ステファン・ダントンの茶国漫遊記

ステファン・ダントンの茶国漫遊記

#45

日本茶で旅人を迎えて1 吉祥寺時代

ステファン・ダントン

 

 

 
 
「日本茶を世界中のテーブルにのせたい。日本茶にはそのポテンシャルがある!」と確信して2005年に吉祥寺で『おちゃらか』を開いてから14年あまり、日本橋に移転してからもすでに5年がたとうとしている。
 外での仕事がない限り、私はいつでも店に立っている。「日本茶っておもしろいな、楽しいな」と思ってくれる人が一人でも増えてほしいと願いながらお客様に語りかけている。
 ときには1組のお客様に茶葉を見せたり試飲をしてもらったりしているうちに、1時間以上たっていることもある。同業者から「ステファンはずいぶん接客に時間をかけるね」といわれるほどだ。
 お客様と対話することで、日本茶のおもしろさを伝えられるのはもちろん楽しい。もっと楽しいのは、彼らがどんな生活をしていてどんな楽しみを求めているのかがわかってくること。店に立つ楽しさはそこにある。
 これまで外国からのお客様もずいぶんたくさん迎えてきた。彼らと付き合う中で気づいたことは多い。だから、これまでの14年間、私がどのように外国からのお客様と向き合い、何を感じてきたかお話ししていきたい。
 

 

 

お客様の輪を作ってメッセージを伝える

 

 2005年当時の吉祥寺は、中央線独特の個性的な店が集まるまちでありながら住みやすさでも知られていたが、まだ外国人観光客はほとんどいなかった。『おちゃらか』は吉祥寺の商店街と住宅街の境目のような場所に開いた。「近所の人たちが一服しに来てもいい。ちょっと珍しいものを探しに吉祥寺を訪れるような人たちに来てほしい。そして自然に日本茶と出会ってくれればいい」と思ったから。
 私は学校があまり得意ではなかった。知りたいことがあれば自分のペースで本を読み、人に聞き、現場に行くほうが性に合っている。そうして得た知識からさらに興味を広げてきた。だから、自分に「日本茶のすばらしさ」という伝えたいことができたとき、「日本茶に関心のない人を知らず知らずのうちに日本茶の世界に引き込むためにはどうしたらいいだろう?」と考えた。
 まずは「居心地のよい場所と楽しい環境をつくろう」と、日本茶カフェ『おちゃらか』を開いた。私はカフェを文化交流の場だと思っている。黙ってくつろぐ人がいてもいい。井戸端会議をしてもいい。日本茶が目的でなくてもいい。そこに行けば誰かと会える、いろんな話が耳に入る、隣の見知らぬ人とも話がはずむ。『おちゃらか』をそんな場所にしたかった。
 実際、お客様と近所にできた新しいお店の噂や映画の話から、ワインや食文化、地球環境や世界地理までいろんな話をしながら、「そのすべてのことが日本茶につながるんだよ」というメッセージを伝えていった。そのころの様子はこの連載の#02、03に詳しく書いたから、よかったら振り返って読んでみてほしい。  
 

 

 

日本在住外国人向けの日本茶講座の様子

吉祥寺のおちゃらか前で記念撮影する日本在住アメリカ人たち

上/日本在住外国人向けの日本茶講座の様子。下/吉祥寺の『おちゃらか』の前で記念撮影する日本在住のアメリカ人たち。
 

 

 

 

最初の外国人客は口コミで

 

 さて、思惑どおり徐々に「常連さん」が増えてきて、『おちゃらか』が近所の交流の場として機能しはじめたころ、フランス人の若い女性が店を訪れるようになった。『おちゃらか』の目の前の通り沿いにアパートを借りていた彼女は、フランスの大学を卒業して日本で就職したばかり。少し心細さもあったのだろう。年上の同国人の私を頼りにしてくれるようになった。彼女の「仕事の行き帰りに挨拶する人がいるだけでもホッとする」という言葉を聞いてうれしかった。「店ってそういうものだよ。私はいつでもここで待っているよ」と答えながら、地域における店の役割を果たせていると感じていた。彼女はすでにできつつあった『おちゃらか』の輪の中へも入っていった。近所の常連さんたちとも親しく付き合うようになり、都内に住むフランス人の仲間を連れてくるようになった。その仲間がさらにフランス人を中心とした知り合いに「フランス人がやっているおもしろい店が吉祥寺にあるよ」と紹介してくれて…。
 この時期『おちゃらか』に来る外国人客は、口コミで知った「おもしろいまち」にある「おもしろい店」を目指してやってくる人たちで、日本茶に関心がある人たちではなかった。そんな人たちが楽しい体験をするうちに「ステファンのおかげで日本茶がおいしいってことがわかったよ」といってくれるのがうれしかった。
 

 

 

 

ガイドブックにのった『おちゃらか』

 

 友人からの口コミで集まった外国人は、フランス人を中心とした東京在住の欧米人がほとんどだった。日本で暮らし、日本を理解しようと努める、しかもどちらかというとインディーズ志向の人たちが多かったように思う。
 ところが、2009年ごろからだっただろうか。中国語圏を中心にアジアからの観光客が増えてきた。台湾や香港・マカオのお客様が手にしているガイドブックを見せてもらうと、吉祥寺のコーナーに『ジブリの森美術館』やメンチカツで有名な『サトウ』と並んで『おちゃらか』がのっている。取材を受けた覚えはなかったが、「なるほど」と思ったものだ。「古典的な日本茶体験ではなく、新しくてポップな日本茶体験を」というコピーに惹かれてやってきたのだ。民家風のインテリアや茶器を見て「かわいい」「おもしろい」とはしゃぐ彼らが、フレーバー茶を飲んで「香りがいろいろでおもしろい!」「うちの国にもお茶はあるけど、日本茶もおいしい!」とあれこれ選ぶ様子を見て、「やっぱりアジアにもフレーバー茶は受け入れられるな」と思った。
 そうこうするうち、日本に来るたびに来店してくれるリピーターも増え、その中から、今ではビジネスパートナーとして自国で『おちゃらか』のフレーバー茶を扱う店を出している人も出てきた。
 自然な形でメッセージを伝え、そこからビジネスを広げる。私にとって理想的な展開が始まっていた。
 

 

 

アメリカンクラブ2013セミナー

「アメリカンクラブ2013セミナー」の様子。

 

 

 

吉祥寺をあとにして

 

 「お客様の輪も広がった、日本茶のおもしろさも伝えてきた、海外のお客様も増えてきた。さあこれからがビジネスを広げるときだ!」と意気込んでいた矢先、2011年の震災と原発事故が起きた。日本茶業界全体も大ダメージを受けた。このころ廃業した茶農家も多い。『おちゃらか』も大打撃を受けていた。吉祥寺の店を維持することさえ難しいにもかかわらず、あちこちから出店の要請を受けていた。断らざるをえなかった。悔しかった。「まずは吉祥寺の店を復調させないと」と足掻いていた2013年にもらったコレド室町から三度目の出店要請。吉祥寺で8年間築いてきた『おちゃらか』のストーリーが断絶するような寂しさもあったが、日本橋のコレド室町への移転を決断した。2020年の東京オリンピック開催が決まったところだった。観光客はもちろん、ビジネスで訪日する外国人も多い日本橋という場所の可能性にかけた。
 日本橋に店を開いて5年、吉祥寺時代とはお客様の層もお客様との関係もずいぶん変わった。日本橋だからこそ知ることができたこともたくさんある。それは次号でお話ししたい。
 
 

 

 

 

*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。次回公開は2019年3月18日となります。お楽しみに! 

 

 

写真/ステファン・ダントン    編集協力/田村広子、スタジオポルト

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ステファン・ダントン

1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/

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