ブーツの国の街角で

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#44

コスタ・デル・ピーノ:100年前のコーニュ鉱山内部に潜入

文と写真・田島麻美

 

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  夏山トレッキングにハマって数年が経つ。イタリアのアルプスの雄大な景色にすっかり心を奪われている私だが、今年の夏はこれまで知らなかったもう一つの山の顔を見る機会に恵まれた。
コーニュの街を歩いていた時、通りの掲示板に『コーニュ鉱山見学ガイドツアー』の張り紙を見つけて興味をそそられた。グラン・パラディーゾ周辺のパノラマはかなり見て来たが、そういえば「山の内側」についてはほとんど知らないな、と思い至った私は早速ツアーに参加することにした。1824年に完成した全長100km以上にも及ぶ巨大な鉱山の採掘場内潜入記をご紹介しよう。

 

 

 

 

 

今年から本格始動した鉱山見学ツアー

 

 

 

   コーニュのインフォメーション・オフィスで鉱山見学ツアーの予約をしようとしたところ、「この同意書にサインして下さい」と言って承諾書のような書類を渡された。読んでみると、「採掘場内部での危険に関する注意事項」が長々と書かれている。なんでも採掘場内部は一年中3〜7℃で湿度は95%。足元は泥で滑りやすい上、非常に暗い。約2時間のコースはアップダウンがあるので、心臓や足に不安がある人は熟考すること。閉所恐怖症の人も然り。装備として、ヘルメットとヘッドライトは用意されているが、それ以外のトレッキングシューズ、厚手の上着とウィンドブレーカー、手袋、帽子は各自で用意すること。入場前にガイドがチェックし、装備が不適切だと判断された人は参加できない…etc, etc. 簡単に観光気分で参加しようとしていた私だが、この書類を読んでいるうちどんどん不安になって来た。大丈夫かな…。手袋なんて持って来たっけ? 
  不安に追い打ちをかけるように、「スタート地点は標高2030m地点にあるコスタ・デル・ピーノの鉱山施設入口よ。コーニュから歩いて1時間ぐらいで着けるから。開始の10分前には着いているようにしてね!」とお姉さんは明るく言った。ちょっと不安ではあったが、「長い準備期間を経て去年やっとプレ・オープンしたツアーなの。本格的に一般見学者を受け入れるのは今年が初めてだし、知られていない山の歴史が体験できるわよ!」とお勧めされて心は決まった。諸々、『何があっても私の責任です』という承諾書にサインをし、手袋を探しに街の衣料品店へ走った。
 

 

 

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コスタ・デル・ピーノの鉱山入口からは、モンブランとグラン・パラディーゾの大パノラマも楽しめる(上)。コーニュから1時間強のハイキングで入り口まで。登りが辛い人のために、別料金で車の送迎も手配してくれる(中)。鉱夫たちは下の街と採掘場の間をこのケーブルカーで移動していた(下)。
 

 

 

 

 

 100年前の鉱夫たちの作業場がそっくり残る鉱山内

 

 

  ツアー開始の20分前に到着し、鉱山の入り口前の広場からモンブランとグラン・パラディーゾ、麓に広がる村々のパノラマを見渡す。よく晴れた朝の空気が清々しい。深呼吸をしている間に、真夏にもかかわらず冬装備で登って来た参加者たちが集まって来た。ツアーは1日3回、1グループ最大17名までで、登山と洞窟のプロでもあるガイドとアシスタントの2名がグループを誘導する。我々のグループは朝一番の10時スタート。定刻きっかりにジープで颯爽と現れたガイドはまず参加者の装備をチェックし、その後それぞれにヘルメットとヘッドライトが手渡された。私もいそいそとヘルメットを被る。なんだかすごくワクワクしてきた。
  鉱山内に入る前に、このコーニュ鉱山とツアーのコースについてのレクチャーがあり、鉱山の歴史と当時の鉱夫たちの仕事について知ることができた。ここで採掘されていた磁鉄鉱(マグネタイト)は鉄の原料となるもので、すでに16世紀には発見されていたそうだ。当時はそれほど重要性が認められていなかったが、19世紀に入って当時のコーニュ市長グラッペイン博士が磁鉄鉱の価値に目を付け、この鉱石の採掘場を建設し、鉱石で得た富をコーニュの全ての住民で均等に分配する、という理想を掲げて一大計画に着手する。こうして1824年に完成した採掘場は、その後何度か閉鎖の危機を乗り越え、20世紀の2つの世界大戦時に最盛期を迎えた。以後、1979年まで採掘活動は続いていたという。鉱山を閉鎖すると決まった時、「またいつ採掘が始まっても困らないように」という理由から、当時使用していた機械や道具、鉱夫たちの装備品など、鉱山内には作業に必要なあらゆる道具が残されたまま扉が閉められた。私たちがこれから入る扉の向こうには、20世紀半ばで時が止まった世界が待っている、ということだった。
 

 

 

 

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準備が整ったところで、鉱山の歴史や作業についてのレクチャーがスタート(上)。重さ20kg以上ある採掘用ドリル。これを肩の高さまで持ち上げ、1日8時間掘り続けたそうだ(中)。タイムスリップを実感する機械室。全てが時を止めたまま(下)。
 

 

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洞窟への入り口には当時の鉱夫たちが身につけていた携帯用ライト、ヘルメット、ジャッケットなどが最後に置かれたままの場所に残っている(上)。1日3交代、24時間フル稼働だった採掘場。タイムカードの機械や作業などに関する通知を貼る掲示板が、リアルな鉱夫たちの生活を彷彿とさせる(下)。

 

 

標高2500mに作られた鉱夫村

 

 

 

  洞窟内に足を踏み入れるや否や、冷たく湿った空気に包まれた。採掘場内は一年を通じて温度3〜7℃、湿度95%なので、夏は涼しく冬も氷点下になることはないという。今朝の温度は4℃、外の気温が30℃以上だったのでまるで冷蔵庫に入ったような気分だ。コーニュ鉱山はこのコスタ・デル・ピーノ以外にも2つの巨大な採掘場があるが、いずれの施設でも良質な磁鉄鉱が産出されたため、大戦中は特に貴重な資源として政府の監督下に置かれることとなった。鉱山の作業は平時でも過酷な重労働であったが、戦時下はそれを上回る不眠不休の労働を強いられたそうだ。「鉱山で働くか、最前線で戦うか」という選択を迫られた鉱夫たちのほとんどは採掘場での重労働を選んだが、それは体力と気力の限界を試されるような毎日だったらしい。
  真っ暗な洞窟の中、鉱夫たちが毎日乗っていた鉄製のトロッコ列車に揺られ、採掘現場まで約15分。ここから暗く冷たい洞窟内の泥を踏みしめながら、注意深く鉱山の心臓部まで歩いて行く。採掘現場は高低差が35mもあり、作業場は縦に数段階分かれている。掘り出した鉱石はエレベーターで運び下ろしたそうだが、暗闇の中で何百トンもある鉱石をほぼ垂直に運ぶ作業は危険極まりない。加えてドリルやダイナマイトの爆音が24時間響き渡っているのだから、作業の過酷さは推して知るべし、である。鉱夫たちの勤務は3交代制で、1日8時間労働。一度山へ登るとこのルーティーンが三週間続き、その間は街へは降りずに鉱山の施設内で暮らしたそうだ。広大な施設には宿泊所や食堂はもちろん、床屋、バール、娯楽施設など必要なものは全て揃っていた。しかし、下界で暮らす家族と過ごせる休日はたったの1日しかなかったという。

 


 

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トロッコを降り、未だ生々しい作業の跡が残る現場を散策する(上)。掘り出した鉱石を砕く機械(中上)。ほぼ垂直に35mの高低差がある作業場内は、数段階に分かれている。ツアーコースでは200段の階段を上り下り(中下)。爆音が響く作業現場で各階の連絡手段だったベルと電話(下)。
 

 

 

 

鉱山によって豊かになったコーニュの街

 

 

   見学ツアーの最後に、最盛期の鉱山の様子を写したスライド写真の上映会があった。たった今、肌で感じてきた採掘現場の空気や匂い、実際に使われていた道具の重さを思い出しながら見る写真はとてもリアルで、笑顔で写っている鉱夫たちの暮らしや人生が実はどれほど大変であったかを思い知らされる。一日中、あの暗く冷たい洞窟の中で爆音に耳を痛めながら、ずっしりと重い機械を担いでひたすら山を掘り続けたのだ。想像するだけで気が遠くなる。
  外へ出て帰路の山道を歩きながら、雪を頂いたモンブランの眩しさに思わず目を瞑った。家族に会えない三週間の勤務の間は、この雄大な山の景色がきっと鉱夫たちの心の慰めになったのではないだろうか。そんなことを思いながらコーニュの街まで歩いた。
  下山して街のショップに立ち寄った時、おしゃべりな店主が「今日はどこを歩いたんだい?」と話しかけてきた。「鉱山見学に行ってきた」と言うと、店主の目の色が変わった。
「それはいい体験をしてきたね。実は俺のお祖父さんも親父も鉱夫だったんだよ。コーニュは今でこそ高級避暑地として知られるようになったけれど、もともとは何もない貧しい山の村だったんだ。グラッペイン博士が鉱山に施設を作ってくれたお陰で仕事ができて、男たちはみんな鉱山に働きに行った。俺の親父は1979年に閉山するまで鉱夫をしてたんだよ」。
  そう語る店主の表情は、多くの犠牲を払って家族に富をもたらしてくれたお祖父さん、お父さんへの尊敬に満ちていた。
「鉱山の仕事は想像を絶する過酷さだったということを目の当たりにしてきました」と私が言うと、店主は神妙に頷いて、当時の鉱夫たちの暮らしぶりや地元民と地方からの出稼ぎ者との間で常に派閥争いがあったことなどを話してくれた。
「労働は過酷だったし、家族からも隔離された施設での暮らしでみんなどんどん荒んでいったんだよ。それでもここで働きたい、という希望者が後を絶たなかったのは、当時としては破格の賃金が約束されていたからさ。コーニュの街は、過酷な労働を黙々と続けてきた鉱夫たちによって経済的に豊かになり、そのお陰で今の基盤を築くことができたんだよ」。
  コーニュの中心にある広場には、鉱山で採れた石から作られた大きな鉄製の水桶が置かれている。昨日までは気にもとめずにそこで水を汲んでいた私だが、鉱夫たちの存在を知った今では、それを単なる水桶として見ることはできなかった。大きな鉄の塊は、毎日の過酷な労働によってその原料を掘り出し、現在のコーニュ住民たちの人生を築いた礎なのだ。
 

 

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洞窟内にある鉱夫たちの休憩所。ダイナマイトを仕掛ける間、ここで待機した(上)。休憩所のテーブルには鉱夫たちが刻んだ名前やメッセージが(中上)。コーニュの中心に置かれた鉄製の水桶(中下)。「1809」はこの鉄の水桶の製造が始まった年。その後6年の歳月をかけて完成した(下)。
 

 

 

 

 

 

★ MAP ★

 

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<アクセス>

コーニュから鉱山の入り口までは徒歩で約1時間〜1時間半。鉱山見学ツアーは6月〜10月の期間、毎日3回実施。イタリア語、英語。詳しくは以下のサイトで。
 

 

<参考サイト>

・コーニュ鉱山(英語)

http://www.lovevda.it/en/database/7/geosites-and-mines/cogne/the-mines-of-cogne/2547

 

・コーニュ観光局・予約(英語)

http://www.cogneturismo.it/homepage.asp?l=3

 

 

 

 

 

*この連載は毎月第2・第4木曜日(月2回)の連載となります。次回9月27日(木)掲載予定です。お楽しみに! 

 

 

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田島麻美 (たじま・あさみ)

千葉県生まれ。大学卒業後、出版社、広告代理店勤務を経て旅をメインとするフリーランスのライター&編集者として独立。2000年9月、単身渡伊。言葉もわからず知り合いもいないローマでのサバイバル生活が始まる。半年だけのつもりで暮らし始めたローマにそのまま居座ること17年、イタリアの生活・食文化、歴史と人に魅せられ今日に至る。国立ローマ・トレ大学マスターコース宗教社会学のディプロマ取得。旅、暮らし、料理をメインテーマに執筆活動を続ける一方、撮影コーディネイター、通訳・翻訳者としても活躍中。著書に『南イタリアに行こう』『ミラノから行く北イタリアの街』『ローマから行くトスカーナと周辺の街』『イタリア中毒』『イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる』他。

 

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