ブルー・ジャーニー

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#42

アラスカ グレイシャーベイへ〈3〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

いつも新しい一瞬に

 近づいてくる光景に、こころの奥底を揺さぶられる。

 いま、なにに触れたのだろう?

 振り返り、遠ざかっていく光景をたしかめる。

 努力せず、リスクを負わずに移動しているという後ろめたさを棚に上げれば、船旅には、新しい世界のたしかな手触りがある。

 

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 新幹線や飛行機に旅を感じるのは、外側にいるときだけだ。プラットフォームや飛行場で、そのうしろ姿を見送るとき、ここではないどこかに行こうとしていることに、うらやましさやあこがれを感じるが、内側には退屈しかない。

 景色はうしろに飛び去っていくばかりで、あざらしの模様が1頭1頭ちがうことや、ハクトウワシがピロピロピローッと小鳥のように鳴くことや、針葉樹の香りが肺にちくちくすることを知る由も無い。

 パソコンやモニターから視線をはずして「いまどのあたり?」「あとどれくらい?」「なんだ、まだ半分も来ていないのか」等々、時間ばかりが気になるのは、移動であって旅ではない。

 

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 プラットフォームに書かれた駅名や、線路脇で手を振る子どもが見える鈍行列車は船旅に似ているが、軌跡がちがう。

 鉄道はレールによってあらかじめ軌跡が決められているが、船旅はそうではない。おなじ天候、波、潮の満ち引きに出会わない限り、おなじコースをたどることはできない。

 舳先がかきわける、いつも新しい一瞬に、こころと体は、いつしか解きほぐされる。

 船のサイズが小さくなればなるほど、一瞬の鮮度は高まり、「海に包まれる」シーカヤックでピークに達する。大自然の一部になったように感じられ、自分が住んでいる町が、はるか遠くのできごとという枠を超え、べつの本のなかの世界のことになる。

 

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 直線や規則的な曲線でつくられた都会は、移動に限っていえば、つぎの瞬間があらかじめ決められている。歩道は平面で、階段の段差は規則的だから、スマートフォンをいじりながら駅に向かうことができる。

「畑につれていこうとしたら、なんにもない地面でつまずいて転ぶんですよ」

 東日本大震災を契機に無農薬農業に取り組む一方、子どもたちを対象に野外教室を開催している群馬県・片品村の友人は、ふーっとひとつ息を吐き、つづけた。「しかも、花が咲いているのに、その上をかまわずまっすぐに歩いていく。『足下を見てごらん』と言ったら、なにを言っているんだろうという顔をされてしまって」

 友人が20年かけて育てた100本余りのリンゴの木は、農薬をやめた翌年、事実上全滅した。品種改良の積み重ねによってつくりだされた植物は、自分の力で実を結ぶことができなかった。

 土づくりに着手してから数年後、農園の景色は大きく変わった。息を潜めていた雑草が勢いを取りもどし、新たに植えたリンゴに薄いピンクの花が咲き、蜂が飛び回るようになった。もう少しで果実に手が届くと感じられる年があり、どうすればいいのかわからなくなってしまう年もあり、友人は1年に1度しかできない試行錯誤をいまもつづけている。

 

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 アラスカは未開地を人びとに無償で提供したさいごの土地だった。

 1862年、アメリカ合衆国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンによって交付されたホームステッド法(連邦自営農地法)がそれを実現した。

(1)開拓者は土地管理事務所で申しこむ

(2)開拓した農地に小屋を建て、土地を耕す

(3)毎年6カ月以上、本人またはその家族が開拓農地に住む

 5年間、この3つの条件を満たせば、160エーカー(約64・6ヘクタール)の公用地が開拓者に無償で与えられることを定めたこの法律は、家長もしくは21歳以上であれば、男女を問わず、外国人でも将来アメリカ市民となる意志を表明した者であれば対象となった。

 1976年、ホームステッド法は役割を終えたが、アラスカ州は例外として施行を継続。1988年5月に所有権を認められたケネス・ディアドーフが、この法律の下で土地の所有権を認められたさいごの人間となった。

 

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──変人、奇人、文明憎悪者、自然主義者、純粋主義者、完璧志向者、といったヘンリー・ソォロォのテーブルでお茶を飲む人たちとならんで、恋の逃亡者、暴力の逃亡者、チャンスの逃亡者たちがこの州へ流れこんでくる。こういう人びとはたいてい“オレたちゃ町には住めないからに”と『雪山賛歌』をハートとマインドで日夜歌い続けているので、広大な荒野に出ていく。『オーパ!オーパ!(開高健)』

 

 あるいは。

 

──アラスカにはこの百年の間に二種類の人々がやって来た。ひとつは、教育者、宣教師、生物学者、金鉱師……彼らは多くの場合、自分がいたところと同じ生活様式、価値観をそのままこの土地に持ってきた。もうひとつはこの土地にすでにあった生活様式、価値観に学び、そのまま引き継いでゆこうとする人たちだった。前者がアラスカの表面に出てくるのに比べ、後者の人々はほとんど知られることはない。『[命]イニュイック(星野道夫)』

 

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 ハクトウワシが1羽、ふいに木立から飛び立ち、近くの枝にとまっていた1羽があとを追う。

 ジェットコースターのように上昇と下降を繰り返し、水平飛行へ。翼を傾け、ボブスレーのように弧を描きながら、爪をからませあうように急降下。海面すれすれでかたまりはほどけ、追いかけごっこは終わった。

 シアトルを出航してから5日目、スティキン川の河口に位置する、ランゲルに上陸する。

 ひさしぶりの大地はふわふわして頼りない。

 フライパンのような形のアラスカ州。柄の部分にあたる東南アラスカは“pan-handle(フライパンの柄)”と呼ばれ、ここランゲルは、フライパンの柄のほぼ先端に浮かぶランゲル島に位置する人口約2300人の町。

 空は抜けるように青く、まだ4月上旬なのに、シャツ1枚でも寒くはない。北緯55度はモスクワとほぼ同じだが、海洋性の気候のために、このあたりはアラスカでもっとも平均気温が高い。

“スティキン”は『偉大なる』を意味するネイティブの言葉で、“ランゲル”は、1834年にロシアから派遣され、砦を築いた毛皮商人、フェマナンド・フォン・ウランゲルの名前に由来する。

 中国に毛皮を売りつけ、ひと儲けしようと、伝染病を連れて押し寄せてきたロシアのプロムインイレンニキ(狩猟者)たちは、ネイティブを虐殺、1930年代、クリンギット族の人口は半分に減少した。

 

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 ひび割れた車のフロントガラス。でこぼこでサビだらけのボディー。車も家もスノーモビルもバイクも、古ぼけ、どこか壊れている。

 港から歩いて約15分、森の抜けたところに広がるペトログリフビーチ。海岸線は大粒の黒い砂と、おびただしい漂着物で覆われている。

 柵に囲われることなく、説明が書かれた看板もなく、“地球上に残された数少ない不思議のひとつ”、ペトログリフ(Petroglyph)は、そこここに転がっている。

 ペトロは「石」を、グリフは「彫刻」を表すギリシャ語で、ペトログリフは「石絵」「線刻画」「線刻文字」などと呼ばれる。

 渦巻状の曲線、鳥、クジラ、ひとの顔、一目で技術の精度の高さを見て取れる。

 文字を持たないクリンギット族がなぜこのようなものを残したのか。記録なのか、装飾なのか、美術なのか、意味も理由も目的も未だ不明。わかっているのは、ギザの大ピラミッドをエジプトのクフ王が構想するよりも3000年前に、すでにここにあったということだけだ。

 

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(アラスカ編、続く)

 

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

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