ブーツの国の街角で

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#43

モン・アヴィック自然公園: 辿り着いた人だけがその恩恵を享受できる秘境のアグリツーリズモ

文と写真・田島麻美

 

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  ここ数年、夏の長期バカンスはスイス・フランスとの国境にあるヴァッレ・ダオスタ州の山奥で過ごすのが習慣になった。モンブランの麓クールマイヨールやグラン・パラディーゾの中心コーニュといった街では日本人の登山愛好者グループの姿を見かけることも多くなり、イタリアの山の魅力が徐々に知られるようになったことをとても嬉しく感じている。山のバカンスの魅力は一言ではとても言い尽くせないが、WiFiも携帯電波もない場所に身を置くことは、それだけでも日常から完全に切り離された時間を満喫できるという効果がある。回を重ねるごとにどんどん深みにはまり込んでいるヴァッレ・ダオスタ訪問。今回はその中でもとっておきの秘境のアグリツーリズモをご紹介しよう。
 

 

 

 

 

グライエ・アルプス山脈にある自然保護区

 

 

 

   州内にモンブラン、グラン・パラディーゾ、モンテ・ローザ、マッターホルンという4千メートル超の山々を要するヴァッレ・ダオスタは、そのエリアのほとんどが雄大な自然の保護区となっている。州の東南に位置するモン・アヴィック自然公園も、5.747ヘクタールに及ぶ広大な面積の自然環境を大切に保護しているエリアで、1989年にグラン・パラディーゾ国立公園に次いで自然公園となった。モンブランやグラン・パラディーゾに比べると知名度は低いが、モン・アヴィック(=アヴィック山)も標高は3003m、その周囲に連なる山脈もことごとく3000mを超え、イタリア国内でも人気の高山トレッキング・コースが多数あることで知られている。国境が近いこともあり、トレッキング・ルートではイタリア人よりもフランス人やスイス人のハイカーとよくすれ違う。言語もイタリア語、フランス語、英語の3カ国語が日常的に使われているのだが、イタリア語とフランス語を独自にミックスしたこの地方の方言だけは何度聞いても理解できないほど難解である。アルプス山脈の合間にできた深い緑の渓谷と清涼感溢れる川や滝といった風景の中に、グレーの石造りの家々が集まった小さな村が点在している。高い山の上から渓谷を見下ろすと、村も家も人々の暮らしも、全てが雄大な自然の一部として溶け込んでいるのを感じることができる。
 

 

 

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マッターホルンとモンテ・ローザの雪山を背景に、7つの湖を渡り歩くトレッキングコースNo.5はモン・アヴィック自然公園の人気ルート(上)。深い緑の渓谷の間に小さな村々が点在している(中)。透明な雪解け水が滝や川となって縦横無尽に流れる公園内(下)。
 

 

 

 

 

 トレッキングルートを彩るユニークな動植物

 

 

  渓谷を流れ落ちる豪快な滝と透明な水を湛えた川、山間に輝く天然の湖、シャモアやノロジカ、アルプス・アイベックスなどの野生動物の姿も見られるモン・アヴィック自然公園の美しさと目移りしそうな景観のバリエーションは、イタリアの著名なコースに勝るとも劣らない。その公園内をさらに彩り豊かにしているのが、ユニークな鉱物や植物、昆虫たちだ。高い山脈が連なるトレッキング・コースは、1000m以下の低地から3000m超の高地へと、標高が上がるごとに周囲の風景もガラッと様変わりする。2000mを超えたあたりから緑の植物は消え始め、変わって巨大な岩がゴロゴロとルートに立ちはだかってくる。この岩の上に育つのが、「ピーニ・ウンチナーティ(学名:Pinus mugo/日本名:モンタナマツ)」と呼ばれる松の木だ。アルプス山脈、ピレネー山脈などの高地に生息する松は、「どうやったら岩の上でこんなに大きく育つのか?」と驚くほど不思議な植物である。公園には980ヘクタール以上のこのモンタナマツの松林があり、その規模はヴァッレ・ダオスタ最大と言われている。その他、十数種に及ぶ色とりどりの蝶や緑色をした独特な鉱物、キノコやベリー類など、自然の恵のサンプルのような動植物が山々を彩っている。
 

 

 

 

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2000mを超えたあたりから道というより岩山を歩くようなルートが現れる。と同時に、厳しい自然環境の中でたくましく育つモンタナマツの林が見えてくる(上)。モン・アヴィックは蝶の宝庫。色も形も大きさも様々な蝶たちが、トレッキング・ルートを彩ってくれる(中)。珍しい苔や高山植物、キノコ類もそこかしこで見られる(下)。
 

 

 

 

 

ほぼ100%〝自給自足〟を実践しているアグリツーリズモ

 

 

  モン・アヴィック自然公園の入り口であるシャンプデプラツに宿を取った初日、地図を広げてルートや美味しい食事どころなどのチェックに勤しんでいた時、親切なB&Bのマダムが「とっておきの場所があるわよ」と言って、とあるアグリツーリズモを紹介してくれた。
「うちに滞在したお客さん全員にオススメしているのだけれど、今まで行った人は全員〝素晴らしかった!〟と大満足だったわ。穀物類を除いた食材を全部自分達で作っているのよ。野菜も肉もサラミやチーズも全部手作り。正真正銘、本物のアグリツーリズモよ」。マダムも大のご贔屓だというこの〝正真正銘のアグリツーリズモ〟に興味を惹かれ、翌日のランチに行ってみることにした。モン・アヴィックのビジターセンターがあるコヴァレイ村からアグリツーリズモまでは簡単なルートを1時間半歩けば着く、とのことだった。特に地図を見なくても、ルート上の分岐点に出ている看板に従って行けばたどり着けるから大丈夫、とマダムは太鼓判を押してくれた。
 

 


 

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モン・アヴィック自然公園のビジターセンターがあるコヴァレイ村。ここがトレッキング・ルートのスタート地点となる。アスファルトの道が終わると、長短さまざまなルートに通じる分岐点が出てくる。行き先が書かれたルート番号と矢印を頼りに歩き始める。
 

 

 

   翌日は朝から、「森のハイキングを楽しんでお腹を空かせて、100%手作りの絶品ランチを楽しむぞ!」と気合いを入れて歩き始めた。白い小さなチャペルを横目に、アヴィック山の尖った山頂を目の前に仰ぎ見つつ、黄色い矢印に従って進む。黒白黄色の蝶の群れがまるで歓迎してくれているように、行く先々でひらひらと舞っている。滝や川、道中見つけた野いちごに歓声をあげながら、1時間も歩いたところで分岐点に着いた。右には見るからに険しそうな岩だらけの急な登り、左には蝶々が舞う川沿いの森の道が見える。「もしや…」という嫌な予感は的中し、『Agriturismo』と書かれた看板は険しい登りの方角を指していた。1時間半と聞いていたから、登るとしても30分。ここまで来たからには「幻のランチ」を食べずに帰るわけにはいかないだろう。そう決心して一歩を踏み出す。20歩ほど登ったところで、早くも後悔し始めた。なんか、見た目よりかなりキツい。この急な心臓破りの登りは、30分どころかその後1時間以上延々と続いた。登山のエキスパートならいざ知らず、年一ハイカーの私の足では1時間半で着けるようなルートではなかったのだ。道なき岩山を這うようにして進み、ようやくアグリツーリズモに着いた時は青息吐息の状態だった。後から同じようにランチを目指して登って来た中年のイタリア人カップルも、アグリツーリズモに着くなりこう叫んだ。「途中で何度引き返そうと思ったことか!」。そう、それでも私たちはここまで登って来た。幻の絶品ランチを食べたい一心で。
 

 

 

バージョン 2

 

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岩の間にかすかに見える土を踏みしめつつ進む(上)。人1人通るのが精一杯の道は、山の斜面に沿って螺旋状に急な登りが続いている(中)。アヴィック山頂の真下に、ようやくアグリツーリズモの屋根が見えた!(下)
 

 

 

 

 

噂以上の絶品ランチと食後の昼寝でパラダイス気分

 

 

 

   ランチが始まるまでの間、店主の親父を囲んで居合わせたハイカーの男女4名とひとしきりおしゃべりを楽しんだ。誰も彼も、「いやぁ、最後の登りがしんどかった!」と嘆きつつ、それでも「これで噂の絶品料理にありつける」と喜びを隠せない様子。ソーラーパネルの屋根と家畜小屋、かすかに漂う〝天然の〟肥料の臭いを確認しつつ、「B&Bのマダムが、食材は全てご家族の手作りで、ほぼ100%自給自足だと言っていましたが本当ですか?」と親父に尋ねてみた。への字眉がチャーミングな赤ら顔の親父は、「ほんとだよ。鶏も牛も豚もいるからね。卵でもチーズでもサラミでも、なんでも作れる」と微笑んだ。自給自足というだけあり、食材のみならず電力も建物の屋根にびっしり並んだソーラーパネルで賄っているらしい。「ここに来るまでの道がものすごく狭くて急で大変だったんだけど、あのソーラーパネル、一体どうやって運んだんですか?」と私が疑問を口にすると、赤ら顔の親父は「わっはっは!」と大笑いしながら言った。「まさか!建材を担いであの山道を登れるわけがないだろう! ヘリコプターで運んだんだよ。鶏達だってヘリに乗ってここまで運ばれて来たんだ。贅沢だろう? 苦労して山を歩いて登るのは人間だけ、てことさ」。
 

 

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1789mの山の上にポツンと立つ孤高のアグリツーリズモ。宿泊施設もある。軽くランチに来たつもりが予想以上の苦行になってしまったが、それでもここまで登って来る価値はある(上)。磨き抜かれた木材が美しい食堂。メニューは日替わりで量が限られるので、ランチの予約は必須(下)。
 

 

 

 

 

  雑談が盛り上がって来たところで時刻は12時半になり、食堂の扉が開いた。親父さんと奥さん、息子と娘の家族4人がそれぞれキッチンとホールに別れて忙しなく動き始める。メニューは日替わりで、ウエイトレスの娘さんが元気よく読み上げてくれる。「アンティパスト・ミストはうちの特製サラミとプロシュット、ラルドと焼きたてのパンにリコッタチーズとタマネギのジャムをのせたフォンティーナチーズの盛り合わせ。プリモはビートとネギのリゾット。セコンドはポレンタと牛肉の煮込みよ」。お腹はしっかり空いていたので、フルコースでいただくことにした。ついでに赤ワインも注文。さっきの雑談中に焼きあがったパンをホクホクとかじりつつ、料理の登場を待つ。アンティパストはサラミもプロシュットもチーズも、目の覚めるような美味しさ。どれもこれも日常的に馴染んだ食材だけに、味の違いがはっきりわかる。リゾットは、正直言って「ビートとネギかぁ」と思っていたのだが、この味は想像できなかった。ほんのり甘いビートにほろっと苦味を加えるネギのバランスが絶妙で、忘れられない味になった。郷土料理のポレンタも、これまで食べた中でダントツ一位の美味しさだった。
   一筋のソースも残すまい、と食べ尽くしたため、食後は満腹すぎてテーブルを立つのに一苦労。自家製赤ワインが効いてきたせいか、睡魔も襲って来た。食堂の外には寝心地の良さそうなデッキチェアが並んでいる。よろよろと外へ出てデッキチェアに倒れ込み、雄大な山々と青空を見上げるうち、瞼がゆっくりと閉じ始めた。帰路の下りのことなど、もうどうでもいい。この至福のひと時を、今はたっぷり楽しもう。
 

 

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上から、アンティパスト・ミスト、ビートのリゾット、ポレンタと牛肉の煮込み、デザートのパンナコッタと野イチゴのジャム。フルコースで25ユーロ。牛乳も肉も野菜もジャムも、全てここで収穫され、家族の手によって作れられている。新鮮さはもちろんのこと、その洗練された味に驚かされた。
 

 

 

 

 

 

 

★ MAP ★

 

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<アクセス>

モン・アヴィック自然公園は広く、移動にはレンタカーが必須。トリノかアオスタまで鉄道で行き、そこからレンタカーで動くのがベスト。高速A5(トリノ=アオスタ)を経由しVerrès(ヴェレス)で降り、州道26号をアオスタ方面へ。途中、Champdepraz(シャンプデプラツ)へ向かう橋を渡るとParco Naturale del Mont Avicの看板が見える。ヴァッレ・ダオスタには狭くて視界が悪い急なカーヴが延々と続く道路が多いので運転にはかなりの注意と集中力が必要。
バスを利用する場合は、Verrès(ヴェレス)と Pont-St-Martin(ポンテ・サン・マーティン)間を結ぶChivasso-Aostaの二つのラインがChampdepraz と Champorcher(シャンポルシェ)まで通っている。但し、バスは繁忙期の夏でも時間があてにならないので要注意。
コーニュ側から徒歩でもアクセスできる。トレッキング愛好家なら、山小屋で1泊してアルプスの自然をゆっくり満喫しながらモン・アヴィックまで歩くコースも捨てがたい。
 

 

 

<参考サイト>

・モン・アヴィック自然公園(英語)

http://www.montavic.it/index.php/eng

 

・公園内・トレッキングルート地図(ダウンロード可)

http://www.montavic.it/index.php/eng/Visita-il-Parco/Carte-e-ausili-per-la-visita/Carte-dei-sentieri

 

・アグリツーリズモLa Maison du Lord(伊語)

http://www.mont-avic.it/

 

 

 

*この連載は毎月第2・第4木曜日(月2回)の連載となります。次回9月13日(木)掲載予定です。お楽しみに! 

 

 

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田島麻美 (たじま・あさみ)

千葉県生まれ。大学卒業後、出版社、広告代理店勤務を経て旅をメインとするフリーランスのライター&編集者として独立。2000年9月、単身渡伊。言葉もわからず知り合いもいないローマでのサバイバル生活が始まる。半年だけのつもりで暮らし始めたローマにそのまま居座ること17年、イタリアの生活・食文化、歴史と人に魅せられ今日に至る。国立ローマ・トレ大学マスターコース宗教社会学のディプロマ取得。旅、暮らし、料理をメインテーマに執筆活動を続ける一方、撮影コーディネイター、通訳・翻訳者としても活躍中。著書に『南イタリアに行こう』『ミラノから行く北イタリアの街』『ローマから行くトスカーナと周辺の街』『イタリア中毒』『イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる』他。

 

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