを引いて1日100キロ走りつづける。

「生まれはアラスカ?」

「いや、ミシガン州なんだ。仕事がなかったからこっちに来た。もう20年も前のことになる」

「結婚は?」

「しているけど、家族はフェアバンクスに住んでいる。ぼくもフェアバンクスで働いてみたけれど、どうしても住みつづけることができなかった。そして家族はどうしてもここに住みつづけることができなかった」

「コールドフットに住む理由は?」

 ジョンはためらうことなく答えた。「グッド・ハンティングとグッド・フィッシング。そして彼らといっしょに生活できること。それがすべてだ」

 

36

 

 コールドフットの飛行場を飛びたったプロペラ機は、すぐに雲に飲みこまれる。

 上下左右にはげしく揺れ、はずみで天井や窓ガラスに何度も頭をぶつける。

 30分あまり乱気流にもまれた後、プロペラ機は高度を下げ、雲の下に出る。眼下は雪の白で覆われている。

 フェアバンクスとは反対の方向に30分ほど飛び、雪原に吸いこまれるように着陸。パイロットが走り寄ってきたスノーキャットに布の袋を差し出す。ドライバーのエスキモーがいかにもうれしそうに袋を受け取り、代わりにマジックで住所と名前が書きこまれた段ボールの箱を差し出す。

 郵便配達を終えたプロペラ機は、ふたたび荒れた空に飛びこむ。

 

45

 

 家、道路、車。人の気配がみるみる濃くなり、大自然と入れ替わっていく。

 プロペラ機はまるで綱渡りをしているかのように揺れながら滑走路に近づき、そのたびに、押し戻されるように機首を上げる。

 3度目、機体をねじ伏せるようにして着陸。

 フェアバンクスの飛行場に降り立つと、前かがみにならないとまっすぐに歩けないほどの風。

 こんな強い風の中を。

 すっかり驚いてしまっている日本人に片手を上げると、パイロットはなにごともなかったかのように立ち去っていった。

 

 

(アラスカ・北極圏編、了)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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