越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#42

タイ・メーオー

文と写真・室橋裕和

 

 タイは多民族国家だ。タイ族のほかに、たくさんの少数民族が暮らしている。彼らの故郷は北部の山岳地帯にある。ミャンマーやラオスと国境を接する山間部を旅し、彼らと出会えば、国境や民族について考えさせられることになる。

 

 

タイ北部の国境地帯へ

 僕のようなマニアでもない限り、タイ旅行に出かける人の行き先は大きく3つに分けられる。まずはバンコクおよびその近郊であろう。首都バンコクでのショッピングや食事、スパなどを楽しみ、世界遺産アユタヤやパタヤの歓楽街を巡る。日本人の場合これがきっといちばん多い。
 次に南部のビーチリゾートだ。プーケット島やサムイ島、クラビーなどの美しい海でのんびり過ごすのはファミリー層や女子旅が中心だろうか。
 そしてチェンマイを中心とした北部である。山岳地帯が広がり、過ごしやすい気候で、トレッキングやら象乗りなどのエコツアーが人気だ。
 で、この北部山地で出迎えてくれるのは少数民族たちだ。タイにはモン族、リス族、カレン族、ラフ族などなど、タイ族とは異なったルーツや文化、言葉を持つ少数民族がたくさん暮らしている。人当たりが優しく、食文化も独特で、彼らがつくりだす柔らかな空気がタイ北部には流れている。

 

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メーホンソーンの街で雑貨を売っていたリス族のギャルたち。若い世代の民族衣装姿はなかなか見られなくなってきている

 

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チェンマイ郊外にて。少数民族……ではなく、それっぽいコスプレをして楽しむタイ人

 

 

たくさんの少数民族たちが働く夜の世界

「あたしモン族ぅ」
「あたしもー」
「ラフでーす」
 かつてラーンナー王国の都として栄えたチェンマイにて歴史散策していたはずの僕は、いつのまにかネオン街に迷い込んでいた。ピンクやムラサキの毒々しい照明に絡めとられ、黄色い声を上げる女子たちに拉致されて、気がつけばバーの一角に座り、不本意ながらうら若き少数民族を侍らしているのであった。
 いまの時代、少数民族と出会うのに山奥の村まで行く必要はない。外国人からは見分けがつかないが、彼らはチェンマイでもバンコクでもパタヤでも、あるいは南部のリゾートでも働いている。そこには貧富の差が横たわっている。山岳部の村ではなかなか仕事がないため、都市部に下りてこざるを得ないのだ。男は肉体労働、女は飲食や夜の世界などさまざまな職場に少数民族たちがいる。
 そこでは少数民族に対する偏見から、差別が待っていることもあるという。しかしこのバーにはタイ族の女の子もいて、キャッキャとはしゃぎながら仲間同士で談笑している姿からは、民族間の軋轢はあまり感じられない。
「たまには田舎に帰ったりするの?」
 そう聞いてみると、
「年に1回くらい。なんにもないし、つまんないんだもん」
「街のほうがいいよ」
 なんて声が返ってくる。
「お正月に帰るとダサイ民族衣装を着なくちゃだし、お酒飲んで騒ぐだけだし。こっちにいたほうがいい」
 なにやら怨嗟すら含んだ口調だった。
 彼女たちはもう、親の世代とは違い、生まれたときからタイの文化の中で暮らしている。タイ語教育を受け、タイのテレビを見て、タイの流行を追う。民族の誇りはありながらも、タイに同化しつつある。たとえ差別や格差があっても、タイ人として生きる道を若い世代は選んでいるように思えた。

 

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チェンマイではこんなバー集落があちこちにあるが、働いているのは少数民族が多い

 

 

難民たちも少数民族となった

 少数民族たちが住んでいるのはタイだけではない。ラオス、ミャンマー、中国がせめぎあうインドシナ北部の国境地帯が、彼ら少数民族の里となっている。
 そこに近代になって進入してきた、新顔の少数民族……それが中国人だ。華僑ではない。戦争から逃れてきた、いわば難民なんである。第2次大戦後の国共内戦で、共産党軍に敗れた国民党軍は台湾に逃れていったわけだが、四川省や雲南省にいた部隊は、家族を伴って東南アジアへと敗走していった。そしてタイ北部にそのまま定住して反共運動を繰り広げていたのだが、それもおよそ30年前まで。世代が移り変わり、国民党軍の子孫はいつしかタイの中で平和に共存するようになっていった。
 そんな「国民党村」が、タイ北部の国境地帯には点在している。最も有名な街はメーサロンで、ここには国民党の歴史をたどる資料館やら、戦没者を祀る霊廟やらもある。中華な建築様式のゲストハウスや雲南料理レストランが並び、中国茶を売る土産物屋は観光客で賑わっている。看板はタイ語と中国語が併記で、中国人学校もあれば中国語の新聞も流通し「タイの中の中国」という観光スポットとしてそれなりの成功を収めているようだった。

 

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国民党村はどこも中国茶が特産で、小さな茶店がたくさんある

 

 

国境を越えて通学する子供たち

 だが、ガイドブックにも載っているようなメジャーどころは僕の好むところではない。調べてみたところ、ミャンマー国境にも近いメーオーという村にも、やはり国民党の残党が住んでいるという。
 小雨が降りしきる中、バスとソンテウを乗り継いで訪れてみると、そこは土壁と藁葺きのささやかな家が並ぶ、静かな村だった。漢字の看板が雨に打たれている。観光客はいない。地元の人々がたむろす小さな食堂に入ってみると、中国語の会話が飛び交う店内では饅頭が蒸されており、温かな中国茶が出された。本当に雲南の田舎にいるような気分だった。
 さて、この村のはずれには国境がある。バイクタクシーで5分足らず走ると、草ぼうぼうの荒地の中に、粗末な木の柵が連なっている光景が見えてきた。ジャンプすればひとまたぎでミャンマーにいけてしまうのだろうが、いちおうおんぼろの監視小屋があり、暇そうな兵士が形ばかりの警備をしていた。もちろん、外国人の越境はできないローカル国境である。
 シブいなあ……あのしょぼい柵の向こうが違う国なのかと思うとつい興奮してしまい、うさんくさげな兵士の視線も構わず写真を撮りまくっていると、ミャンマー側からケモノ道をたどって何人かがやってくるではないか。
 それは、いかにも貧しい身なりをした親子連れだった。母親と、ふたりの娘。待ち構えていたように兵士は笑顔で出迎えて、母親と何事かを話した後に、柵に取りつけられた扉を開放した。
 聞けば子供たちは「越境通学」しているのだという。国民党のほかに、この地域に住んでいるのはおもにシャン族だ。タイ側でもミャンマー側でも同じシャン族が暮らしているのだが、その生活レベルには大きな格差がある。ミャンマー側はまだまだ貧しく、学校のない村も珍しくないという。そこで、タイ王室のプロジェクトとして、ミャンマー側のシャン族をタイ側の学校に通わせる取り組みが行なわれているのだそうだ。
 不安げに国境を越えた子供たちは、しかしタイ側から迎えに来た友達を見て顔をほころばせ、駆け出していった。その背中を母親と兵士とが見送る。なんともハートフルな国境なのであった。

 

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越境通学の子供たち。この柵の向こう側はもうミャンマーだ

 


 

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*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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