越えて国境、迷ってアジア

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#45

マレーシア・マラッカ~インドネシア・ドゥマイ〈後編〉

文と写真・室橋裕和

 原油や天然ガスの巨大回廊ともいえるマラッカ海峡。この海を越えて、マレーシアの古都マラッカからインドネシア・スマトラ島へ。しかしフェリーに乗って海峡を越えた先には、石油産業が落とす影もまた色濃く染みついているのだった。

 

 

「タンカー銀座」を横断し、オイルの街に上陸

 出航から2時間ほどが経ったろうか。
 マレーシアのマラッカを発った我がフェリー「インドマル号」は、マラッカ海峡を西へと進んでいた。幅60~70キロという狭い海峡だけに、常に視界のどこかに陸地が見えており、大海原という感じはない。右に左に大型船舶が行き過ぎる。ここはインド洋と太平洋を最短距離でつなぐ海の大動脈のため、交通量は多い。
 その多くは遠目にも威容を感じさせるタンカーだ。人間のあらゆる工業的活動の原材料たる天然資源が、地球の各地に運ばれてゆく。ここはまさに世界経済の要だぜ……シブく船窓に広がるタンカー銀座を見つめていると、彼方に見えていた陸地が次第に近づいてきた。インドネシア・スマトラ島である。
 ジャングルの合間に銀色の構造物が点在する港だった。いくつもの巨大な油槽が並び、火を噴くパイプが天を突く。このスマトラ島でもまた、原油や天然ガスが採掘されているという。
 とくに中部にあるミナス油田はインドネシア最大といわれている。ほかにいくつもの油田があり、その積み出し港として賑わうドゥマイの街に、インドマル号は着岸した。時計の針を1時間戻す。ようし、上陸だ。
 しかし、港はガランとしており活気もない。ほかの埠頭には大型タンカーなどさまざまな船が接岸し、作業員たちが慌しく行き交っているのだが、この埠頭だけは静かなのだ。ドゥマイの港で、客船はオマケにすぎないようだった。主役はあくまで資源なのだ。

 

01

マラッカ海峡を横断し、たどりついたスマトラ島で出迎えてくれたのは石油関連のプラント群だった

 

スマトラ島の旅が始まる

 イミグレーションもカウンター3つばかりの簡素なものだったが、ジャカルタの空港あたりの横柄な係員とは違い、僕のパスポートを見るなり満面の笑顔で「アリガト!」と日本語で出迎えてくれた。入国スタンプを押し戴いた瞬間、マラッカ海峡は僕の制圧下に入った。
 が……イミグレ内の施設はほかになにもないのであった。両替所もない。これは船内で乗務員が両替してくれたからいいとして、腹が減っているのに食堂もない、SIMカードの売店もない。
 船の乗客はみな、エネルギー関連のビジネスマンか、マラッカに買出しに行っていた行商人風で、出迎えに来た家族や知人の車でさっさと方々に散ってしまい、スマトラの強い日差しの下に残されたのは僕ただひとり。
 だが、そんな場所でもたいてい営業しているのは、僻地のなんでも屋・バイクタクシーなのであった。浅黒い顔の運転手が、ニヤリと手招きをした。彼に頼るほかなさそうだ。

 

02

ドゥマイのイミグレーションの個性的な造形は、スマトラ島に住むバタック族の伝統的な建築様式がモチーフ

 

 

国境越えのミッション

「どこ行きたいんだ? バスターミナルか?」
 ドゥマイの街を疾走しながら、運転手が叫ぶ。英語がわかるおじさんだったのは幸いだった。国を越えた際、まず行わなくてはならない儀式はSIM交換であろう。スマホを打ち振って示すと、おじさんは力強く頷いた。
 走るバイクから見るドゥマイは、すいぶんと屋台が多く、埃が舞い、道路はガタガタで路肩にはゴミが積もり、マレーシアから来るとなんというか荒っぽさを感じた。信号待ちで鳴り響くクラクションや、ノーヘルでカッ飛ばすバイクの群れ。ガサツだが、キライではない。清潔できっちりしたマレーシアよりも、僕にとってはいくらか心ゆるむ感じだ。
「ここだぜ」
 停まったのは、おんぼろで埃まみれの文房具屋だった。駄菓子屋でもあるようで、鼻をたらした近所の小僧どもがアイスをなめている。が、こんな店構えでも世界のネットワーク網の一端であるのが現代社会なのである。店番のヒジャブをかぶったJKくらいの女子は、タイで5000円ほどで買った僕のandroidをパカッと開けてインドネシアのSIMを差し込むと、手馴れた様子ですいすいと操作し、アクティベートしてくれるのであった。
「1週間のツーリストSIM入れといたよ」
 とたんにバイブして仕事メールの通知が浮かび上がるが、それは忘れよう。いまやドマイナー国境であろうと、こうして必ずネットワークが確保できる。スマホに疎いおじさんでも、現地のヤングが助けてくれる。すごい時代だと改めて思う。
 その後はスマトラ島内陸部に向かうバスのチケットを確保し、おじさんの案内でスマトラ名物パダン料理の店で腹を満たすと、ドゥマイでのミッションは終了だ。

 

03

パダン料理はテーブルいっぱいに並べられた惣菜から好きなものをいただくシステム。食べた分だけ支払えばいい。奥はバイタクのおじさん

 

 

黒い川の流れる村

「ちょっと俺の家に来ないか」
 食後、おじさんは神妙な顔をして言った。バスの時間まではまだまだ時間がある。断る理由はなかった。
 街を南に走っていくと、いつの間にか道路はピカピカになり、オイル関連施設のトラックが行き来するようになる。車線の間には直径1、2メートルほどのパイプラインが3本束ねられて走っている。こうしたパイプラインがスマトラ各地を結んでいるのだろう。
 炎を上げる巨大プラントを見上げ、インドネシア最大手のエネルギー企業プルタミナの広大な敷地に沿って走り、小さな道へと折れ曲がる。
「精製工場の裏手なんだ」
 とたんに道は荒れたオフロードになった。手の入っていない林や、ゴミ捨て場。木造とトタンのバラックが並ぶ、スラム然とした集落。粗末な身なりの子供たち。そして、異様な悪臭が立ち込めていた。村の真ん中を流れる川が臭いの発生源のようだった。水面はてらてらと黒光りしていた。油の川だった。
「昔はここ、漁村だったのさ」
 おじさんはバイクを停めて、川にかかる橋を渡った。その中ほどに差しかかると、目を開けていられないほどの刺激臭が立ち上ってくる。朽ちた船が、いくつか浮かんでいた。
 橋を渡った先の小屋がおじさんの家だった。奥さんの出してくれたコーラを飲みながら、愚痴を聞く。
「その川は昔、生活用水でもあったんだ。そのまま飲むことができるくらいきれいだった。沖に出れば魚もよく取れた」
 しかし10年ほど前、すぐそばに工場ができてから、村は一変する。まず近海の漁場が死んだ。漁に出られなくなったが、工場からも政府からも補償はなかったという。男たちは仕事を変えざるをえなくなり、おじさんはバイクタクシーになった。
「工場をつくった原油の会社は俺たちを雇ってくれないんだ。港湾での積み下ろしの仕事はあるが、1日働いても7ドルにしかならない」
 それまでは必要なかったミネラルウォーターを大量に買わなくてはならなくなった。揮発した油が漂う空気の中で暮らしていることで、気管支や眼、皮膚に異常を訴える人もいるが、誰も対処してくれないという。
「こんな場所があるってことも、外国人に知ってほしくてね」
 おじさんはさみしく笑った。
「エネルギーの大動脈」の、これもひとつの姿だった。

 

04

スマトラ島を旅しているとこんなパイプラインをあちこちで見かける

 

05

真っ黒い死んだ川が流れる。揮発したオイルに包まれて人々は暮らしている


 

 

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*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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