ブルー・ジャーニー

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#47

アラスカ 北極圏の扉につづく道〈3〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

だれのものなのか? 

 アリューシャン列島に生きる先住民族、アリュートが「大いなる地=アラスカ」と呼んだ手つかずの大自然。

 そのほぼ中央を縦断するダルトン・ハイウェイを北へ。

 全長666キロ。南端はフェアバンクス近郊の町、ライヴェングッド。北端は北極海まであと少しのところに位置するデッドホース。

 1969年、ベトナム戦争の最中、北極海沿岸のプルドーベイで北米最大の油田が発見されるまで、このダルトン・ハイウェイはなかった。

 ライヴェングッドを東京に置き換えれば、函館までただ広がる未開の原野。目の当たりにしてもなお、実感が湧かない。

 

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 ゆるやかなアップダウンの中をひた走る。

 視界を埋め尽くしていた青が、つぎの瞬間、緑に塗り替えられる。

 行く手に分岐。

 直進が旧道“ハッピーマン”で、右にカーブしていくのが新しく切り開かれた道路。

 忠告に従って新道にそれる。

 急勾配をまっすぐ下る旧道は、壁にぶつかったかのように、ほぼ直角に右に折れていて、曲がりきれずに飛び出す車が続出。「うまく通り抜けられればハッピーっていうわけさ」とのこと。

 

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アリュートを奴隷にして、ラッコ、アザラシ、ゾウアザラシ、アダルーペオットセイなどを獲り尽くしたロシアは、遠く寒い地を支配する理由はなくなったと判断。1967年3月、外交官、エドゥアールト・シュテックルを介して合衆国国務長官に書簡を渡した。

 

 合衆国国務長官殿――今月16日から28日付、サンクト・ペテルブルグ発の電報にて受け取りましたゴルチャコフ皇太子よりの伝言をお伝えいたします。ロシア皇帝陛下はアメリカ大陸におけるロシアの所有地を総額720万ドル相当の純金にてアメリカ合衆国に譲渡することに同意し、本契約の交渉、署名に掛かる全権を小生に委託されました。

 閣下の益々のご繁栄を心よりお祈り申し上げます。

                     エドゥアールト・シュテックル  

 

 プルドーベイで油田が発見されたのは、売買の翌年だった。

 ニクソン大統領はプルドーベイから太平洋沿岸の不凍港、バルディーズまで、大いなる地を貫通する全長約1300キロのトランス・アラスカ・パイプラインの建設を決定。資材を輸送するための作業用の道路、ダルトン・ハイウェイの建設が始まった。

 

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 日本の道路には到底収まらない巨大なトラックが、すれ違いざまに跳ね上げた石で、フロントガラスのヒビが1本増える。

 1977年に完成し、1995年に一般に向けて開放されたダルトン・ハイウェイ。大半が未舗装路で、信号はもちろん、ガードレールも街路灯もない。

 数少ないドライブインでトイレを借りる。

 となりに立った赤ら顔の大男に話しかけられる。

「あんた、こっちの人間かい?」

「いえ、旅行です」

「英語、うまいね」

「ありがとう」

 たどたどしくても、とにかく話せば、たいてい『うまいね』という言葉が返ってくる。

「で、どっから?」

「日本から」

「日本か。日本は人がいっぱいいるんだろ」

「イエス」

 赤ら顔はとてもうれしそうな顔で立ち去っていった。

 

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 プルドーベイでの油田の発見は、85年前のゴールドラッシュが霞んでしまうほどの出来事だった。

 巨大な利益をめぐって、アラスカに関わるすべての人が、それまでやりすごしてきた問題を突きつけられることになった。

 この大いなる地はだれのものなのか?

 法律上の所有権は、ロシアに720万ドルを払ったアメリカ合衆国にあったが、先住民ははるか昔からこの地に住んでいた。新天地を求めて移り住んできた人も数多かった。

 1971年、政府はトランス・アラスカ・パイプラインを敷設するために、アラスカ先住民土地締結条約を可決。アラスカを、国に60パーセント、州に30パーセント、アラスカ先住民10パーセントの割合で3分割、さらに先住民にアラスカ全土に及ぶ先住権を放棄させることに対して約10億ドルの賠償金を支払うこととした。

 土地と金を受け取る条件として、先住民は、地域ごとに寄り集まって会社組織をつくらなければならなかった。20年の猶予期間が終了した1991年から、土地に課せられる税金を支払わなければならず、事業に失敗すれば、土地を失うことになった。

 一見、物わかりのよさそうな顔をしていたが、結局のところ、アラスカ先住民土地締結条約は、大いなる地を大小さまざまな規模に分割し、開放し、区分し、譲渡できるようにするためのものだった。

 

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 フェアバンクスを出てから約4時間後、ユーコン川に差しかかる。

 ネイティブの言葉で「大いなる川」を意味するユーコン。全長は約3700キロ。上流1700キロがカナダ領、残り2000キロはアラスカを流れ、ベーリング海で終わる。

 これほど長大なのに、架けられている橋はカナダ領にひとつと、いま渡っている橋のふたつしかない。冬の間は犬ぞりが、雪が溶けると船が大いなる川の交通手段となる。

 1897年7月14日、サンフランシスコに入港した蒸気船エクセルシオー号から50万ドル分の金を抱えた探鉱者40人が降り立ち、ゴールドラッシュが一気に沸騰。クロンダイクに向かった約10万人のひとり、ジャック・ロンドンは一攫千金をめざして、イカダのような船でユーコンの源流を下った。

 

 ――峡谷の上の崖から、何百人もの見物人が破滅を予期して見入るなか、ユーコン・ベル号とその無謀な船乗りたちは泡立つ川に入っていった。(中略)ジャックが前で舵をとり、仲間たちに命令を叫び、だれもが懸命に漕いで、渦巻く水流をすさまじい速度で下るユーコン・ベル号が転覆したり岩に激突したりせぬように必死にがんばった。(中略)ジャックのみごとな操縦に、同じくらい運も幸いして、だれひとり骨も折らず、パドルが2本折れただけでこの冒険を生き延びた。(『ジャック・ロンドン』アール・レイバー著)

 

 目ざす場所まであと115キロのところで川が氷結したため、キャビンで越冬。持参した『種の起源』『文体論』『資本論』『失楽園』を読み、同じように金を求めてやってきた人びとと、社会主義やダーウィンについて意見を交わした。

 翌年の春、金鉱の町、ドーソンに入ったが、まもなく野菜不足からくる壊血病で撤退。2カ月かけてサンフランシスコに持ち帰った金の価値は5ドルに満たなかった。

 

 5月に入ると、ある日突然、大雪原が大音響とともに割れ、ユーコン川は半年間の眠りから覚める。

 腹這いになり、雪面に耳を押し当てる。

 ブレイクアップ(川開き)はまだ遠い。

 

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 先住民にとって土地は所有するものではなかった。境界線も存在しなかった。

「わしらエスキモーも、よそ者のための法律をつくるべきだ。そうすれば、連中がわしらにしようとしていることとちょうどあいこになる。

 わしらは連中の生活の仕方についてなにも知らない。連中だってわしらの生活を知らないんだ。自分らのことは自分らで決めればいい。この辺一帯の土地を見てもらいたい。わしらはこの土地を痛めつけたことは一度もない。

 たくさんのことが一度に起こった。外から強要されることばかりで、変化があまりにも急だった。

 わしらはどこか外から来た力に押しまくられてばらばらになっている。土地請求権が問題をみんな解決してくれる、これで将来は保証されたと思ったが、それもさいしょのうちだけだった。

 わしらが土地を全部選び終わりもしないうちに、政府はわしらのテリトリーの真ん中を突っ切るパイプラインの“地役権”とその工事に伴って道路を切り開くことを要求してきた。

 何キロもの幅の道路がわしらの土地の真ん中を通ることになった。わしらに土地を開放してくれる代わりに、わしらは国有地に指定されたでっかい土地に囲まれてしまう仕掛けになっていた。はるか昔から、自由に獲物を追った土地が、よそ者の間ですこしずつ区画されようとしている」

 

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 ――自然は曲線を創り人間は直線を創る。

 

 湯川秀樹の言葉が、警鐘の音色を帯びる。

 

 

(アラスカ・北極圏編、次回に続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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