越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#46

インドネシア・バンダアチェ

文と写真・室橋裕和

 マレーシアから船でスマトラ島のドゥマイに降り立ったのが前回。今回はそのスマトラ島をひたすらに北へ。目指す街はインドネシア最北端、そして、日本と同じ苦難を背負った地でもある。

 

 

ドゥマイの港からバスターミナルへ

 僕はナゼだか、幼児ふたりをひざに抱いて、ノートパソコンでポケモンを見ているのであった。さすがはYoutube、「pokemon indonesia」で検索してみれば、しっかり現地語バージョンの映像が現れるのである。
 こんな木造バラックのごときおんぼろのバスターミナルに、ストレスなく動画を見られるほど強いWi-fiが飛んでいることも驚きだった。スマトラ島の僻地の子供たちも、こんな情報環境の中で生きていくのである。
 前回、マラッカ海峡を越えてインドネシアに入国した僕は、スマトラ島を北上すべくバスターミナルにやってきていた。目指すはインドネシア最北端、スマトラ島の北の果て、バンダアチェ。もう目の前は、インド領アンダマン・ニコバル諸島である。国境マニアとして、そして端っこマニアとして、いつか立ってみたい街だった。
 そんなバスターミナルにあった小さな食堂の子供たちは、どういうわけだか僕になついてきたのだ。しかし人の子を相手におじさんが遊べるのはせいぜい30分。あとは間が持たず、仕方ないので動画を鑑賞させていたところ、ようやく出発時間となった。

 

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日本からやってきた怪しいおじさんにも懐いてくれたきょうだい

 

 

巨大な島を一気に北上していく

 どうせボロバスとガタガタ道のマゾ旅だろう……と覚悟していたのだが、意外にもスマトラ島の交通インフラはけっこう整っていた。車体が大きく、座席数の少ないVIPバスがたくさん走っているのだ。料金はやや高めだが、ゆったりリクライニングできるし、バスによってはパーソナルテレビやWifi、USBなどもついている。道路はパイプラインと併走し、交通量は多いが整備はされている。世界で6番目にデカい島なので、街から街へ半日以上かかるような長距離移動は避けられないが、おかげで体力の消耗もなく旅できるのだ。ちなみに日本の本州は7番目。
 そんなバスを乗り継ぎ、トバ湖、メダンと経由して、数日かけて島を北上。到着したバンダアチェは街路樹や公園の緑が印象的な、こぎれいな街だった。純白のモスクがまぶしい。
 3方を海に囲まれているだけあって、屋台でも食堂でも魚が山盛りである。しかも安い。市場に行けば、ひと抱えもあるカツオのようなデカブツや、いますぐ醤油とわさびで食いたい赤身、ぷりぷりのイカなどがどっさり並び、日本人ならたまらないんである。
 街の北西端にある海岸沿いの公園に赴き、インド洋を見やる。google mapを確認すれば、確かにいま僕はスマトラ島の先っぽにいた。笑みが込み上げる。大洋に向かって、ひとりガッツポーズを決める。僕はまたひとつ「最果て」を見たのだ。

 

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バンダアチェの市場にて。海鮮の種類と量がとにかくスゴい

 

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市場の食堂ではこれがたったの200円ほど。バンダアチェの旅は醤油持参をオススメしたい

 

 

津波被害から街はどう復興したのか

 僕にはもうひとつ、目的があった。
 バンダアチェは2004年12月26日に一度、壊滅している。この日の朝に発生したインド洋巨大津波はアジア諸国の広範囲を襲ったが、最も大きな被害を受けたのがバンダアチェだった。中心部は原型をとどめないまでに破壊され、死者・不明15万人。
 僕は、あの3.11を知らない。当時、タイに住んでいたからだ。だから日本人が広く共有した悲しみや恐怖や怒りを、身体の中に持っていない。刻々と絶望感の増していく状況をネット越しに見てはいたが、そこに実感は伴っていなかった。
 活動の場を日本に戻してからも、まだ東北を訪れることはできていない。いまでも、奇妙な疎外感を覚えている。
 だからせめて、スマトラ島にまで来たこの機に、同じ津波被害を受けたバンダアチェがどう復興し、人々がどう生きているのかを見てみたかったのだ。
 厳粛な気持ちで、まずは市内中心部にある津波博物館に向かった。あの津波が起きたメカニズムの解説や、被害状況、日本を含む各国の支援の模様などたくさんの展示があったが、言葉を失ったのは街の精巧なジオラマだ。震災の前と後とが比較されているのだが、地形が大きく変わり、沼や湖がいくつもでき、農地は塩害で荒れ果ててしまった様子が見て取れた。14年も経ち、一見すると復興したように見えるバンダアチェだが、そうではなく根本から街の姿を変えられてしまったのだと思った。
 重たい気分で博物館を巡っていたのだが、みやげもの屋がけっこう盛況なんである。デザインも凝った津波Tシャツ、ショッキングな被害映像を集めた津波DVD、さらには地元の名産ドリアンを加工したお菓子や、コーヒーなどなど充実しており、インドネシア各地からやってきたと思われる観光客が群がっている。改めて見れば家族連れも多く、誰もが笑顔。
「日本人でしょ。日本から来る人、たまにいるんだよね。うぇるかむ」
 ヒジャブをかぶった店員のギャルから声がかかる。悲壮感は、まったくない。
 博物館の外で客待ちをしていたバイクタクシーのおじさんも同様だった。
「俺も家族と親戚のうち、5人が死んじまった。農家だったけど畑は塩にやられてもうダメ。だから被害を見に来る外国人相手に英語の勉強はじめて運転手になったら、けっこう儲かってね」
 なんてけらけら笑うのだ。

 

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休日はたくさんの人で賑わう津波博物館。「TSUNAMI」はもう国際語だ

 

 

震災に負けず、利用して生きていく

 おじさんはいくつかの震災ポイントを案内してくれた。流されてきたボートがそのまま乗っかった住宅、いまだに放置されている無数の車、被害当時の写真を展示しているモスク、震災後にできた避難ビル、慰霊碑……そして最大の遺構は、発電船PTLD-Apung号だ。2600トンというこの巨大な船は、津波に押されて内陸に5キロも流され、この場所でようやく止まった。
 14年後のいまは、津波の脅威を示すシンボルであり、観光地となっている。甲板からは、震災後に建設し直されたバンダアチェの街が見晴らせる。自撮り棒を持ってキャッキャする女子たちであふれかえり、みやげもの屋はやっぱり大賑わいだ。僕もついつい、船をあしらったTシャツを買ってしまった。
「ツナミ・ツーリズム」という言葉がバンダアチェにはある。震災の被害を後世に伝え、かつ収入源とするために、遺構を観光名所としているのだ。同時に、津波の起こる仕組みや避難の方法を教え、さらに地元の産品や周辺の観光地をアピールするなど、これは震災を逆手にとった町興しだ。
 実際、インドネシア各地からけっこうな観光客が来ているという。白砂のビーチや回復したサンゴの海域、豊かなシーフードもあるが、加えて震災遺構を人々は見学し、地元にお金を落としていく。
 やるなあ、と思った。
「このあたりの村はぜんぶ壊滅したんだけど、このモスクだけ残ったんだ」
 おじさんが最後に案内してくれたのは、奇跡の一本松ならぬ奇跡のモスク。バンダアチェの西部にあるラーマトゥラー・モスクは、周囲の家並みが流されていく中、泥流に負けずただひとつ屹立し続け、その姿は世界中に報道された。いまでは再建された街の人々の憩いの場だが、やっぱり観光客も多い。
「あらー、あなた日本人? ホラこれ買ってく? このへんの名産」
 頼んでもいないのに民族調のカラフルな布だのバッグだのを持ち出してきたおばちゃんは、モスクの前でみやげもの屋を経営しているが、
「見て。あのドームのあのあたりまで海水が来たの。ホラ写真撮って」
 とか、モスクの内部まであれこれ案内してくれたので、地元では名物ガイドなのかもしれない。
 しかし彼女もまた被災者であり、家族を失って絶望していたところを救ってくれたのが日本だったという。
「被災民の心のケアをする、ってプログラムがあってね。その一環で日本に招待されたのよ。東京や富士山を旅行させてもらった。いっときだけど、いろんなことを忘れることができた。だから前に進めたのかもしれないね」
 そんなことを言うものだから、僕はついつい使いもしないであろうテーブルクロスなんぞを買ってしまうのだった。

 おじさんは僕をホテルに送る道すがら、小さな路地でバイクを停めた。バッソという汁そばの屋台だった。店主と笑いあう様子からすると、常連なのだろう。
 そこでふたりで、黙々とバッソをすすった。魚の出汁がよくきいていた。
 バンダアチェの人々はもちろん、自分たちが被災した7年後に、日本で起きた大震災のことをよく知っている。出会う誰もが、陽気な顔をしながら、そしてなにを語らずとも、どこか僕のことを気遣い労わる気持ちがあるようだった。それは滞在中ずっと感じていた。
 ふたりで汁まできれいに飲み干すと、おじさんはなにも言わず2人ぶんの勘定を払った。


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バンダアチェ最大の震災遺構、PTLD-Apung号。内部は博物館になっている

 

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ラーマトゥラー・モスクにて、バイクタクシーのおじさんと。撮影はみやげもの屋のおばちゃん

 

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なかなかハデなPTLD-Apung号のTシャツ。およそ500円だった

 

 

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*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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