旅とメイハネと音楽と

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#41

エルサレム『メクデシェット』取材記〈1〉

文と写真・サラーム海上

 

ミステリーバスツアー

 ブハラ・ユダヤ料理を満喫した翌朝の9月11日月曜午前9時前、僕はテルアビブのダン&ヤルデン夫婦に別れを告げ、一人エルサレムへ向かった。今日からフェスティバル『メクデシェット(Mekudeshet)』の取材が始まるのだ。
 タクシーと乗り合いタクシーの「シェルート」を乗り継ぎ、午前11時にはエルサレムの滞在先である『Mount Zion Hotel』にチェックイン。ここは旧市街の西側にあるダビデ門から南に徒歩15分ほどの丘の斜面に建つ高級ホテルで、ロビーの窓からは旧市街やシオンの山、その向こうにヨルダン川西岸地区までが見渡せる。

 

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エルサレム新市街の裏通りで見かけた小さなシナゴーグの入口

 

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見渡しの良い斜面に建つ高級ホテル、マウント・ザイオン・ホテル

 

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マウント・ザイオン・ホテルのロビーのアーチ窓から、東にシオンの山、その向こうにヨルダン川西岸地区


 待ち合わせ時間にロビーに降りると、フェスを主催するNGO団体「Jerusalem Season of Culture」で働く友人キムがアムステルダムから来た2人の僕の同業者、音楽評論家のバスティアンとチャーリーとともに待っていてくれた。彼女には5年前にエルサレムのグルメ案内をしてもらって以来の付き合いだ。
「実際に会うのは三年ぶり? でも、貴方は少し前にもイスラエルに来ていたでしょう?」
「この国の音楽と料理をすっかり好きになってしまったからね」
 午後はホテルから近い彼らのオフィスでゆっくりとランチを取りながら、総合プロデューサーのノオミからブリーフィングを受けた。
「エルサレムは約五千年の歴史を持ち、キリスト教徒、イスラーム教徒、ユダヤ教徒にとって神聖とされ、常に世界中の目が集まってきた町です。メクデシェットは多層的な歴史と構造を持つ、常に驚きに満ちたエルサレムという町を、音楽やアートを通じて再発見するフェスティバルです。今年が第7回になります。当初は英語の『Jerusalem Sacred Music Festival』として始まりましたが、一昨年にヘブライ語の『メクデシェット』と改名しました。メクデシェットとはユダヤ教の結婚式にて三回繰り返し口にする言葉で、英語の“Sacred”にあたり、“聖なるものにつながっている”という意味です。それは宗教体験だけに限りません。アートや音楽や文化もメクデシェットです。意識を開き、境界や範囲を融解すること、現実の境界だけでなく、精神の境界を溶かすこと。そうして自分自身を問い直すこと、日常の快適な場所から一歩外に踏み出すこと。それこそがメクデシェットなんです」
 続いてアーティスティック・ディレクターのニタイの言葉。
「なぜエルサレムかって? この町は長い間、憎しみと分離、宗教、伝統、紛争、恐怖、そして共存、そうした人間性の諸問題と付き合ってきた。この町は世界のミクロコスモスであり、世界の青写真だ。
 現在のエルサレムには様々な人々が暮らしている。東エルサレムにはパレスチナ人が住んでいる。彼らは50年間(1967年にイスラエルがヨルダンから併合した)もエルサレム市民になれず、単なる滞在者として存在している。そして西エルサレムの一角にはユダヤ教の超正統派も暮らす。彼らは一家に7~8人も子供を作り、テレビもインターネットも見ずに信仰生活をしている。そして、残りが僕達のような世俗派のユダヤ人だ。こうした人々が同じ町で一緒に働き、暮らしている。
 さらに驚くことに世界中の人々、この町を全く訪れたことない人々までがエルサレムに対してそれぞれ強い考えを持っている。世界の他の町でこれほど人々の思いやエネルギーが集まる町はあるだろうか?
 さて明日からの音楽プログラムの前に、今日はこれから君たちには『Dessolving the Boundaries(境界を融解する)』というプログラムの一つに参加してもらう。行き先も会う人も知らされず、市内様々な場所をバスと徒歩で訪れ、それぞれの地区に暮らす、異なるコミュニティーを代表する5人のエルサレム住民に出会う、マジカルミステリーツアー的なバスツアーなんだ。5時間のプログラムを通じて、君たちはエルサレムという言葉で思い浮かべる先入観、イメージをいったん破壊して再構築することになるだろう」

 

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メクデシェットのアーティスティック・ディレクターのニタイ

 

 午後2時、外に出ると、気温は30度を超えていた。しかし、海沿いのテルアビブと違い、エルサレムは湿度が低く、過ごしやすい。キムに連れられ、オフィスの北側の駐車場にポツンと設置されたメクデシェットの受付テーブルに向かう。テーブルの前には「Dessolving the Boundaries」に参加する20名ほどの先客が並んでいた。僕達は受付の若い女性からMP3プレイヤーとヘッドホンを渡され、目の前に停まっていたバスに乗り込んだ。
 ヘブライ語ではなく英語で行われるこのプログラムの参加者の内訳は主に40~60代、7割が女性。そして約2/3がイスラエル人、残りは外国人居住者もしくは旅行者のようだ。

 

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バスの駐車場に設置されたメクデシェットの受付テーブル。参加者はここでMP3プレイヤーとヘッドホンを受け取る

 

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約20名の参加者が行き先不明のバスに乗り込み、さあ出発だ!

 

 バスはエルサレム新市街に向かう。しばらくするとツアーガイドの若い女性からMP3プレイヤーのスイッチを入れるようにと指示された。ヘッドホンからはフランス語訛の英語で話す男性の穏やかな声が流れ出し、このプログラムの趣旨と、これから向かう場所、出会う人の情報がほんの少しだけ語られた。
 最初の降車場はマフネイェフダ市場の近くだった。ガイドに引率され、ヘッドホンからのナレーションを頼りに下町の裏路地を歩く。気温は33度。半袖半ズボンのラフな服装のおっちゃんたちがカフェで友人たちと大声で話している横を、この暑さにもかかわらず黒い山高帽と分厚いスーツを着込んだ超正統派の男性が早足で通り過ぎていく。角を曲がる度に異なる素性の人々を見かける。僕たちはコミュニティーの境界線上を歩いているのだ。
 最初に訪れたのはエルサレム・クラブハウス。クラブハウスとはアメリカで始まった、精神障害者のための自立支援活動であり、その団体施設を指す。イスラエルで最初のクラブハウスを運営する精神科医のペサハさんはブルックリンで生まれ育ったアメリカ系のユダヤ人だった。
「アメリカの大都会で宗教と関係なく育った僕がなぜ中東の危険な町、エルサレムに移住したかって(笑)。それこそエルサレム症候群(エルサレムを訪れることによって引き起こされる精神病的体験や強迫的思考)だろうね。アメリカに暮らすユダヤ人は誰もがエルサレムに対する特別な思いを持っている。僕にとってはある種の贖罪だったのかもしれない。それにクラブハウスはエルサレムのメンバーに必要とされていたんだ。僕たちは患者とは呼ばずに、スタッフと区別なくメンバーと呼ぶんだよ」
 Tシャツにチノパン姿で無精髭のペサハさん、ラフな見た目こそ典型的なイスラエル人だが、早口のアメリカ英語には一切中東訛がなかった。

 

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マフネイェフダ市場の近くでバスを降ろされた。参加者はヘッドホンからの音声ナレーションを聴きながら歩くことに

 

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最初に訪れたエルサレム・クラブハウス。ブルックリン育ちの精神科医ペサハさん

 

 クラブハウスを出て、次の目的地までは徒歩。暑すぎるのか、僕たちのほかには道を歩いている人をほとんど見かけない。道の途中、僕たちのためにアイスキャンディーを配るブースが設けられていた。

 

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30度を超える暑さで、裏通りには誰も歩いていない

 

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ツアー参加者のために街角でアイスキャンディーが配られた。毒々しい色はスイカ味やいちご味


 15分ほど歩くと、いつの間にかユダヤ教超正統派の居住区に入り込んだようだ。古い低層階の建物ばかりの住宅街の一角に二番目の目的地があった。家の主はユダヤ教超正統派の女性のために政治社会活動を行うアクティビストのプニーナさん。
「私はユダヤ教超正統派の家庭に育ち、今もこの地域に暮らしています。2人の子供を持つ38歳のシングルマザーです。私達のコミュニティーでは伝統が重要です。しかし、女性どうしのつながりも少なく、ましてはコミュニティーの外側の人々の暮らしなど全く知りませんでした。ある時、同じような仲間のためにフェイスブックでグループを作ったんです。するとあっという間にメンバーが2000人を超え、広く意見を交換するようになりました。そして、草の根的な政治活動を行えるようになったんです。今、私は新聞でコラムを書いています。私の活動は周りからは疎まれているけれど、今、超正統派のコミュニティーも変化しつつあります」
 グローバルシチズンの時代、これまで外部の侵入を閉ざしてきたユダヤ教超正統派も少しずつ裏口を開く必要に迫られているのは間違いない。

 

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ユダヤ教超正統派のシングルマザーでアクティビストのプニーナさん

 

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家の壁に描かれた繊細なグラフィティー。なぜか猫の絵が目立った


 再びバスに乗り込み、今度は東エルサレムへと向かう。エルサレム起業家協会&テクノロジー(JEST)で迎えてくれたのは東エルサレム生まれのアラブ人女性アビールさん。彼女は東エルサレムの大学でコンピューターを学び、技能の高さによりヨルダン国王の目にとまり、ヨルダンのパスポートを授与された。
「私の父はヨルダン人で母はパレスチナ人。私が小さなころ、父は何度も投獄されました。そして、私の親友はインティファーダ(民衆蜂起)のデモの最中にイスラエル軍に殺されました。なので私は学校ではアラビア語、英語、フランス語を学びましたが、ヘブライ語は習いませんでした。

 後にロンドンに留学した時に初めてユダヤ文化を学ぶ機会を得ました。帰国してイスラエルの会社で働いて、初めてイスラエル人の同僚が出来たんです。現在はイスラエル人と協力しながら、国際人権団体の支援を得て、東エルサレムに暮らす女性たちのためのスタートアップ組織、エルサレム起業家協会&テクノロジーを運営しています。東エルサレムの女性は19%しか家庭の外で働いていないんです。これはコミュニティー内部の大きな問題だし、大きな損失でもありますから」
 パレスチナ問題はこの国が抱える大きな矛盾の一つだ。しかし、ガザ地区、ヨルダン川西岸地区、東エルサレム、そしてイスラエル国内、それぞれの地区に暮らすパレスチナ人の意見は決して一枚岩ではない……。

 

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東エルサレムに暮らす女性たちのためのスタートアップ組織を運営するアラブ人女性アビールさん

 

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アビールさんが運営するエルサレム起業家協会&テクノロジー(JEST)


 またまたバスに乗り込み、西エルサレムに戻る。夕方に近づくにつれ渋滞が始まる。空がオレンジ色に染まり始めた頃、北アフリカユダヤ伝統センターに到着した。緻密なモザイクで飾られたこの建物はまるでモロッコのフェズあたりにある宗教学校「マドラサ」のようだ。

 一階の広いホールで弦楽器ウードを演奏しながら迎えてくれたのは同センター内にあるアラブアンダルシア音楽の学校「デュニア」を運営する31歳のギラッドさん。
「僕はモロッコ系ですが、子供の頃はアラブ音楽は聴かず、ロックばかり聴いていました。特にニルヴァーナが好きで、ギターを習い始め、音楽学校に行き、西洋クラシックを学びました。でも、ある時、マフネイェフダ市場にあるバーでアラブアンダルシア音楽の演奏家ニノ先生の演奏を聴き、魅了されたんです。そして、毎日のように彼の家に通い、様々な世代の演奏家たちと夕暮れから夜明けまで即興で演奏を続けました。譜面ではなく、とにかく即興で身体で覚えるまで演奏を続けるんです。学校で習うのは全く逆のやり方でした。伝統的な師弟関係です。

 その後、僕はニノ先生から学んだことを子供たちに教えるため、デュニアを開きました。デュニアとはアラビア語で『世界』を意味します。僕は長い間、自分の中のモロッコの血を感じたことはありませんでした。音楽を通じて初めてそれに気づいたんです。ある時、古い写真の中に音楽家だった曽祖父の笑っている姿を見つけました。僕はここで曽祖父と全く同じ体験をしているんですよ」
 現在ではイスラーム教徒のアラブ人も楽器を演奏するが、ほんの100年前まではモロッコやイラク、イエメンなど、多くのアラブ諸国において、楽器の演奏はユダヤ教徒の独壇場だった。1948年のイスラエルの独立と続く中東戦争により、アラブ諸国に暮らしていたユダヤ教徒は排斥され、土地を追われ、多くは着の身着のままでイスラエルへとたどり着いた。現在、彼らの孫、ひ孫たちが遠い祖国の音楽を継承している。

 

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モロッコ系のウード奏者ギラッドさんはアラブアンダルシア音楽の学校「デュニア」を運営


 夕暮れ時の渋滞のため、今日の最後のホストだったジャン=マルクさんには北アフリカユダヤ伝統センターまで来てもらった。最上階に昇ると、吹き抜けを通じて建物内のどこからか夕暮れの祈祷が聞こえてきた。そんな中、彼はフランス語訛の英語で話し始めた。
「僕はスーダン難民のためのNGOを主宰していますが、今日は仕事の話ではなく、個人的な話をします。エルサレムについて知りたければ、乗り合いタクシーに乗るのが一番ですよ。貴方の隣にはこの町に暮らす全てのコミュニティーの人々が座る可能性があるからです。彼らと一言でも言葉を交わすと、この町が常に境界の内側と外側を行き来していることがわかります。
 思うに、テルアビブの人間は海を通じてその向こう側の世界を常に見ていますが、エルサレムの人間は常に町の内部を見ているんです。エルサレムらしさとはモザイクだと思います。様々な色が混じり合って、そのどれもが特徴的で、その違いが重要ですが、全体が美しいんですよ」

 

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まるでモロッコの宗教学校のような内装が美しい北アフリカユダヤ伝統センターの吹き抜け

 

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北アフリカユダヤ伝統センター最上階にて、本日最後のホスト、ジャン=マルクさん「エルサレムらしさとはモザイクだと思います」

 

 ジャン=マルクさんの話が終わると、五時間にわたったミステリーバスツアー「Dessolving the Boundaries」もついに終了だ。

 ユダヤ教超正統派、ユダヤ教世俗派、セファルディー(アラブ系ユダヤ人)、アラブ人……人は彼らに対して先入観や思い込みを持ち、カテゴライズし、レッテルをはり、場合によっては差別を行う。しかし、今日出会った五人はそうしたステレオタイプから一歩も二歩も飛び出した人たちばかりだった。エルサレムのカテゴライズ不能な人々。これだからイスラエルは面白い。明日からの音楽プログラムがますます楽しみになった。

 バスに乗り、渋滞の道路を出発地点の駐車場まで戻ると、すっかり日は暮れていた。さて今晩の夕飯はどこに行こうかな?

 

 

マグロとトマトのブルスケッタ、タヒーニソース

 さて、今回のレシピは、この晩訪れたエルサレムを代表するファインダイニング・レストラン『Satya』で食べたマグロとトマトのブルスケッタ、タヒーニソースを自分なりに真似てみた。日本料理のマグロの刺身を中東らしくタヒーニとレモン、オリーブオイルでヅケにして、カリカリのガーリックトーストに乗せるだけ。

 

■マグロとトマトのブルスケッタ、タヒーニソース
【材料:8枚・4人分】
*具
まぐろ刺身:100g
塩:少々
EXVオリーブオイル:小さじ1
*トマトペースト
トマト大:1/2個
紫玉ねぎ:1/4個
青ネギ:2本
タヒーニ:小さじ1
レモン汁:小さじ1
EXVオリーブオイル:小さじ1/2
塩:少々
胡椒:少々
*バゲット
バゲット:1/2本:2cm厚のスライスを8枚
EXVオリーブオイル:適宜
にんにく:1かけ
*仕上げ
パプリカパウダー:少々
【作り方】
1.まぐろ刺身は1~1.5cmの角切りにし、塩とEXVオリーブオイルをふりかけ、冷蔵庫で10分ほど置く。
2.トマトは1cmの角切り、青ネギと紫玉ねぎはみじん切りにする。
3.ボウルにタヒーニ、レモン汁、EXVオリーブオイルを入れ、よく混ぜ合わせ、ペースト状になったら、塩、胡椒で調味し、1のまぐろ、2のトマト、紫玉ねぎ、青ネギの3/4量を加えて軽くまぜる。
4.薄切りのバゲットにEXVオリーブオイルを薄くぬり、トースターできつね色に焼き、カリカリの表面ににんにくをこすりつけ、室温に冷ます。
5.4のバゲットに3をのせ、お皿に並べ、残しておいた青ネギ、パプリカパウダーを飾りに散らし出来上がり。

 

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人気レストラン『Satya』でいただいた「マグロとトマトのブルスケッタ、タヒーニソース」

 

 

 

*イスラエル編『メクデシェット』レポート、次回に続きます!

 

*著者の最新情報やイベント情報はこちら→「サラームの家」http://www.chez-salam.com/

 

*本連載は月2回配信(第1週&第3週火曜)予定です。次回もお楽しみに! 〈title portrait by SHOICHIRO MORI™〉

 

 

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サラーム海上(サラーム うながみ)

1967年生まれ、群馬県高崎市出身。音楽評論家、DJ、講師、料理研究家。明治大学政経学部卒業。中東やインドを定期的に旅し、現地の音楽シーンや周辺カルチャーのフィールドワークをし続けている。著書に『おいしい中東 オリエントグルメ旅』『イスタンブルで朝食を オリエントグルメ旅』『MEYHANE TABLE 家メイハネで中東料理パーティー』『プラネット・インディア インド・エキゾ音楽紀行』『エキゾ音楽超特急 完全版』『21世紀中東音楽ジャーナル』他。Zine『SouQ』発行。WEBサイト「サラームの家」www.chez-salam.com

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