風まかせのカヌー旅

風まかせのカヌー旅

#43

「サタワルカヌーもやって来て……」

パラオ→ングルー→ウォレアイイフルックエラトー→ラモトレック→サタワルサイパン→グアム
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文と写真・林和代 

 

 

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ガラパンビーチに仲良く並ぶ、サタワルカヌーとマイス【PHOTO by Osamu Kousuge】

 

 

 私とエリーは、ハードなスケジュールの隙間を縫って、貪欲ににわかリゾートライフを満喫した。

 まずは現地女性の口コミで知った、お手頃価格のスパ「ヒーリングストーン」でマッサージ三昧。

 そして現地で大人気の日本ショップ「ひまわり」で、「チーズおかき」やら「午後の紅茶ミルクティ」、そしてばかウマなブルーベリーパンなど極上おやつもゲットした。

 中でもきわめつけは、ホテル!

 議員さんがマイスのクルーのために一週間だけ、我らの滞在場所の正面にあるホテルの一室を借りてくれたのだ。しかも、女子二人で使って良いとおっしゃる! 老いてもなお女子扱いとはありがたし。

 ふかふかのベッドでゴロゴロし、あ゛〜とかう゛〜とか唸りながら温かいシャワーを頭から浴びる。

 パラオ以来、2ヶ月ぶりのたまらん幸福である。

 

 しかし、みんなのところへ顔を出すと、泥酔したムライスが千鳥足で寄ってきてこう言った。

「お前たちは快適に寝てるんだよな〜? すんご〜く涼しいエア〜コンディショ〜ンの中で。な〜?」

 ひがんでいる。

 仕方がないので彼をホテルの部屋に連れて行くと、どっちが誰のベッドだと尋ねてきた。

 右がエリーだよと答えると、彼はしばらく熟考し、不意にあい らぶ えり〜と歌うように叫んで彼女のベッドに倒れ込み、そのまま寝落ちした。

 私とエリーがベランダに出て喫煙していると、不意にムライスがガバッと起き上がった。そして立ち上がると、今度はカッツ〜と言いながら私のベッドにどかっと倒れこみ、再び爆睡。

 キュートなおっさんである。  

 

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サイパンを代表する観光地、バンザイクリフ。戦争末期、多くの日本人がここからバンザイと叫んで身を投げたと言う、日本人にとっては心痛む場所でもある。
多くの方から島内観光ツアーのお誘いを受けたため、なぜかここに2度も行ってしまった。
【PHOTO by Osamu Kousuge】

 

 さて、今回、多くのサイパンの方々が我々を歓迎し、ご馳走を用意してくれたり、観光に連れ出したりして下さったりしたが、中でも私とエリーにすこぶるご親切だったのは、とあるマダムである。

 彼女はカロリニアンではなくチャモロ。しかもアメリカ育ちのせいか色白美人で、お金持ち。

 彼女の家はキャピタルヒルという丘の中腹に建つ豪邸で、調度品も、ホテルのスイートかと思うほどの豪華っぷり。

 いくつもベッドルームがあり、いくらでも泊まっていけと言って下さった。

 街中においても彼女は、孫を甘やかすおばあちゃまのごとく、あれこれご馳走し買い与えてくれた。

 なぜ、カロリニアンでもない彼女が私たちに親切なのか。その答えはマウだった。

 マウはサイパンでは英雄である。そんなマウが存命中、サイパンに滞在する時は必ず彼女の家で寝泊まりしていたらしい。

 サイパンの海が見渡せる広大なテラスで、マウはいつも、何時間も海を眺めていたという。

 彼女は、マウの思い出を語りながら、こう言った。

「マウはグレートな人だったけど、誰かに頼まれるとNOと言えなかった。セサリオも全く同じ。だから私は何としてもセサリオを守りたいの」

 

 マダムによると、今、サイパンでもセサリオから航海術を学ぼうという動きがあるというのだ。

 パラオのPCCとサイパンのカレッジでセサリオを半分こして、という話が出ているらしい。

 もし実現すれば、その予算はサイパンの税金から出る。で、一部の「悪い人たち」が、その予算を掠め取るべくセサリオを利用する。その魔の手からセサリオを守りたいのだそうだ。

 

 サイパンのように文明化した場所で航海術を学び続けるのは、実はなかなか難しい。

 まずはお金。セサリオやそのクルーの人件費、カヌーのメンテナンスなどやたらとかかる。

 マダムの言う通り、その予算に群がる人もいる。太平洋各地でカヌーの復興が始まっているが、一部では金銭がらみの訴訟も起きていたりする。

 さらに問題なのは、みな生活のために「仕事」をしていること。最初のうちは盛り上がっても、仕事をしながら継続して航海術を学び続けるのは相当な根性が必要で、長距離航海ともなれば、会社が休めないから参加できないのが普通である。

 パラオでも、最初は大勢集まったが今も学ぶ生徒は6〜7人。多くは「仕事」を理由に離脱した。

 

 離島では今でも、食料調達や近隣を訪ねる「日常の足」としてカヌーは必要であり、作る材料も島で調達できる。そして何より、自給自足なので金を稼ぐ必要はなく、航海自体が生活のための仕事なので「会社」を休む必要もない。だからこそ無理なく成立しているのだ。

 もちろん、サイパンでもいい形で成立すれば言うことないのだが。

 私とエリーは、過去に見てきたいくつかの問題点をマダムに伝え、どうかうちのキャプテンを守ってやってくださいとひらにお願いをしたのであった。 

 

 そうこうするうち、ようやく奴らがやって来た。

 我らとともにフェストパックに参加する2隻のサタワルカヌー、「MAKALII」と「E-MAU」だ。

  

 「MAKALII」のクルーは総勢8名。

 ナビゲーターのナンノゴーは63歳。

 1989年に福岡で開催されたアジア太平洋博覧会のため、サタワルから航海したカヌー「ALOHA」のクルーでもあったという大ベテラン。2007年、マウが50年ぶりに行ったポーセレモニーでポーになった。

 ちょっとダンディな気配のステキなおじさまである。

 

 一方、第32話で紹介した30代の次世代ナビゲーター、アタリーノとウェインが共同で率いる「E-MAU」は、総勢9名。比較的若いメンバーで構成されている。

 二人にとって、これほどの長距離をナビゲートするのは初体験だったはず。

 緊張したんじゃないかなあと想像しつつ、どうだった? と尋ねると、二人ともベリーグッド! と、親指を立てたが、日焼けで皮がボロボロにむけたその顔には疲労の色も垣間見えた。

 

 

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サタワルカヌーが到着した日のランチは、彼らが最初に列に並んでご馳走を山ほど取る。

 

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さっそく宴会。ものすごく酒臭い。ちなみにサタワル人クルーの中に一人だけ紛れ込んだサイパン人男性は、中央の赤いTシャツの人。ひと目で区別できるのは漂う文明の香りのせいか。【PHOTO by Osamu Kousuge】

 

 

 とにかく、彼らの到着で、サイパンは再び歓迎ムード爆発。

 毎夜繰り広げられていた宴会も、更にヒートアップすることと相成った。

 時にはプロのバンドやDJもやってきて、ダンス大会。

 腰をくねらせ、愉快に踊るサタワル・ダンスマスターたちの独壇場である。

 下戸の私はミルクティを飲みながら、泥酔キャプテン、セサリオのウクレレ演奏で、スターコンパスの星が読み込まれたサタワル語の歌を何十回と歌い、踊った。

 

 

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無事、カヌーをサイパンに導いたナビゲーター、ナンノゴー(左)とアルビーノ(右)。強いお酒を手にご満悦。【PHOTO by Osamu Kousuge】

 

 こうして私たちは、毎日多くのサイパン人とともに過ごした。そしてある晩、気がついた。

 

 かなりの数のサイパン人が「マイスに乗ってグアムに行く」と言っている。

 乗りたい、ではなく、乗って行く。つまり、すでに許可を得ているのだ。

 

 出航前夜、改めて確認すると、なんと14人ものサイパン人が乗って行くことが判明した。

 パラオからずっと10人できたのに、いきなり24人!

 グアムまで1〜2泊とは言え、みんなどこで寝るのかな〜? 私はどこで寝るのかな〜〜???

  

 NOと言えないセサリオ、ここにあり。

 

 

  

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出航に向けて、マストの調整。

 

 

 

 


 


*本連載は月2回(第1&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

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林和代(はやし かずよ)

1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。

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