ステファン・ダントンの茶国漫遊記

ステファン・ダントンの茶国漫遊記

#41

私を支える仲間たち5〜茶業の先輩・増田社長

ステファン・ダントン

 

 

 
 
 2019年、私ステファン・ダントンにとっても私の店『おちゃらか』にとっても新たなチャレンジの年が始まる。長年描いてきた私なりの日本茶海外進出の夢が、今年台湾を拠点に大きく展開する予定だ。
 

 

台北のレストランにて。増田社長と台北の茶商・葉さんとともに

台北のレストランにて、増田社長(中央)と台北の茶商・葉さん(右)とともに。

 

 

『おちゃらか』の吉祥寺時代からの旧知の友人が台北で準備している『東京彩健茶荘』というカフェ兼イベントスペースの設立に私も全面的に協力していることは、「台湾におちゃらかのフレーバー茶を(本連載33〜35)」でお話ししている。
 この場所が台湾の方々に『おちゃらか』のフレーバー茶を紹介する初の拠点となるのだが、実際に台湾へ『おちゃらか』のフレーバー茶を輸出するのはなかなか難しい。台湾への茶葉の輸出にあたっては、農薬残留基準値などが厳しく決められている。さらに私がつくるフレーバー茶をそのまま輸出するには、入っている香料や果皮、花びらなどがすべて台湾の基準に適合していることを示さなければならないのだ。各種それぞれ異なる材料が複数含まれるフレーバー茶約50種類の申請をするだけでも相当な力と時間が必要になることを考えると頭が痛かった。

 

 

フレーバー茶の世界展開を支える『やまま満寿多園』

 

 実は3、4年前から、『おちゃらか』のフレーバー茶のベースとなる茶葉の多くを静岡の茶所・牧之原台地に本社を置く『やまま満寿多園』のお茶に頼っている。『満寿多園』のお茶は世界中30以上の国と地域の残留農薬基準に適合しているからだ。もちろん台湾の基準にも適合しているし、台湾との取引も20年以上におよぶ。このお茶をベースに使うことで安心して海外との取引ができるようになり、EU諸国やアメリカへの輸出が飛躍的に伸びた。
 今回の台湾へのフレーバー茶輸出に立ちはだかった問題も、『満寿多園』のおかげでクリアできた。同社の増田社長に「台北で友人が開くカフェで『おちゃらか』のフレーバー茶を販売したいんだけど、ブレンド材料の申請がややこしいんだ。どうしたらいい?」と相談したところ、「ブレンド材料と茶葉を台湾へ別々に送って現地でブレンドすればいい。そうだ、旧くから付き合いのある台北の茶業者に話してみるよ。彼の工場でブレンド作業ができれば台湾での流通の問題はクリアできる」
 こんなやりとりから、台北の茶商・葉さんの工場で『おちゃらか』のフレーバー茶をブレンドできることになった。台北でのフレーバー茶生産が実現すれば、台湾、そしてアジア圏に販路を広げるビジョンが描ける。

 

 

かっこいい男・増田社長
 

 増田社長とはじめて会ったのは4年前。静岡県庁に勤める知人が、「増田社長はいち早く世界展開を見越して各国の基準をクリアした茶葉の生産・加工・販売を始めた日本茶輸出のパイオニアだから、ステファンも学ぶところがあるだろうし、一緒に仕事をしたらきっとおもしろいことになりますよ」と連絡先をくれたのだった。
 当時の私は、伝統的な栽培方法を家族単位で伝え、少量であってもおいしい茶葉を生産しているような生産者に入れ込んでいて(それは今でも変わらないが)、大規模生産で「成功」している企業や産地には関心がなかった。『満寿多園』は牧之原台地という成功している茶産地の中でもとくに成功している企業だと承知していたので、実は当初あまり気乗りがしていなかったのだが…。
 それでも、すぐに連絡をとって御前崎市の本社まで増田社長に会いにいった。
 「かっこいい男」だと思った。私より10歳年上の彼は、驚くほど若々しくスタイリッシュでエネルギッシュ。はじめて会った私に朗らかにまっすぐに語りかけてくれた。実際に話をしてみると、日本茶の普及や世界展開を目指す考え方が驚くほど共通していて、「この人と一緒に仕事がしたい!」と直感的に思ったのを覚えている。

 

 

やまま満寿多園社屋

 

タイで販売する自社商品のテレビCMに出演する増田社長

上/静岡県御前崎市にある『やまま満寿多園』。下/『やまま満寿多園』の原料を使用して製造した日本茶のペットボトルメーカーのテレビCMに出演する増田社長。

 

 

 

日本茶輸出のパイオニア

 

 増田社長は、静岡の茶どころ・牧之原台地が開墾された1860年(明治3年)からお茶づくりを続ける茶農家の5代目だ。1986年(昭和61年)には献上茶指定茶園に選ばれ、新茶を皇室へ献上している。
 国内ですでに評価が定まった高品質な茶葉を生産するだけでなく、製造や販売まで一貫して行い、さらに1991年(平成3年)には日本茶輸出を手がけるようになったのは、日本茶業界の現状への危惧からだったのではないかと想像する。
 日本茶、とくにリーフ茶の消費量が下がっている現在では考えられないことだが、1980年代の日本ではまだまだ日本茶は売れていたという。茶業界で絶大な力を持っていたのは、生産者から茶葉を仕入れて加工し、まちのお茶屋さんに卸す茶問屋だった。生産者は茶問屋の値つけや支払いサイトなどのルールに従って茶葉を卸すのが普通だった。そんな中で、増田社長は生産から販売まで一貫したシステムを構築していった。安全で高品質な茶葉を生産し、生産者として自信と責任を持って消費者に届けることを実現するために動いた増田社長への風当たりはさぞ強かっただろうと思う。すでにできていた流通ルートは問屋が握っていただろうから、当初は苦戦を強いられたのではないか。そんな中、社長は海外への茶葉卸も念頭に置いて、有機認定、FSSC2000認証、UTZ認証といった食品の安全認証を取得していった。また世界各国の残留農薬基準を満たす茶葉生産により、今では世界中で『満寿多園』のお茶が飲まれている。海外に輸出される日本茶の8パーセントは『満寿多園』のお茶だ。こうした功績が大きく評価され、農林水産祭蚕糸・地域特産部門において2015年には天皇杯を、農林水産大臣賞については2003年と2015年、2度の受賞をしている。 
 増田社長から学んだことは多い。日本茶業界の現状とそれを打破するためのストラテジー、世界に向けての日本茶輸出とそのための方法の数々が、私が突き当たっている問題解決の大きなヒントになっているし、直面した問題はいつでも彼に相談している。彼に教わった数々のこと、輸出に必要な基準や検査を通過させるテクニックをはじめとする輸出の基礎がわかったことが「キー」になって、『おちゃらか』のフレーバー茶の輸出を増やすことができたのだ。
 今ではこぞって海外に目を向け始めた茶業界だが、増田社長はいち早く動いている。その先見性と実行力には私も感服している。
 日本茶業界の活性化の一つの方法として、海外進出を目指すという共通の想いを持つ先輩として、私は増田社長を尊敬している。彼は私にとって茶業の、日本茶輸出の先輩、というよりも師匠のような存在だ。

 

 

 

2人が力を合わせれば

  

 私と増田社長は日本茶業界振興にかける情熱も目指す方向性も共通している。増田社長は国外基準にも適合した完璧に安全で高品質な茶葉生産と豊富な輸出経験がある。私にはさまざまな文化的背景を持つ人の嗜好に合わせた独自のフレーバー着香技術がある。2人が力を合わせれば、互いの可能性がより広がる。日本茶業界の活性化にも一役買えるはずだ。
 これまでも海外バイヤーに向けた展示会に、共同で5回出展している。そのいずれもが好評で、手応えを感じている。彼と一緒に展示会に出るのは楽しい。お客様に話すときの態度が「ただ商品を売っている」のではない。自分の商品を生産者として、専門家として自信を持って紹介する。これは私も同じだから聞いていて気持ちがいい。それに、なんでも人任せにしないところも同じ。商品展示ブースの設営も自分でやってしまう。脚立に登って自分の手で看板をつけている様子を見て「ああ、私と同じだ。自分の場所は自分でつくらないと気が済まないんだ」と思った。
 私たち2人は性格もよく似ていて、自己主張が強く個性的。社交的だが好き嫌いも激しいところがある。自分の信念を曲げず、目的に向けて走り続けるからぶち当たってきた壁も多い。だがそれを打ち破るパワーもある。増田社長にはその豪快さに加えて、(私に欠けているかもしれない)論理的な思考と緻密な分析がある。

 

 

東京での展示会で増田社長と。いつでもストレートに意見を言い合える良き師匠と一緒に仕事をするのは楽しい

 

共同出展したブースの様子

上/東京での展示会で増田社長と。いつでもストレートに意見をいい合えるよき師匠と一緒に仕事をするのは楽しい。下/共同出展したブースの様子。
 

 

 増田社長と一緒に、まずは今年始まる台湾でのフレーバー茶製造・販売を足がかりに日本茶の世界進出を目指していきたい。日本茶輸出の師匠である増田社長が一緒ならきっと成功するはずだ。
 

 

 

 

*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。次回の更新は2019年1月21日となります。お楽しみに! 

 

 

写真/ステファン・ダントン    編集協力/田村広子、スタジオポルト

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ステファン・ダントン

1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/

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